第二百七十七話 『何かを護るということは』
そういえばガフーさんは、別の馬車で来ると言っていたな。
自分たちが乗ってきたものとはだいぶ外見が変わっていたので、それがエルネスタ王国のものだとは気づかなかったが――わざわざこんな豪華な馬車でやってきたというのはどういうことだろう。
ガフーさんだけならば、もっと小さいものでも良かったのでは?
そもそも、ガフーさんに馬車を操縦させるというのもどうなのだろう。
この人って、エルネスタ軍の中でも結構な立場なんだろうし。
「あの、いきなりの質問で申し訳ないんですけど……誰かと一緒に来たんですか?」
「おお、そうであった! さっ、どうぞ出てきてくだされ!」
「…………え?」
分厚い外套を羽織り馬車から降りたのは、他でもないリーヴ王だった。変装のつもりなのか――外套の内にあったのも、城での豪華な装いではなく。そこらで買えるような革製の鎧を身に付けていて。人相を隠すためにフードを目深に被ってはいるものの、その風格は殆ど隠しきれていなかった。
「王様……!?」
「どうしてここに……?」
城での作戦会議の時には、アカホシ討伐は自分たちに任せると言っていたはずだ。兵たちはこのクルタの街に待機させ、万が一失敗した時には総攻撃を仕掛ける。イリス王妃のこともあって、ずっと城にいるものだと思っていたのに。
「念のため、とでも言っておこうか。“重要な部分”を君たちに任せるとはいえ、ただそれを眺めるだけ、なんてことは王の振る舞いとして失格だ。万が一にも君たちが失敗した場合、ここが一番に被害を被る可能性が高い。護らねばならないだろう?」
リーヴ王はテスラコイルを通してアカホシの存在を確認していたが、他の国はそうではない。実質的にはクルタの危機であるのに、動いているのは自分たちしかいないという
「……私は君たちとアカホシの戦いが終わるまでは、この街から出ない。だが、本当に死にそうなときは迷わず逃げてくれ。それは別に罪などではない。ただ、世界を背負うにはまだ早かったということだ。送り出した者の責任と後始末は、私たちできっちりと取らせてもらう」
決して自分たちのことを信用していないわけではない。けれど、それでも。万が一のことが起きたことを想定して動かねばならないのだと、リーヴ王は言った。一つのことに対して失敗したとして、そこから次々に事態を波及させることだけは避けたい。その
「あとは、“彼ら”と交わした条件のこともあるからね」
「彼らっていうのは――フェンたちのことですか?」
「あぁ、実はあの二人も馬車の中にいる。こっちは、君たちの戦いが始り次第、仙草を渡して解放するつもりだが」
できれば、いざという時のためにクルタに滞在していることを望んでいるが、流石にそこまでは強制することはできないとのこと。一度決めたことを後から変えるのは、自分の主義には合わないと笑顔を見せていた。
「でも、向こうは“その時”まで大人しく待つんですか? 仙草を奪って逃げようとするんじゃ……」
「仙草は、ここには無い。イリスが従者を連れて、こちらへと持ってくる手筈だ。『二人でゆっくりと歩いてくる』と言っていたから、数日はかかるだろう」
「歩いて……!?」
サラっととんでもないことを言ったけれども、城からここまでどれだけの距離があると思っているのか。馬車でも五日はかかっているのに、無茶にもほどがある。
「それなら、一緒の馬車に乗ってくれば良かったのでは?」
「少し事情があってね。馬車を使うことができないのさ」
いや、どんな事情なんだよそれ。
「私は城に残って欲しいと言ったのだが、イリスは聞かなくてね。『見ていない所で勝手に死ぬことだけは許さない』と言われてしまっては、こちらから折れるしかなかった。……何かを護りたいのなら、手の届くところに置いておくのが一番簡単だ。街とイリスの両方を護りたい私には、これぐらいしかできることが残っていないのさ」
「何か矛盾している気が激しくするんですけど……」
イリス王妃を護りたいとは言うが、城からここまで歩いて移動させることは危険ではないのだろうか。
「イリスとマナの二人なら、魔物や野盗が出てきたぐらいではビクともしないさ。あの二人の命が脅かされる時がくるとすれば――《
その危機の内、片方が目の前に迫っている。
だからこそ、その時には隣にいなければならない。
そう告げたリーヴ王の言葉は、真剣そのもの。
「何かを護るということは、それだけの代償を覚悟しなければならない。護るものが大きければ大きいほどに、その代償も大きくなっていく。私だって、ふと怖いと感じることもあるさ。大事な伴侶と、一つの街を同時に――というのは、楽なことではない。しかし、やらねばならぬという時は必ず来るものだ。君たちもそうだろう?」
目の前に立っているこの人は、
こちらからすれば、『何とかもぎ取った』認識でいたのが恥ずかしいくらいで。
深く、深く頭を下げて誓う。
「……そうならないように、全力を尽くします」
「全力を尽くしても、どうにもならないことはある。だからこそ我々のような者がいるのさ。目の前の道が閉ざされ、絶望に沈んでしまう前に、背中を押して振るい立たせる役割をする“大人”が」
ポンと頭の上に乗せられた手は温かく。その指の節々には力強さを感じた。
「……とても触り心地がいいな」
……まぁ、黒猫の亜人ですから。
…………。
「宿の者から話は聞いている。出発は数日後だそうだな。泣いても笑っても、戦いのときはすぐ目の前にまで迫っている。私にもよく分かるよ、この、全身の血が冷えるような感覚は。これも、我々が生きている証拠だ」
『必ず生きて帰ってきたまえ。その時は、王国総出で歓迎しよう』と言って、リーヴ王は馬車の中へと戻っていく。馬車の窓からは、リーヴ王の話していた通り、フェン・メルベニーの姿が見えた。
どうやら、チラチラとこちらの様子を窺っている様子。
彼の背負っているものは、きっと
「貴殿らの勝利を願っておりますぞ。それでは、失礼する!」
ビシッと敬礼をしてから、馬車の前部に乗り込むガフーさん。
緩やかに出発し、速度を上げて遠ざかる馬車を見送りながら――
『絶対に負けるわけにはいかないな』と声を掛け合った。
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