第百七十三話 『“魂”とはなにかって話からする?』

 波の音に合わせて、世界が揺れる。上下に揺れる。思えば、“この世界では”初めての海の上か。海沿いの町は何度か訪れたことがあったけど。


 港町パルミーツに到着後は、さっさと食事を済ませて、ココさんの手配した船にさっさと乗り込んでいた。


 ヒューゴを筆頭に、アリエスもハナさんも船からの景色を眺めるのに夢中だった。自分はそれとは別行動。別に猫の亜人デミグランデだからといって、水が極端に怖くなったわけでもなくて。


「珍しいわね、甲板からの眺めもなかなか楽しめるのに。やっぱり水は怖い?」

「……別に、猫の亜人デミグランデだからってわけじゃないです」


 ただ、景色を眺めるにしてもなんだか気分が乗らないので、客室でのんびりと横になっていただけ。


 ……船に乗れるような生活はしていなかった筈なのに、確かにある海上の記憶。転生してくる前の、前世の記憶。こんな木造の船じゃない。鉄とエンジンでできていた、何度か乗っただけのフェリー船。楽しいのはなんだってそう。最初の一度だけだ。


 それから一言二言だけ言葉を交わして。ココさんは『そう』とだけ呟いて、荷物の中にあった本を取り出して開いた。茶色く、大人の手にならすっぽりと収まりそうな程度の小さな本だ。


 背表紙には自分の読めない文字で、何やらタイトルらしきものが書かれている。表紙にも同様の文字列と、大きな花の絵が描かれていた。傍から見れば、絵本を読んでいる子供もようにも見えなくないけれど……。きっと中は文字でびっしりなんだろうな、ということはページを捲る早さから見ても察せられる。


「…………」


 静かに本を読んでいるココさん。黙ってちょこんと椅子に座っている様子からも、この中で最年長というのが疑わしく思えてくる。それほど視覚からの情報というのは大きいのだ。


 口を開けば、やはり経験豊富な人生の先輩ということが分かる。それを確認する意味でも、気が付くとポツリと話しかけていた。その本の感じからも、何度も読んでいるような跡が見て取れたし。きっとただ暇を潰しているだけなんだろうと思ったからである。


「そもそも……」

「ん?」


 今まで気になっていたけど、特に聞くタイミングが無かったこと。別に自分が知っていようが知っていまいが、特に問題の無い事。けれども、雑談代わりには丁度いいだろう。


「魂の欠片ってなんなんです?」


 いや、なんだか言葉の意味は分かるんだけれど。厳密にはどういう状況なんだろうということ。……まぁ、一年経ってから聞くような内容か、と言われれば微妙なところではある。


「“魂”とはなにかって話からする?」


 ……けれども、ココさんも機嫌がいいようで。雑談に乗ってくれるらしく、本を仕舞って、小さく咳払いをしてから話をしてくれた。


 ――それは、どこかの神官曰く。

 魂とは、それぞれに違う形、色、大きさがあり。

 それは器が成長するにつれ、同様に成長していくもので。


 ――それは、どこかの学者曰く。

 魂とは、その生物の生きた軌跡であり。

 知識や技術、経験等を記録・蓄積するための媒体のようなもので。


 ――それは、どこかの魂使魔術師コンダクター曰く。

 魂とは、その生物の本質であり、そのものであり。

 例えるならば、液体のようなもので。

 仕方なく肉体という器に、収まっているだけにすぎないもの。


「……なんだか哲学的な内容になってきたような」


 人の精神や魂と呼ばれているものは、所詮はただの脳の電気信号――というのは嘘っぱち。でないと、俺が前世の記憶を持って転生してきた説明がつかない。魂というのは、確実にあって。そして肉体は器に過ぎない。というのは、理解できる気がする。


 問題は、それが分裂してもいいものなのか、という話である。実質いまのココさんの魂は100%ではない。だからといって、魔法使いとしては何ら問題なく動けている。それはココさんだからなのか、一般的にそうなのか。


 道具を使い続けていたら、使用者の魂の一部が道具にも――という話を昔どこかで聞いたことがある。生霊だって似たようなものなのかも。そう考えると、それはそれでありなような気がしてくる。


「魂が複数に分かれても大丈夫、っていうのが私の考え。ちゃんと研究して出した結論なんだから。それに魂使魔法師コンダクターっていうのは、誰しも“魂”について一度は真剣に考えるものよ。まずはそこを学ばないと始まらないの。前に少し話したかもしれないけど――」


『魂使魔法も大きく分けて二種類あってね』と指を二本、人差し指と中指を立ててVサイン。魂使魔法は専門ではないけれど、感覚的になんだか分かる気がする。それは、今まで見た魂使魔法師コンダクターを見れば明らかだ。


「死者の肉体や魂を操る魔法と、それを人工的に用意して操る魔法ね」


 ――大別すると、そういうこと。


 細かい話を聞いてみると、前者はいわば死霊魔術師ネクロマンシーに近い。確かにこれまでの話からも、魔法の内容はあまり人に好まれるようなものじゃなかった。


 後者はまさにココさんのような、ゴゥレム使いが中心。彼女は自分に説明をしながら、ビー玉よりも小さいぐらいの機石を懐から取り出して。同じく取り出した灰色をした粘土にうずめた。どうやら、実際に何か見せてくれるらしい。


「古い方の『生物をそのまま利用する』魔法と違って、新しい方の魂使魔法は、言うなれば『生物と認識されるものを作り出し操る』魔法なの」

「生物と認識される……?」


「ゴゥレムだって、空っぽの操り人形じゃない。魂使魔法師コンダクターが作り出した魔法の、“作り物の魂”を核として動いてる。作り物の魂に、作り物の身体。構造としては生き物の身体っていうのは合理的にできてるのよ。動かすには一番都合が良いわ」


 何かの動物を作ろうとしているのだろうか。

 ココさんは器用に、手で粘土の形を整えていく。


 極度の集中を要するのか。作業が進むにつれ、少しずつ額に汗がにじんでいた。


「でも、構造が分からないものは作れない。だから私達はなによりも、実物をよく観察するわ。上手く真似するためにね。生き物そっくりの身体を作るのは基礎の基礎。そして問題となるのは――いかにあるはずの無い“命”を吹き込むか」


 丸い身体に短冊のような四角い尾。そして左右に広がる翼に、羽根を表す模様が付けられていく。あとは嘴の部分を伸ばして、目を付ければ――あっという間に小鳥が出来上がっていた。


「――目の前で何かが動いていて。それが生物だと、どう判断するのかしら」


 ココさんからの問いかけ。その両手のひらの上では、小鳥が羽根を羽ばたかせながらぴょんぴょんと跳ねまわっている。まるで本当に命が宿ったるかのように、活き活きとしていた。身体が羽毛で覆われて、鳴き声をあげていたら騙されてしまいそうなほどに。


 ――体温?

 冷たい生物だっているわよね。


 ――生き物としての挙動?

 幾らでも真似してあげるわよ。これは材料の問題で飛べないけど。


 ――繁殖……。種としての営みのサイクル?

 ……まぁ、そこまで長期的に観察すれば確かに判断できるでしょうね。


 でも、ヒトは一目でそれが生物かそうでないか理解できるの。自信を持ってね。


「目の前に生物がいて、それを“生物だ”と言いきれちゃうのは何故?」


 あれ……。そう考えると、生物って何なのだろう。

 ヒトだって、犬だって、猫だって生物だ。

 それに動物だけじゃない。植物だって、立派な生物である。


 でも、そのどれもが見れば分かる。『生物だ』と漠然に認識できる。

 ……まぁ、動いていれば、だけれど。


 もっと言うなればキノコやカビのような菌類も、一つ一つは目に見えないだけで、小さな生物の集まりのようなもの。更にミクロに見れば、細菌だって生物として扱われているはずだ。


「さぁ、何をもって生き物、生物と見なしているの?」


 ――結局、出せた結論は漠然としたもので。


「なにをって……生きているから、としか……」


 少なくとも、自分の生きていた世界では、どれだけ技術が発展しても“生物”と“それを模したもの”の壁を取り払えてはいなかった。犬や猫を模したロボットはいても、それはロボットだと一目で分かる程度のもの。


 人の表情をリアルに再現したものだってあったけど、どうしてもそこから違和感を拭い去ることはできなかったのだ。それに『なぜか?』と問われても、『生きてはいないから』としか答えようがないものがそこにはあった。


 生き物は、生きてるから生き物だという、当然で不思議な答え。

 首を捻りながら、なんとか捻り出した答えだったけれど――


 ココさんはそれを馬鹿にしたりせずに、『まぁ、概ねそれで正解なのよね』と肩を竦めていた。


「生きているものは生物で、生きていないものは無生物。生物かそうでないかは、“魂”がそこにあるかで決まるわ。人の目には見えない違いが、“絶対的な何か”が魂にはあるのよ」

「魂が……」


 そこで最初の話に戻るのか。


 ――魂とは、肉体という器に収まる、器が成長するにつれ同様に成長していく、知識や技術、経験等を記録・蓄積するための媒体のようなもの。生物が持つ、命そのもの。


「私たち魂使魔法師コンダクターは、生物を模倣しているの。それは別の生物を材料にすることもあるし、無生物を材料にすることもある。ただ一番大事な『生きている』ということ、“魂”だけは作りだせない。少なくとも今はね。だからそこだけは、その昔は他から補っていたのが、魂使魔法師コンダクターのはしりのようなもの」


『器を失った魂を魔法を使うことは、今は禁止されてるけど』と念押しされて。


「話を戻すと――私は少し人に言えないような勉強もしてきたし。だからこそ、魂の扱いも一流だったわけ。復活が上手くいくか“だけ”は賭けだったけどね」


 そう言って、手の平の上にあった小鳥のゴゥレムを両手で包みこむ。


「今のゴゥレム、本物の小鳥のようだった?」

「……は、はい。“魂”が無くても、あそこまでそっくりに動かせるなんて――」


 ――と、言った所で少し引っかかる部分があった。


 わざわざ『“だけ”は』と強調したように聞こえたからだ。それに、今のゴゥレムが、あれだけ違和感なく、生物そっくりに動いていたのも……。『魂が宿っているものは、一目見ただけで生物と認識できる』、『魂が宿っていないものは、必ずどこかに違和感が生じる』という話は何だったのだろう。


 手の中ではぐにぐにと、せっかく作った粘土のゴゥレムが潰されていく。

 魂の扱いに長けたココさんの、手製のゴゥレムが。


「“魂”はちゃんと入ってたわ」

「え……」


 ――少しだけれど、新鮮な魂がね。


 ニッコリ笑うその表情の、その奥の冷たさが――緩やかに背筋を撫で上げた。

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