第二百十八話 『正攻法で頂くことにする』
「“そんなこと”って……」
……俺がおかしいのかなぁ。
真剣に勝負していたのに、“そんなこと”呼ばわりされてしまった。
「二度と入れてくれないっていうのに、『明日から』だなんて優しいんだ」
「これもルールだ。常連だったお前なら知っていることだろう?」
イカサマならその場でつまみ出す。何か他のことで出禁を受けた場合は、その日が最後の利用日となる。どうせなら、吐き出すだけ吐き出して出ていきやがれ、というのがこの場を取り仕切る者としての意向らしい。
「……そう。だってさ、テイル。それじゃあ――この先も入れないんだったら、今貰っちゃえばいいじゃない? 目の前にこうして現物があるんだから」
何を言ってんだ。たったいま、その機石を賭けて勝負をしてきたというのに。
「もしかして……今度はアリエスが先輩と勝負を?」
「情けねぇことを言ってんじゃねぇ。そんなことが許されるとでも? お前が最初、責任を被ると言ったんだぜ」
その場の勢いで言ったことが、裏目に出てしまっていた。思えば、最初からアリエスとの勝負にならないよう、計算されていたのかもしれない。……この先輩なら十分にあり得る。
……向こうの立場からしたら――勝負してもらえただけでも有難く思え、なんだろうけども。
「まさか力づくってわけじゃあねぇよなぁ? そんな
身長差があるせいで、押しつぶされるような圧力があった。その瞳の奥まで覗き込めるぐらいにまで近くに寄って、相変わらずのヤスリのような声で俺たちを脅しつけてくる。
けれど、アリエスも一歩も引く様子はなかった。声には一片の恐れもないように思えた。むしろ――どこか自信に満ち溢れているような。
「そんなの当たり前。だから私は――正攻法で頂くことにする。欲しい物があったら、チップと引き換えがここのルールなんでしょ?」
「あぁ、だがコイツが値の張るものだってことぐらい、見りゃあ分かるだろう。お前が抱えていた額じゃあ、ぜんぜん足りねぇ。五倍でやっと吊り合うぐらいだ」
「五倍……!?」
あれだけあったチップを稼ぐのにも、アリエスは無茶な賭け方をしていた。それを五倍に増やすなんて無理だ。いくらアリエスでも不可能だと、そう睨んでの条件に違いなかった。
「今日が終わるまでに稼ぐか? おっと、外から金を持ってくるのはナシだぜ。もちろん、テメェは参加すらできねぇぞ、テイル・ブロンクス」
……八方塞がりだった。どちらにしろ、【知識の樹】に置いている金を持ってきたところで、足りるかどうか分からないけれど。
「あのさ、いま貰っちゃえばいいじゃないって言ったよね」
「あ゛ぁ……?」
それでも、アリエスは自信たっぷりで。
「用意はできてるよ。先輩の望んだ分だけのチップ」
――――。
用意はできている……どこに?
「ホラを吹くのも大概にしやがれ。どこにそんなチップがあんだ」
ベイ先輩の言う通り、チップはアリエスが抱えているだけしかない。どこからどう見ても、五倍に増えているようには見えないのだ。
「私が持っていない分は、ここにいる皆が払ってくれるわ」
そう言って、周りでこちらの様子を眺めていた生徒たちを指す。
「まさか借金でもしたのか? そんな
「そんなわけないでしょ。これは“正当な賭け”の報酬よ」
「賭けだぁ……?」
なんだかバツが悪そうにしている部下たちの表情。その様子は、確かに“何かがあった”ことを如実に表していた。ベイ先輩の眉根が怪訝なものに変わる。
「おい。オレの見てねぇところで、何があったんだ」
「それが――ベイさんがソイツと奥の部屋で勝負をしている間に、
震える声で部下が話す。
「……は?」
予想外のことに声が出ていた。この場にいる全員で賭けをした?
「そいつぁ、もしや……オレとコイツの――」
「……勝負の結果です」
……いや、いやいやいや。
まぁ、賭けをしたのは百歩譲って理解できるとして。なんでそれで、アリエスの手元にチップが入ってくるんだ? だって――俺はベイ先輩との勝負に負けたんだぞ?
「だって私はテイルの負けに賭けたもんね!」
――おい。
「オッズは高いとはいえなかったけど、それでも十分な額に達したはず! さぁ、負けた皆にはきっちり払ってもらうんだから!」
「そ、そんな無茶な話通るわけがないスよね、ベイさん……!」
そりゃそうだ。そんな無茶苦茶な賭けをして負けたところで、誰が律儀に払うというのだろう。ただでさえ、ここは無法者(と言ったら言い過ぎかもしれないけれど)たちの集まる場所なんだぞ。それに、こんなに大勢いるんじゃあ、誰が何に賭けたのかもはっきりしないのでは?
この展開に付いてこれずにいる自分に、アリエスは『大丈夫』と言ってニヤリと笑う。なにか――あるのか、勝算が。
「ここは
全員の視線が、ベイ先輩へと集まっていた。賭けに勝った奴も、賭けに負けた奴も、それを管理する側も。全てを含めた全員。それは期待と、畏怖と、そして羨望が入り混じったものだった。
賭博場の元締めともいえる先輩が、この賭けを“無いもの”としてしまえば、この場所の秩序がぼやけてしまう。イカサマのない、公平な、勝負師たちが全力で熱量を注げる“天国”の形が。疑心で崩れてしまう。
「ふざけやがって……!」
状況は既に――ベイ先輩が認めざるを得ない状態になっていた。そしてそれは、そのまま機石の取引に応じなければならないということ。この場にいる全員が、賭けの結末と、取引の成り行きの証人となる。
負けたであろう生徒の誰一人でさえ、暴れ出す様子もない。
……認めている。この“賭け”を、正当な勝負として。
だからこそ、下される裁定を言葉も発さず見届けようとしている。
「テメェ、最初からそのつもりだったのか……」
「テイルは先輩との勝負に正々堂々挑んだ。私は中に入れなかったし、打ち合わせなんてしてない。ワザと負ける様子も無かったことは、実際にサシで勝負した先輩が一番よく分かっているはずでしょ……?」
「――――ぐっ!?」
もちろんだ。俺はベイ先輩との勝負に真剣に挑んだ。どうにかして勝とうと全力だった。アリエスの行動に一番驚いたのは、間違いなく自分だ。どこから勝負は始まっていたのか、ベイ先輩あまりのことに絶句して
…………。
そのまま数秒は経っただろうか。アリエスの勝利を認めるのか、それとも全てをぶち壊しにしてでも、この“賭け”を認めないのか。先輩が何を考えていたのかは分からないけども――答えは出た。
「――――フフ……」
「…………?」
……笑って……る?
「グハハハハッ! ハーハッハァッッ!!」
そのままグアッと天を仰ぐようにして、これでもかとデカい笑い声を上げた。並んだ牙が、これでもかとギラギラ光っていた。全員が驚きのあまり、口をポカンと開けている。アリエスでさえ、こんなベイ先輩を見たことがないのか、目を丸くしていた。
「まさか! このオレを!! 賭けの対象にしやがったか!! いいぜ……勝負師ってのは、そうじゃないと面白くねぇ!! 負けを認めてやる!!」
アリエスが有利になれど、賭けとしては何も間違っていない。不正もない以上は、成立させる外ない。別の場所ならともかく、この場では。既に機石との取引の条件は提示されていた。他ならぬベイ先輩自身の口から。
故に――先輩は負けを認めた。
「……ってことは、つまり――」
「機石、貰ってもいいんだよね!?」
「間違いなく、テメェが稼いだチップだ。持っていきやがれっ……!」
ドンッと抱えていたチップをテーブルに起き――アリエスはベイ先輩から機石を受け取った。天高くに
俺たちの――というか、アリエスの完全勝利だった。
……なんだかなぁ。釈然としないんだけど。
結局は美味しいところを一人で
……やれやれだ、まったく。
『取るもの取ったならさっさと出ていけ』とベイ先輩に追い出され、賭博場の扉の外に。きっと中ではこれからチップの回収と分配が始まるんだろう。数えきれない参加者とチップ、どれくらいの忙しさとなるのか。
「やったぁ!!」
「――うわっ!?」
突然に、アリエスが背中に圧し掛かってきた。
……どうやら、勝利の喜びが今更ながらにやってきたらしい。
いつもなら、抱き着こうとしてきても避けるのだけれど……過度な精神的疲労のおかげで、逃げそびれてしまって。気恥ずかしさから解放されたくても、大事な機石を持っているし、無理矢理に振りほどくわけにもいかないし。
どうにも諦めるしかねぇな、こりゃ。
と、なんだかネガティブになってぼんやりと呟く。
「……俺のせいでなんかややこしくなったなぁ」
「何言ってんの! テイルのおかげで勝ったんじゃない!」
俺のおかげ……かなぁ。
アリエス一人で、賭博場に時間をかけて通い続けていれば、いつかは手に入ったのかもしれないし。今回はたまたま報酬として出て来たおかげで、こうして手に入った。けれど、危ない橋を幾つも渡ったのも事実だ。
……自分は別に何も失うものはなかったが、アリエスは違う。
賭博場への出入り禁止。アリエスにとっては娯楽の場所であるのに。
なにより、それが自分にとってはショックだった。
そんなことを言ってみたら言ってみたで、本人は気にしている様子もないし。
「もう私たちも三年生だし、遊びにくる機会も殆どないでしょ。別にもうここで欲しい物も無いだろうし。こうして念願の機石が手に入っただけで、十分過ぎる結果だと思うんだけどな。それに――」
『危ない橋なんて、渡ったっけ?』とアリエスは笑って。
……危なくない橋なんて、一つも無かった気がするんだけどな。
「負ける気もしなかったんだよね。信じられる仲間がいたから」
「…………」
僅かにだけれど、震えていた。他でもない、アリエスの腕が。
人一倍の度胸があるだけで、何も感じていないわけじゃなかった。
『ただ『負けるはずはない』と思い込むのはただの馬鹿だが――『今なら負ける気がしない』って直感するのは、英雄の条件の一つだそうだ』
そんなベイ先輩の言葉を思い出したりして。
……こんな英雄、いてたまるかよ。と心の中で悪態を
こんなに心臓に悪いことを続けられちゃあ、寿命がいくつあっても足りない。
そんなことを考えながら、誤魔化しで『でへへ……』と汚い笑い声をあげるアリエスを引きずりながら、【知識の樹】へと戻っていく。素直に『信じられる仲間がいたから』だなんて言われて、照れ隠しもあるのだけれど。これみよがしに溜め息なんてついてみたりして。
……少なくとも、いま、この瞬間だけは。この帰り道だけは。
仲間の重みを感じながら歩くのも、そう悪くはないかなと。
そんなことをぼんやりと考えていた。
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