おまけ 前編:賭場の鱶大将
……この学園に入ってから、もう五年か六年ぐらいか。
“研究生”として学園に残ってはいるが、生徒としての活動は殆どねぇ。なんでこんなことを続けているかというと、学園の外にオレの居場所なんて無いからだ。
ついでにいえば、いい子ちゃんしている真面目な奴よりも、こういった場所に集まる“臭いのする奴”の方が、相手にしていてずっと面白い。一度きりの人生なんだ。クセは強ければ強いほどいい。
……かといって、《特待生》までいくと面倒だが。
まぁ、住み場所と美味い飯を条件に、学園の裏側で生徒の面倒を見てやっていたわけだ。先公だって、手の負えない生徒の処理を任せてきたりするしな。……ここ最近はめっきり減って、退屈な時間を過ごすことも珍しくなかったんだが――
それは、新入生たちが入ってきて、
……久しぶりにオレを楽しませてくれる奴らが来た。
「……ベイさん」
賭場の仕切りの一部を任せている生徒(二年)が、傍に寄ってきて耳打ちをした。
ただでさえ、頭のネジが一、二本飛んだような奴らの多い学園だ。その賭場だってんだから、揉め事面倒事は別段珍しいことでもねぇ。些細なことでも連絡するように伝えてあるが、今回もそんなものだろうと思っていた。
――あぁ、また何か起きたのか。
臭いはねぇ、魔法によるイカサマじゃないことは確かだ。
ざっと見回すが、どこかで殴り合いをしている気配も無い。
「……なんだ」
「あの――
――アリエス・ネレイト。
そもそも、ここに女子が来ること自体が珍しい。だというのに、入学直後からもう、この賭博倶楽部の常連となっていた。金を落としていくこともままあったが、収支でいえば馬鹿勝ちしているクソったれだ。
「なんだあのヤロウ、また
久々に顔を出したってことは、まだどこかで
「……男連れか」
入り口の方へと目を凝らすと、一際目立つ紫の髪。その横には、同学年であろう男子生徒が一人いた。辛気臭ぇ目つきをした、黒髪の男だ。殴れば簡単に吹っ飛びそうな体格だったが、どことなく移動に体重を感じない。……戦い慣れてやがるな。
「ほぅ……。コイツぁ、楽しめそうな奴が来たじゃねぇか」
差し出された小皿に乗っかった、数滴の血液。
混ざり込んだ魔力の匂いが、どことなく気分を高揚させる。
……知っている匂いだ。あれは二年前だったな。学生大会の時だったか。一対一でボロボロになるまでやりあう様を見るのは、いつだって楽しいもんだ。もちろん、アレに出ていた奴の魔力の匂いは大体覚えている。
「テメェらは手を出すな。……泳がせておけ」
あの女だって、ここのルールは知っているはず。どういうつもりだ?
――テイル・ブロンクス。定理魔法科、三年。
黒猫の
「あの男――
……何か起きないわけがねぇ。
――俺の予感は当たった。少しズレはあったが。
ハロ・ハロの馬鹿がイカサマに手を出したってことは、調子に乗ってデカいのを賭けの対象にしちまったんだろう。あの女との一対一? 自業自得だ。
――招かれざる客を連れ込んだ、その落とし前をつけさせるのには、丁度良かった。そう思い、飛び込んでやったんだが、見た通りのすばしっこさだ。一、二発殴って放り出そうにも、ひらりひらりと躱しやがって。……苛立ちに任せちまった結果でもあるが、最後に弾かれた爪の根本に痺れと痛みが残っていた。
あまり賭場を荒らしちまうのもよくねぇ。面倒な“客”は奥の部屋に通すと相場は決まっている。もちろん、そこにあるのはオレの専用テーブルだ。
薄暗い部屋で、テーブルの上にだけ明かりを灯して。どこにだって真剣勝負はできるが、こういった場所ならなおのこと、駆け引きに熱が乗る。
ここを使うのは、気の合う仲間との勝負か、やらかしたクソ野郎を締め上げるかのどちらか。今回はもちろん後者だが。
「シロウトだろうと関係ねぇ。ここでは賭けの勝敗が全てを決める」
利用禁止も立ち入り禁止も大して変わりはしねぇ。疑われるようなことをした時点で、しょっ引くには充分だ。予定とは少し違えど、生意気にも抵抗するようなやつには
「ルールは説明しなくても分かるな?」
もちろん、中身はオレのお気に入りのポーカーだ。
味わうならジワジワとやるに限る。ダイスやスロットは賭けて結果を待つだけだが、こいつはプレイヤー同士の駆け引きの面が大きい。油断しているところに食らいつく。このヤり方が最高にたまらねぇ。今回も、どう楽しんでやろうかと考えていたんだが――。
――――。
……なんだよ。ちったぁ期待してたんだが、こんなもんか。
素人だろうと、アリエスが連れて来たんだ。どんな隠し玉かと思えば――ルールを把握しているかも怪しい。デタラメに賭けているわけじゃなかったが、駆け引きってもんが全くなってねぇ。
勝てる時にしか賭けねぇんだ。相手に強い手があるのが分かっていて賭ける馬鹿はいねぇ。ハッタリを利かせて、相手をビビらせる。それができなけりゃあ、勝てるわけがねぇ。
ただの“カモ”だな。
勝負を重ねる度に、チップの差が開く。当然だ、オレは取れる時に取ってるし、コイツが勝ちそうな時は無駄に賭けないのだから。
勝負に出たのは中盤を過ぎてから――チップの枚数が十枚をきってからだ。最初あった分から、もう半分まで減っている。その気になれば、一瞬で食い殺せる範囲内。
四枚目が開くまでは様子見で流した。
妖精の七、機石の五、魂の二。そして――機石の六。
……僅かにだが、コイツの目に光が戻った気がしたんだ。
自信が確信に変わったような。
「――レイズ」
このレイズがハッタリかどうか、テメェに判断できるか?
俺はこの勝負――殆どのゲームで、勝てる手だろうと負ける手だろうと、チップを上乗せしてきた。もちろん、コイツが降りることを分かっているからだ。相手の手の内が分からないままに勝負に出るのは度胸がいる。素人じゃあ、同じ土俵に上がることもできねぇだろう。
「コール……!」
珍しく、こちらのレイズに乗っかってきた。オレの出したチップに合わせ、奴が追加で賭け金を足していく。……こうなりゃあ、余程の自信があるんだろう。
そいつを表に出しちまっている時点で、素人なんだ。たまに来た幸運に対して、今しかないとヒトは簡単に飛びついちまう。
『開きます』というディーラの言葉と共に、五枚目のカードが開かれる。――杖の五。数字だけでいえば、強くも弱くもねぇ。
場のカードは、妖精の七、機石の五、魂の二、機石の六、杖の五。
奴の目の輝きは変わらない。なるほど、四枚目の段階で役が出来ている。五枚目はそれには絡まなかった。表情には出していないが、細かい挙動で思考が筒抜けだぜ。
「……レイズだ」
かかってこい、とチップを更に上乗せした。向こうはもう、勝つ気満々なんだろう。分かるぜ、オレの表情なんか見ちゃあいねぇ。自分がどういう状況にあるのかさえも理解してねぇ。
お前ん思い通りにいくと思っているのか? 本当に?
なにか見逃している部分があるんじゃないか?
運ってのは誰にだってある。調子のいいとき、悪いときなんてのは、本当に気まぐれにやってくるもんだ。それが目に見えるんだから、カードってのはやめられねぇ。
賭けろよ、チップを。とことん勝負しようじゃねぇか。
チップを握ったな? そうだ、いいぞ。
「更にレイ――……」
その喉笛に――食らいついてやる。
「…………」
…………?
チップを握って――その手を出す前に止まった。
まるでぶっ壊れた機械のように。突然だ。
どうした、おい。そこまで行ってやめんのか? 出せよ。勝負しようぜ。さっき一瞬だけ見せただろ、勝ち誇った顔をよ。
向こうは完全に勢いに乗っていた。少なくとも、本気でそう思っているように見えた。……もしかしたら、それに見合うだけのいいカードが来ているのかもしれない。
「……どうした? 勝負に出るんじゃねぇのか?」
それでも別にいいじゃねぇか。それならそれで、どちらの運が上なのか競うだけのこと。――出せよ。手元に持ったそのカードを見せてみろ。このゲームに希望を持ったんじゃないのか。
――出せ。勝負しようぜ。
半ば“狩り”の気分だったオレを引き戻したのは、コイツの弱弱しい声だった。自分の発言に自信が持てない、そんな様子だった。
「……降り……る。フォールドだ……」
……降りた?
肩透かし、拍子抜けもいいところだった。いったいなぜ。
さっきまで勝ちを確信していた目をしていたのに? コイツの頭の中で何があれば、そんな急な舵切りができるのか。……いや、
しかし問題なのは、駆け引きのかの字も知らねぇ素人が、ここまできて“退く”という判断をしたこと。普通の奴なら『勿体ない』と乗って来るところだ。
「いいのか? 勝てる気がしたんだろう? だから今、チップを握ったんだよな? ここでチップを取り返すんじゃないのか。なぁ、テイル・ブロンクス」
……と煽ってはみるが、こいつの意志は変わりそうにない。
「降りる……! 持っていけよ!」
……寸前までは、全てのチップを賭けようとしていた。首の皮一枚のところで、吹っ飛ぶのを回避しやがった。確実に寿命は縮まったが――それでも、コイツは生きている。
そいつぁ、
……いや、流石にそこまで難癖をつけることはできねぇ。
「そうかい。……じゃあ、こいつは頂いていくぜ」
テーブルに出されたチップを全て持っていく。オレの取り分。……本来なら、これの倍近くのチップが手に入る筈だったんだ。
このゲームの勝敗が決まり、眼の前に伏せた二枚のカード。
妖精の二と、機石の二。それがオレの手札だった。
機石の五、魂の二、杖の五、妖精の二、機石の二。場のカードを合わせて、フルハウスが完成していた。これに勝てるのは、これより上のフルハウスか、フォーカードのみ。……まず、有り得ねぇ。
一対一の勝負、降りた時点でそのゲームの負け。……だが、『これだけチップを出しているから』と、最後まで飛び込んで死んでいく馬鹿じゃなかった。
チップを何枚出そうが、ゲームの勝率が変わるわけじゃねぇ。開かれるカードは運次第であり、それはゲームが始まった瞬間に決定される。ここをはき違えている馬鹿が多い中で、この黒猫は正しい判断を下した。
だが――少なくとも、お前に“波”は来ていなかった。
それだけのことだったのさ。
「……くっそぉ……!」
チップがゼロになり、負けが決まった瞬間になっても、暴れることもなく素直に従う。ここまできての実力行使もなく、今更ながらに恐れをなしたのか。結局、賭場の秩序を乱す奴はこうなる運命なんだ。
――と思ったところで。
「ふざけやがって……」
このオレの勝負を賭けにして、全員を巻き込むだなんて。最上級の馬鹿がやることだ。上手くいく可能性の方が低い、出来の悪い
だが、人生そうじゃないと面白くねぇ。馬鹿げた賭けほど、燃え上がっちまう。チマチマとつまらない勝負を繰り返すよりは、ずっとここの住人らしい。ほとんどの奴が活きた顔をしちまってたんだからな。
オレがあれだけ潔く負けを認めたのはいつ頃ぶりだったか。少なくとも――アレだけ笑わされたのは、間違いなく久しぶりのことだった。
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