第百七十五話 『砂嵐が来る!』

 突然の襲撃者――ロリココさんは去っていった。


「小さいころのココさん!? どういうことです!?」

「……町で一旦整理してから話すわ」


 となれば、町へ行こう。……でも、どうやって?


「馬車は壊れた。馬は逃げ出した。目的の町はまだ見えないぞ」


 一難去ったかと思ったが、ここは砂漠のど真ん中。灼熱地獄。ずっとこのままでは、限度を超えた暑さに干からびてしまう。


 ――つまり、命に係わる現状。なにも状況は好転していない。


「歩いて向かうしかないわね。……ねぇ、ここからどれくらいかかるの?」

「だいたい……二時間ぐらいだ」


 ハナさんによる怪我の治療を終えても、視力はまだ完全には戻っていないらしい。御者は目を閉じたまま、ココさんの――声のする方へと向きながら答えた。


「二時間なら歩けないこともないか……」

「でもよ、どっちに歩いていけばいいのか分からねぇぞ」


 砂、砂、砂。どこを見渡しても砂丘しかない。これでは方角もさっぱり分からない。すなわち、村を目指していても反対方向へ歩いていた、という可能性もあるわけで。万事休すかというところで『安心しろ。砂漠を移動するにはコツがある』という御者からのお言葉。


 ……良かった。こんなところで行き倒れなんて嫌だからな。


「俺たち砂漠の民は砂の海を渡る時、大きな砂丘を目印にして進んでいる。俺が形を教えてやるから、その方向に進めば――」

「分かるかぁっ!!」


 無茶を言うな無茶を。大きいって言ったって、今ざっと見ただけでも四、五……とりあえず分からん。風が吹いて形が変わるような砂丘の違いなんて、さっぱり分からん。


 ほんの少しの草木すら生えていないこんな場所じゃ、ハナさんの妖精によるナビゲートも使えない。精霊も今日は一度も見ていないし。


「どうする? このままじゃ八方塞がりだぜ」

「私が空から位置を確認するわ」


 頭を抱えたヒューゴの傍から、ココさんが鳥型ゴゥレムククルィズ飛び上がる。


「それじゃあ、案内するから――」


 ――と、こちらを見下ろしてそう言った数秒後。

 慌てた様子で急降下してきた。


「全員急いで馬車の中に入って! 砂嵐が来る!」

「砂嵐ぃ!?」


 そんな突然にやってくるものなのか。初めての環境で戸惑うことばかりだった。砂嵐の中で無理に動くのは自殺行為だということで、馬車の残骸で止むのを待つ。


「みんな入ったわね。それじゃあ、真ん中の方に寄って。隙間を塞ぐわ」


 もう一体の人型ゴゥレム――アルメシアも出して。前と後ろに一体ずつ、隙間を塞ぐように外に背を向けて動かなくなる。


 次第に風の音が強くなり、白い布が張られただけの馬車の天幕が見えない手に押さえつけられたかのように歪む。内側からでも、砂が積もり溜まっていくのが分かった。


「この規模だと、一時間や二時間では収まらないだろう」

「方角は確認できたけれど、今日はこのまま野宿ね……」


「……いや、それはマズい。無理にでも砂の中でも夜の砂漠は極端に冷え込む。何の装備も無ければ凍えてしまうぞ――」


「いや、それが……」


 ――――。


「テイルが毛布を買ってて助かったね」

「ヒューゴくんの魔法で火を焚いてもらうことも考えていたけど、これなら大丈夫そうね。魔力の温存はしておくに越したことはないわ」


 ハナさんの魔法である程度回復した御者の分は、もともと所持していたものがあった。まぁ砂漠の民というぐらいなのだから、夜の砂漠での過ごし方も熟知しているんだろう。


 やはり夜の砂漠はとても冷え込むらしい。


 こうして実際に砂漠に訪れて分かったのだけれど、本当に空気が乾燥している。身体を包み込む湿気が全くない。つまり昼の間に上昇した温度も、遮られることなく放出されていくということだ。


 亜人としての身体で、体中が毛だらけでも流石にこれは堪えるだろう。けれど、このまま放置しておいてはいけない懸念もあった。


「でも……。このままじゃ、ココさんのゴゥレムが――」


 砂嵐の盾となって馬車を塞ぎ続けていると、まともに動かせなくなるのではないか。後々の事を考えると、せめてククルィズぐらいは。それこそ毛布で覆っておいた方がいいのではないか。


「それだと、テイルさんはどうするんですか?」

「俺は――別に亜人デミグランデだから。毛で覆われてるし、多少は寒さにも耐性がある。マントだってしてるし、凍え死ぬことはないさ」


「確かに考え方自体は合理的だけど、それでテイル君になにかあったら元も子もないでしょうに。どうせなら、私の毛布に入ればいいじゃない」


「え゛……?」


 ――――ピシッ。


 自分と、ココさんと、そして御者を除く、三人の視線が鋭くなった気がした。ヒューゴは言わずもがな『ずりぃぞ!』ってやつである。口に出さないだけマシか。


 方や眉根を寄せるアリエスの、こちらをいましめるような視線。あれか、男女が一つの毛布に入るのに反対ってことか。いや、俺もそう思うんだけども――


「他の子と一緒に使うには少し小さいだろうけど、私には大きすぎるぐらいだから丁度いいでしょ。別にいいじゃない、取って食おうってんじゃないんだから」


 魔法を極力使わない。ククルィズの可動性の確保。全員が凍えずに夜を過ごす。これらを満たす選択肢が限られていたのだから仕方ないではないか。


 …………。


「……あ――」

「あ……?」


 そういや小さくなれるじゃないか、俺。猫の姿へと変わって、いそいそとココさんの足元へと向かう。これなら別に咎められる謂われはないぞ。オス猫はセーフである。


「……まぁ、これはこれでいいわね。湯たんぽ代わりにもなって。膝の上にでも乗せておくことにしましょ」


 ――というわけで、夜の過ごし方が決定した。






 それぞれが毛布に包まって、体温が下がらないようにして。自分はココさんが被った毛布の中で、膝の上で丸くなりながら眠ることにした。


 服の布越しに伝わる体温。ココさんが呼吸する度に前後するお腹が、背中に程よい圧力を与えてくる。たまに手持ち無沙汰なのか、頭をカリカリと掻いてきたことに関しては抗議しようかとも迷ったが、尻尾で不機嫌を表すだけで留めておいた。


 ココさんが頭まですっぽりと毛布を被ると、息遣いまで聞こえてくるようで。落ち着かないにも程がある。……自分が猫になれてよかった。人の状態で一緒の毛布になんて入ったら、眠るどころじゃなかっただろう。


 ――とか、そんなことを考えてドキドキとしながらも、いつの間にか意識も微睡むもの。


 ふっと気が付いたときには、『そろそろかしらね』『この時間なら、移動しやすいでしょう』というやりとりの声で目が覚めた。馬車の中の空気はひんやりと冷たい。毛布の中から顔を出すと――砂ですっぽりと覆われているのか、布越しで外の様子は窺えない。こうも真っ暗だと、モグラにでもなった気分だ。


「みんな起きて!」


 全員がもぞもぞと毛布から這い出て、未だはっきりとしない寝ぼけまなこを擦る。

 だいたい何時間ぐらいだろうか。五、六時間は寝ていたような気がするけど。


「準備はいい? 外に出るわよ」


 誰かが『でも、どうやって』と言う間もなく、ココさんがゴゥレムの後ろの砂壁に触れた。魔法光が淡く灯り、左右に砂が分かれるようにして出口ができていた。


 ……魂使魔法は物体を意のまま操る魔法。

 周りの砂を一つのゴゥレムのように操っているのだろうか。


「はー、生き返った気分」

「土葬だけはいいやって気がしてくるな」


 流石に死後のことはどうでもよくないか。アンデッド云々の話を考えなければ、火葬も水葬も変わらないだろうに。


 ココさんの魔法によって外に出て。空はまだ群青。一部の方角の、砂の丘の輪郭線が明るく縁どられている。まだ日が昇り始めて間もない朝だった。


「ククルィズはテイル君のおかげでなんとかなったけど、アルメシアはダメね」

「うわぁーあー……。砂があちこちに入り込んでる……」


 様子を見たアリエスも悲鳴を上げている。


 それはもうびっしり。関節部分が少しでも動くと、砂が落ちながらギシギシと嫌な音を立てる。これにはココさんも肩を竦めて『早く町で整備したいところだわ』と言っていた。


「それじゃ、男二人はしっかり歩いてね」


 操縦者であるココさんと、ハナさん、そして御者の三人がククルィズに乗って。アリエスも自前の機石バイクロアーに搭乗済み。飛ぶ手段のない俺とヒューゴは歩きにくい砂の上をひたすら徒歩となる。


 御者の目もすっかりと回復していて、町への方向は太陽の位置から分かっている。途中で高度を上げながらルートを確認しているらしく、特に問題なく二時間後には町が見えてきたのだった。


「長かったなぁ……」

「慣れない砂漠で大変だったわね。町なら安全は確保される筈よ。それじゃあ――クラヴィットに着いたら、朝食をとって作戦会議としましょうか」

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