おまけ 砂漠の夜に

 ――暗い、暗い、壊れた馬車の中。砂嵐はとうに止んで、寝息とイビキが狭い空間を埋めている。その中で毛布に包まり、暖かさに微睡みながら、柔らかな声を聞いた。


「……もう眠っているかしら」

「…………」


 ほとんど自分でも、寝ているか起きているか分からない。覚醒する気も湧かなくて、ただ停滞した思考をぼんやりと受け入れていた。


「ま、聞いてても聞いていなくてもいいけど」


 返事もせずにいる自分に構わず、ココさんが話し始める。他の人を起こさないように抑えられた、まるで内緒話をするかのような小さい声。寝付けないのだろうか。耳を澄ませると、ヒューゴのイビキが毛布越しに更に大きく聞こえたような気がした。


「――魂の欠片といっしょにね、記憶もあちこちに散らばってるみたいなの。困ったことに、探そうにも感覚が鈍ってる感じ。今回の砂漠の件でもそうね。遠くの反応を掴むには、回収した魂の量が少なかったのよ」


 唯一の救いだったのは、ゴゥレムを操ることに関してだけはしっかり覚えていたこと。自身の過去については、半分ぐらい抜け落ちているのだと話す。


『言ってしまえば、これは私を取り戻すための旅ね』と、そう呟いた。


「一番取り戻さないといけない気がしているのは――始まりの記憶。過去の私が旅に出た理由、何か強烈な“願い”。これがあるから旅に出たはずなの。確かに“あった”ということだけは覚えているの。きっと誰にも言えない“何か”が……」


 これまでも魂の欠片を集めてきて、いつかは見つかるだろうと思っていた。けれど、“それ”はまだ見つからない。生前に自分が出した手記も、暇な時に読んで記憶と照合させた。それでも埋まらない記憶が、もどかしくて、もどかしくて。


 だから、自分たちと出会って、学園に来られて良かったと小さく笑う。


「ううん……」


 アリエスだろうか、ハナさんだろうか。

 声の後に、寝返りをうったような音が聞こえた。


「学園の方には講師としている代わりに、人員を提供してもらえるって言われた。魂使魔法科コンダクターの子も付いて来たいって言ってくれた。けどやっぱり、これって私的な問題じゃない? だから、頼むのも気が引けてねぇ」


 ――おい。


 思わず口に出しかけたけども、まだ微睡みの方が強かった。大きく息を吸って、吐いて。耳から声が入ってくるのを、ただただ受け入れる作業に戻る。これでも十分なのだろうか。返事をしなくても。いや、眠っていると思ってるからこそ、こうして胸の内を吐き出せている……?


 役に立てているなら、別にいいんですけどね。


「あ、ごめんなさいね。もちろん、テイルくんたちにも感謝してるのよ。まぁ、本音を言ってしまえば、期待しているっていうのもあるけど。――全員が、とても強い輝きを秘めた、原石のような子たち。私の手で丹念に磨くべきか、自身で輝きを見つけるのを見守るか、毎回悩んじゃうぐらいに。トト以外でこんな風に思えるのは、テイルくんたちぐらいよ」


 そうして、話は次第にトト先輩を中心としたものになっていく。


「あの子も、普段はやいやいと文句を言いながらだけど……。やっぱり魂使魔法師コンダクターとしての素質というか、探究心みたいのがしっかりしているのよね。血筋っていうのはあると強く認識しちゃうわね」


 初めて出会ったときも、周りとは違う雰囲気だったトト先輩。そのゴゥレム捌きは常人離れしたものだったし、それをほぼ独力で習得したというのだから。それが、ココさんという優れた師――己の原点の戦いを間近で見ているということで、更に研ぎ澄まされたものになっていた。


「学園で学ぶだけじゃなくて、実地での経験をさせてあげた方が成長に繋がると思った。ただの親心……ココにはただの老婆心って皮肉を言われるでしょうね。特定の何人かを贔屓目ひいきめで見ちゃって、先生としては失格なんだけど。ま、我儘わがままの一つだと思ってもらえればいいわ」


 ココさん本人は、トト先輩の成長を意識しているようだった。トト先輩の方はどうなのだろう。やはり自分の中で変化があったりすると気づくのだろうか。しばらく前に話したときは、ドタバタして上手く聞けなかったけれども。


「あの子も、なんだかんだ言ってテイルくんたちのことを気に入ってるのよ。学園の中で他の人といるときが極稀ごくまれにあるんだけど、ほんと窮屈そうにしているんだもの」


 ――またまたご冗談を。

 目も開かず脳内で相槌を打ったりして。


『他の人には分からないかもしれないけど』と、また頭をグリグリと撫でられて。抵抗する気力がないので、なされるまま。


「テイルくんたちと接するようになってかしら。最初はそれこそ、『誰も彼も殺してやるっ』って目つきをしてたのに、いつの間にか角が取れたようになって。今はそれほど警戒しながら生活する必要もなくなったわ」


 ココさんを学園に招いてしばらくの間は、全力で命を獲りに行くトトさんに巻き込まれないかヒヤヒヤしたものである。


 ――そこから、少しぎゅっと身体が押される感じがして。上体を屈めたのか。陰を落とすように(と言っても、既に真っ暗だけれど)、声のトーンも少し沈んだものになる。


「時期の問題もあって、どうしてもララとの面影は重ならないし。私の孫っていう感じはしないけれど――それでも、愛おしさというのは確かにあって」


 先程までの、こちらに話しかけているのではなく、ただ呟いているだけ。誰かにではなく、どこへでもなく。自分の頭の中にあるものを、少しずつ掘り起こしているような……。


 娘が小さい頃に旅に出たって言っていたっけ。

 ……それが今から六十年もの前のことだっていうんだから、耳を疑ってしまう。


「初めに孫だと言われたときには、なぜだか少し嬉しかったのよね。……その後に実の娘の方が亡くなってると聞いても、涙を流せないほど冷たい女だったのに。悲しくなかったわけじゃない。でも、どこか感情が希薄に感じたのは、きっと魂の濃度が薄いせい」


「…………」


 あれ。ここまでプライベートな部分まで聞いてもいいのか。

 眠っていると思われてんだよな? いいのか?


 そうして起きるかどうか迷っているうちに、ココさんが口にしたのは――


「……やっぱり不安なのよ。前も後ろも不安ばかり。自分の憶えていない“自分”は正しいことをしてきたのだろうか。自分を取り戻したあとの“自分”は、元通りに人らしく泣けたりするんだろうか。とかね」


 ――不安だった。


 ずっと溜めていたものを、吐き出したかったのだろうか。普段のココさんからは、決して聞くことのできないもの。トト先輩がこの場にいないのも、一つの理由には違いない。


「まぁ、らしくないことばかり言っちゃったけど、明日からは気合を入れていきましょうか。……きっと、酷い戦いになると思うから」


『なんたって、天才の私同士がやりあうんだからね』とだけ最後に言って。

 ココさんも寝息を立て始めたのだった。

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