幕間 ~太陽を墜とす~

「……アグニが到着した、か。案の定、逃げるつもりみたいだ」


 主人を助けるため。どんよりとした灰色の曇り空を突き破り、アグニが舞い降りる。アカホシへと光を照射した途端に、ミルクレープたちが慌てていた。それも『想定の内』だと、感情の籠っていない声でテスラコイルは呟いた。


「あの光の障壁を破る力が残っていない以上、ミルクレープたちの詰みだ。……だけれど、それでいいわけがない。僕たちにとっても、アカホシ自身にとっても」


「アカホシを……裏切らないために……」


 ムーンショットが、先ほどテスラコイルに言われたことを復唱する。

 言葉でも、頭の中でも。何度も、何度も。


 その心の中に、迷いはまだある。

 これで本当に彼を救うことになるのだろうか。

 もうこれしか手段は残っていないのか。


「分かっているだろうが、ここでお前が抵抗したところで、いつかは終わりがくる。その一瞬一瞬だけなら、ヒト族を追い払うことができるだろうが、そう遠くない内に必ず敗れることになる。百年前とは違うんだ。たった数人でアグニを撃退するような奴らだぜ」


 リーヴ王の強さは十分頭の中に入っていた。イリス王妃が目の前に現れ、その正体が上位魔族だということを知って、情報の更新と再計算を行った。その結果では、アグニと五分五分の戦いをする程度だったのに、現実はまるで違う結末を導き出している。彼らの強さは既に、テスラコイルの計算の枠を超えていた。


「もう僕らが世界を救おうとしなくても、どこかで勝手に英雄は生まれる。だからもう――僕たちにできるのは、終わらせることだけだ。きれいさっぱりと、な」


 だから撃てよ、とテスラコイルは言う。

 ムーンショットも覚悟を決めつつあった。


 浮かび上がっていく。アグニに乗り込んで逃げてしまう。

 私の手の届かないところへ。自分たちの知らない戦場へ。

 そうして――彼は一人でその生を終えてしまうことになる。


「そんなことはさせない……!」


 己の身体の内にある、核となっている機石の魔力をフルに回す。溢れ出る魔力によって、“第零世代”各々が特別な兵器を呼び出す作業のシークエンス。


 生きるも死ぬも一緒だと思っていた時期もあった。

 少なくとも、こんな結末は望んでいない。


『アカホシ……。私は……お前を撃ちたくない』


 あの時吐き出した言葉は、今でも彼女を縛り付けている。


「ようやくやる気になったみたいだな。こんな無茶苦茶な兵器、いつ見ても寒気がするよ。無機質で、不格好で。お前にはぴったりだよな」


 天高くから雲を突き破り、二人の目の前に落ちてきたのは――巨木と見紛うほどの大砲だった。大口径、超砲身長の機石カノン砲。膨大な魔力を消費して撃ち出された砲弾は、遥か遠くの城一つを軽々と吹き飛ばす威力を持っていた。


『撃ちたくない。だから決して壊れないでくれ』

『どんなことがあっても、私にお前を撃たせないでくれ』


 撃たねばならない。

 世界のために、仲間のために、自分のために。

 そして――他でもない、アカホシのために。


 カノン砲の口径は両の拳がスッポリと入るほど、白金のような輝きを見せた砲身は大人の身長三人分。それを支えるための土台に、ムーンショットが右腕を差し込み接続を開始する。


 使用した後は、反動でマトモに動けなくなる。威力故に周りへの被害も大きい。ここぞと言う時にしか使用できない、まさに一撃必殺の兵器。


「約束したはずだぞ……!」


 彼女が他人と交わした、最初で最後の約束。

 自らとアカホシを繋ぐ、大切な思い出。


 ……破りたくなかった。破らせてほしくはなかった。


「これは私の罪……」

「アカホシの罪でもあり、僕たちの罪でもある」


 使命を見失い、英雄でもなくなった。

 ――それでもまだ、贖罪しょくざいできるというのなら。


「すまない、アカホシ……。どこまでいっても、私は荒唐無稽ムーンショットのままだ。だけどせめて――最後にこの罪だけは撃ち抜いてみせる……!」


 ムーンショットの右腕を通して、カノン砲へと魔力が注がれる。甲高い音を立てながら、機石が強い光を放ち続けていた。エネルギーのチャージ完了まで、およそ三十秒。


「標準は僕がやる。お前は引き金を引け。引くべきタイミングに、一度だけでいい」


 テスラコイルの端末が、ムーンショットへと接続する。


 流れ込む意識――。目標までの距離や風向き。惑星の自転から、重力加速度まで。あらゆる情報が、データとしてムーンショットへと流れ込む。彼女自身で演算しているものとは比べ物にならないほどの情報量が、彼女の意識を埋めつくしつつある。


(この感覚だけは好きになれない。気持ちが悪い……)

(黙って集中してろ)


 ――分かる。全てが手に取るように。


 弾着まで何秒かかるのか。どの射角で撃ち出すのが理想なのか。数秒後にアカホシがいるであろう高度や、アグニによる光の障壁を打ち破るために必要な出力、そして銃弾として圧縮する魔力についても。


 それは一種の未来予測。完璧なシミュレート。

 指定したタイミングで引き金を引きさえすれば、現実がそれに沿っていく。

 テスラコイルは己の誇りプライドにかけて、想定外を入り込ませはしない。


「残り十秒だ。撃てば身体が吹っ飛ぶだろうが、後悔なんてするなよ」


 カノン砲台の内部では、充填された魔力を弾として圧縮していた。創造主によって組まれた膨大な魔法式が幾重にも展開され、一発の砲弾へと形成されていく。そこらの機石銃とは、出力から何から比べ物にならない、まさに完成形。


 自然ではあり得ないほどの魔力の一点集中に、あたりの空気が震え始める。最も近い場所にいる二人は、身体が軋んでいくのを感じていた。


「構いはしない……!」


 テスラコイルによる応急処置程度では、到底身体が保つはずもない。

 どうせ捨てるつもりだった命。ならば、この一撃に全てを捧げてやろう。


 撃たねばならぬものがある。

 この名に恥じぬよう、貫かねばならぬものがある。


「ただ真っ直ぐに天を突き、月を穿てと名付けられた。果たすことはできなかったが、それでも――。“英雄”ムーンショットの名にかけて、この一撃だけは届かせてみせる……!」


 魔族の長を斃し、世界を救ってもなお、実現することは叶わなかった。


 そんな己が最後に撃つことになるのが、まさか太陽オマエになってしまうとは。なんという神の悪戯。なんたる皮肉だろう。何度も何度も、必死になって撃ち続けてきて。


 これが最後の一射となるとして――今なら月以外の何だって撃ち抜ける気がした。


「――撃てっ!!」


 テスラコイルが叫ぶと同時に、ムーンショットが引き金を引く。


 土台だけではなく、砲身の内側にも何重もの魔法式が刻まれていた。初速の段階で音速を越えながらも、圧縮された魔力を崩すことなく強化に強化を施していく。撃ち出された魔力の砲弾は、空気抵抗を限界まで無視する。


 ドォッ――


 あまりの速度に、砲口からは光の帯が放たれたように見えた。一瞬の静寂ののち、空気が破裂するように大きく揺れ。小石という小石が宙に浮き、地面が軋み砕けた。


 一直線に伸びた光の帯は、寸分違わずアカホシを狙う。


太陽の槍ディ・ラソーレ》以上の出力に、テスラコイルのレーザーのような直進性を持ち合わせた必殺の一射。遥か遠くから狙われたものは、砲弾の接近に気づくこともなく撃ち抜かれる運命にある。


「命中っ! ちたぞ……!!」


 ミルクレープでも、テイルたちでも破ることができなかった障壁が、いとも簡単に貫かれていた。とはいえど、直撃はしたものの完全に破壊することまでは叶わず。しかし、それでもテスラコイルは『まだ計算の内だ』とうそぶく。


「上出来なんじゃないかな。僕らにしちゃあね」


『行こうぜ』と立ち上がるテスラコイルだったが、ムーンショットの身体は先の一撃でバラバラになっていた。核は無事なため意識はあったが、身体は応急処置が不可能なほど。


「……はぁ。さっきのと合わせて、貸し二つだぜ」


 溜め息をひとつ。なんとか自分一人でも運べる量――頭と、核の機石が収まっている上半身だけを抱えて、テスラコイルは丘を下り始めたのだった。


「――この戦いの結末を、見届けないとな」

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