第百七十六話 『“色濃く出ている”ということですね』
「もう一生分の砂を見たような気がするぜ」
「……砂漠はもういい」
砂の海とはいえども、実際の海辺の砂浜とは天地の差だ。
海はいいな。海水浴なんて何年もしていない気がする。
ここから帰った暁には――
「帰りにも見るわよ♪」
「あぁぁ……」
なんとか楽しいことを考えようとしてたのに。
なんでそんなに嬉しそうなのか。
――というか、帰りどころか野盗退治には砂漠に出ないといけないわけで。あぁ、本当に短い現実逃避だった。ただいま灼熱の砂漠。今は宿の一室だけれど。
二時間の
「はぁ…………」
日陰というのは、ここまで
今は一通りの用事を済ませて、やっと一息つけたところ。ヒューゴと二人で床に大の字に転がっていた。こっちは宿に着くまで、ずっと歩きっぱなしだったんだぞ。女性陣はずっと空の旅だったからか、涼しい顔で『ご飯は期待していなかった割に美味しかったよね』とか話していた。
「この町では豊富に地下水が汲み上げられているらしいわ。だから植物だって育つし、野菜も強いものなら栽培することができる。家畜が飼われていたのもそのためね」
「地下水が枯渇することはないのでしょうか……」
「そうなれば、別の場所に移動するでしょうね。この砂漠のどこからも湧かなくなれば、どうしようもなくなるだろうけど。けど――こんな環境でも、大きな自然の環の中にある。そう簡単には無くならないと思うわ。それこそ、水の精霊になにかあったりでもしない限りは、ね」
――ココさんも精霊の存在を知っている。一応、ハナさんの精霊――ヴィナのことも、行きの船の中で話していた。ココさんにしては珍しく驚いてたなぁ。
「――で、食事ついでに色々と準備をしてもらったわけだけど……」
そう言ってココさんが取り出したのは、このクラヴィット周辺の地図。これはアリエスが外の者向けに売られてたものを、さんざ値切って購入したものである。あくまで他の町や遺跡などとの、ざっくりとした距離と方向が分かる程度のものだったし。ほとんど周りが砂で埋め尽くされているといっても限度がある。
――そんな地図だったのだけれど。だからか。
地図は丸められたまま、テーブルの脇に置かれた。
「作戦会議の前に話すことがあるわよね」
『まず、質問なんですけど……』と、手を挙げたのはアリエスだった。
「あれって、本当にココさんなんです?」
「……勘だよりで言っちゃうけど、私で間違いないでしょうね」
少しだけ、自身の魂の欠片と感覚の話をして。何らかの原因によって、幼少期の姿を持って現れたと説明する。
「なんで襲ってきたのかは、流石に分からないけど」
「幼少時代のココさんかぁ……」
アリエスが恍惚とした表情をしていた。……クロエのときもそうだったけど、可愛い子には目が無いらしい。一歩間違えばヤバい奴だ。
「同じ魂なのに、なぜあのココさんは小さい頃のココさんだったのでしょう?」
「まぁ、厳密に言うと――完全に“若い頃の私”というわけじゃないだろうけど」
どういうことかと誰かが口を開く前に、ココさんがテーブルの上に出したのは――透明なコップと器だった。器には、なみなみと水が注がれている。大小に分かれた二つのコップには、それぞれ少量の色水が入っていた。小さい方には赤で、大きい方には青。……いったい何に使うのだろう。
「どういうことが起きているのか。それを今から説明しましょう。――赤い方が、幼い頃の私の性質・経験だとするわね」
そう言うなり、大きな器に赤い色水を静かに
血のように濃い色水は、透明な水の中に注がれても広がらず。
その場でもやもやと留まっていた。
「そして青い方が、成長していくにつれ得た私の性質・経験。どちらもざっくりと、情報の塊――魂そのものだと考えていいわ」
そしてかき混ぜることもなく、赤い色水を注いだ部分と被らないようにして、青い色水も静かに器に注いだ。
「今、この器の中には、“幼少時代”と“その後、成長したとき”の両方の情報が入っていることになるわ。一定の境界を基準にした“過去”と“未来”よ」
「過去と……」
「未来……」
ココさんが指した先を見ると、水の中では“赤いもやもや”と“青いもやもや”がそれそれ筋となって漂っている。
「こっちの小さいコップを、仮に『私B』の器だとしましょう」
小さい方の器――つまりは、ロリココさんのことである。
「『私B』……小っちゃくて可愛い方のココさんのことですね!」
水の中の色水が混ざってしまわないように、ゆっくりと静かにコップを沈めて。掬い上げながら、『可愛い方……今の私は可愛くない方なのかしら』とニッコリ。
張り合ってどうすんだ。
「す、すいません……」
静かな圧におされて『あはは……』と肩を縮こませるアリエス。そんな彼女を一瞥すると、ココさんは小さなコップをテーブルに置く。二色の色水が混じった水を掬ったコップの中身は、赤と青が9:1ぐらいの割合になっていた。
「そして、これが『私B』の魂の状態――」
ぐるぐるとかき混ぜた水は、ほんの少し紫がかっただけの赤色へと染まった。
「魂の状態に外側が引っ張られているから、ああいった見た目になってるわけね」
「……文字通り、幼少時代の情報が“色濃く出ている”ということですね」
…………。
「……やるじゃない。80点あげるわ」
「よっしゃあ……!」
なんだか知らないけど80点貰った。たぶん何の役にも立たない80点だ。
それでも嬉しいものは嬉しいので、ガッツポーズをしてしまう。
――案外、自分もチョロかった。
「……オホンッ。いいかしら」
咳払いをして、もう一つの大きなコップで器の水を掬うココさん。その中身は――さっきとは逆に、青の割合が多い。先程と同様にかき混ぜると、青色が少し濃く出た紫色が出来上がる。
「私にはおぼろげではあるけど、幼少期の記憶もあるわ。平たくいえば、今説明した通りのことが起こっているからでしょうね。逆に言えば、向こうも今の私の記憶を少なからず持っている。……やっぱり感じるのよ。自分の半身のような感覚を」
…………。
「最初に説明したけど、あの子が今の私みたいに身体を得たと考えて間違いない。半分予想外で、半分やっぱりといった感じだったけれどね。本来なら、あり得ないことなんだもの」
「ありえないというのは?」
「一定以上の魂が集まることを条件として設定していたのよ。でないと、あちこちで私が復活しちゃうじゃない? あ、もちろん、残りの魂ではまずあり得ないという意味だからね」
世界にわんさかと現れるココさん……。
……うん、カオスだな。
「なにかしら原因があると考えるべきね。ともかく魂の状態に戻して回収するのが、今回の目的よ。状況次第では、あの子と戦う必要があるってこと。というより、その方が手っ取り早いでしょうね。……あの魔導書の力なのか、とびきりの雷魔法を使ってくるあの子と、だけれど」
『一筋縄ではいかないわよ。自分で言うのもなんだけれどね』とニヤリとしながら言われても困る。せめて自分の魂なのだから、自分で処理してはくれないだろうか。他の障害はなんとかするからさ。
「あの……。同じココさんなのですし、話し合いで解決はできないのですか?」
「んー……。まぁ、無理でしょうね。人の話を聞くタイプじゃなかったし――」
過去へと思いを馳せているのか、途端に遠い目をし始める。
いったいどんな幼少時代を送ってきたのだろうか。
「あの頃の私はそう……。倫理観が特別欠けていたわ」
「何言ってんだアンタ……」
ホントにどういう幼少期を送ってきたんだ。
「自身の探究心のためなら、多少のルール破りは
「あーあーあー、いいです、分かった気がします」
『みんなもそういう時があったでしょう?』と聞かれても、首を縦に振る者はいなかった。
……ま、そりゃそうだ。
苦笑いをしたり、肩を竦めたり。
みんな似たような反応だった。
なんというか、あれだな。幼少期ゆえの残酷な部分があったんだろう。虫の触覚とか足なんかを千切っちゃうような、そんな時期だ。あれが酷くなったもんだと、適当に想像しておく。……気が滅入っても嫌だしな。
「ともかく。見知らぬ他人にいきなり雷を落としても、なんらおかしくない子供だったってことね」
「それはどうかと思うんだけど……」
散々な話を聞いて、『どこからどう見てもおかしいことだらけだ』と突っ込む気力は、誰にも残っていなかった。
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