第二百十七話 『ギリギリまで追い詰められても』

 波、波、波――!


「先輩まで“波”かよ……!」


 アリエスといい、先輩といい、賭博師ギャンブラーの中では共通認識なのか? 俺には見えないものが、この人種には見えているらしい。


 さっきは“波”を感じた気がした。けれど、ギリギリのところで思いとどまった。その判断が正しかったのか、それとも間違っていたのかは今となっては分からない。


 はっきりしているのは、今の段階で全く勝てる気がしないってことだ。


 勝てるタイミングを“波”だなんだと表すのなら――今の状態は完全に“なぎ”だ。無風の状態、なぎってるにも程がある。ここから風が起こる気配すら感じられない。……勝てない。


 このベイ・ディケイズという、生粋の勝負師には。


 どうする……? 一縷の望みをかけてみるか?

 他でもない、自分の可能性に――


「…………」


『妖精・亜人デミグランデの利用禁止』


 入り口の看板にはそう書いてあり、ベイ先輩と勝負をすることになったのも、それが原因だった。(厳密に言えば、自分は参加してなかったのだけれど)


 それほどまでに、ここで亜人デミグランデが毛嫌いされる理由。それは、ここに入る前にアリエスも説明してくれた。


『目とか耳とかが特別よかったりするとさ、勝負の公平さが損なわれたりするじゃない?』


 そう、大半の亜人デミグランデは、どこかしらヒトを超えた身体能力を持っている。自分だったら、基本的な運動能力はもちろんのこと、動体視力や聴力、あとは嗅覚も。今の状態でも少しは高いのだけれど――亜人デミグランデ化を強めれば、更に比例して向上していく。


 本来なら見えないものが、見えるかもしれない。

 本来なら聞こえないものが、聞こえるかもしれない。


 シャッフルする時の、カードの擦れる音。

 そして――一枚一枚にある疵や汚れなどの細かな癖。


 ……どうする? ベイ先輩は見たとおりの状態だ。亜人デミグランデとしての能力を、この勝負で使ってないという証拠は……ない。


 もともと不利だったのなら、少しはマシになるのかもしれない。本当にベイ先輩が何もしてないのだとしても、これで有利になるのかもしれない。だけれど――


 ここは“賭博場”で。ベイ先輩は、そこの元締めだ。イカサマは許されないし、その前提が成り立っていなければならない。今こうして勝負している相手を信じられなければ、どこまでも疑うことになってしまう。


「――確かにあるんだぜ。“波”ってのは何にだってある。物理的な話をしているんじゃねぇ、“調子の幅”のことだ。理解できるか?」


 すぅ――――。


 頭頂部に意識を集中するのをやめて、大きく息を吸う。


 ……ギリギリのところを試すだなんて、リスクもいいところだ。

 やはり、正々堂々と戦うしかないだろう。


 今やらないといけないのは、冷静になること。


「……分からない……です」


 こうやって、マトモに深呼吸できるだけでも。少しはマシな状態に戻っているという証拠だ。ベイ先輩がさっきから話しかけてくるけれども、それに惑わされてはいけない。


「よく言うだろう?『人生、悪いことがあった分、良いこともある』ってな。勝負だって似たようなもんだ。良い波のときと、悪い波のとき。バカ勝ちできる日もあれば、ボロ負けする日もある」


『……盤外戦術ですか?』『退屈だろう? ちょっとした雑談だ』


 ……いったいどちらが退屈しているんだか。

 少なくとも、自分はこの状況をどうするかで頭がいっぱいだ。


「“波”を意識しながら長いことやってるとな。『自分が今、どういう状態なのか』ってのが、なんとなく分かってくるもんなんだ。オレだって、負けるときはトコトン負けるんだぜ。だが、ボロ負けだけはしねぇ。そういった状態の時は、ひたすらに耐えるのさ。我慢ができずに動いた奴から、持ち金チップを失っていくのが賭けってもんなんだ」


「…………」


  動いてはいないはずなんだがなぁ……。ひたすらに我慢を重ねていたはず。そりゃあ、一瞬だけ危ないと感じたときはあったけど。けれど、それだけだ。なのに圧倒的な差が広がっているのはなぜなんだ?


「ギャンブルってのは、大小あれど結局は運だ。運ってのは、どれだけ頑張ったところで、どうこうできるもんじゃあねぇ。誰しも平等に“波”は起きる。それを読んで、信じ切れる奴だけが勝てる世界だ」


 勝てる瞬間をひたすらに待ちながら、何度も何度もゲームを重ねていく。数枚のチップが行ったり来たり。けれど、ベイ先輩はこちらの手札を見透かしているかのように、的確なタイミングで勝負を降りていく。


 そこらへんは経験の差なのだろうか。俺がベイ先輩の方をいくら見たって、調子の良い時・悪い時の細かな変化なんて分からない。


「オレの一番好きな勝負はな、この――カードを使った勝負だ。……カードってのはダイスとは違う、“自分の運と折り合いをつけられる”遊びなんだぜ」


 粘って、粘って、粘って。

 そうして、最後の数枚となった。

 ベイ先輩でなくとも分かる。これが最後の勝負だ。


「――最後に、少しだけアドバイスをしてやろう。この先の人生で活かせるかどうかはテメェ次第だが」


 持っていたチップを、強制的に全て賭けさせられる。参加費より上に賭けられるチップすら、もう残っていない。あとは、ただ開かれていくカードで、良い役が揃うのを祈るしかなかった。


「ただ『負けるはずはない』と思い込むのはただの馬鹿だが――『今なら負ける気がしない』って直感するのは、英雄の条件の一つだそうだ」


 一文無しの自分相手に、ベイ先輩は掛け金を釣り上げる理由がない。そのままチェックを繰り返し、全てのカードが開かれる。五枚目まで開き、自分の手元と合わせて七枚。できたのは、結局二のワンペアのみ。


 役はできているが、最弱もいいところだ。

 最後の最後でもこれだなんて、トコトン賭け事には弱いらしい。


「……少なくとも、テメェが“ただの馬鹿”じゃないのは分かった。だが、賭けをするには向かねぇ人種だ。ここはな――風がどちらから吹くか、そんな些細なことでも賭けにしちまう、そんな狂人たちが集まる場所なんだぜ。……お前みたいな奴は、ハマるだけハマって、さっさと破滅しちまうのがオチだろうよ」


 最後の勝負――


 自分のワンペアに対して、先輩はツーペア。

 最後のチップが持っていかれる。


「……くっそぉ……!」


 負けられないはずの勝負には……勝てなかった。






「――テイル! 中でいったい何が……?」


 ベイ先輩やその部下の一人と一緒に戻ってくると、アリエスが駆け寄ってきた。……心配そうな表情をしている。勝負に負けてしまったことを伝えるのが心苦しい。


「こいつぁ、オレとのサシの勝負で負けた。魔法や殴りあいにゃ自信があったようだが――カードの腕前は素人だったな」


「じゃあ……ベイ先輩とポーカー対決を……?」

「……あぁ」


 悔しさと、申し訳無さと。まともにアリエスと目を合わせることができない。人には得意不得意というものがある。他にもう少しやりようがあったんじゃないかと、およそ一時間前のことを考えてしまう。


「あぁ、そうだ。多少は粘りはしたが、コイツの負けで終わった。賭けに負けたときの条件は分かっているな? テイル・ブロンクス」


 ……言いたくはない。が、言わなかったとして、それで何か変わるわけでもない。やれるだけの範囲でやった結果だ、アリエスには悪いが受け入れてもらうしかないだろう。


「俺とアリエスは、明日からここに入れない。……悪い、アリエス」


 リーダーとして何とかできるかも、と思わなかったわけじゃない。結果的には、足を引っ張る形になってしまって。


「まさか、テメェが何の考えも無しに連れてきたとはなぁ。オレも舐められたもんだ。……ギリギリまで追い詰められても、イカサマに手を出さなかったことだけは評価してやるが――まぁ、それだけの男だ」


『負けは負けだよなぁ』と。少しだけ持ち上げたかと思いきや、これでもかと叩き落としにくる。敗者である自分を惨めな気分にさせて、さぞかし楽しいことだろう。……もうすでに、結構ヘコんでるからな。勘弁してくれ。


 負けは負け。悔しいが、納得だってしている。

 ここにある機石は諦めて、他で探すしかないだろう。


 ――――。


「…………?」


 自分たちがこの部屋に入ってきたときの喧騒は、今やすっかりと収まっていた。それが異常なことであるのに、今更に気づく。


 それぞれ自由に勝負をしていたあの光景は、熱気はどこにいった? そんなにベイ先輩と一騎打ちをしていたのが面白かったのか? 同じぐらいショックを受けていたとしてもおかしくないアリエスですら――なぜだか堪えたようには見えないのは気の所為せいだろうか。


「なぁんだ、そんなことなのね」


 アリエスが、あっけらかんとそう言った。

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