第百五十八話 『――やっぱ逃げるか!』

 獅子のたてがみのような前髪と、鋭い眼光。ビリビリとしたプレッシャーを放つのは目の前の男。我こそは百獣の王と言わんばかりの雰囲気を纏って。グレナカート・ペンブローグはそこにいた。


 できれば、こんな所でかち合いたくなかったんだがな……。


 入学の頃からずっと、ウマが合わないとは思っていた。きっと向こうも同じだろう。互いが互いに、どこか気に入らないと思っていて。それは学生大会で拳を交えた今でも変わらない。


 かたや誰もが羨む名家の長子。かたや泥水啜って生きてきたような、殺しも盗みもやってきた薄汚れた家の末子だ。普通だったら、まず関わり合いになるはずもないってのに、学校ってのは凄いところだよな。


「……こんなところで時間を浪費している暇はないんじゃないか? 時間が経てば経つほど、生き残るのが困難になっていくぞ」


「――それで俺が見逃すと思うか?」


 ここで戦うことがどれだけ不毛か。せっかく説いてやろうというのに、ばっさりと切り捨てられてしまった。むしろ物理的に切り捨てようと、鋭い突きの一撃が飛んで来た。


 ――問答無用かよっ!


「お前だって、ミル姉さんの強さは分かってんだろうが!」

「何も問題はない。俺が勝ち残りさえすれば十分だ」


 訓練に最後まで残るどころか、合流さえ危ぶまれてる状況だというのに。


 流石のコイツでも、ミル姉さんと一対一で戦って無事でいられる筈はないと思うのだけれど。自分は大丈夫だなんて、どっからその自信が湧いてくるんだ。


「そうかよ……!」


 嫌々だけども、ここで背を向けて逃げるわけにもいかない。なんたって、“あの魔法”があるのだから。それならば、懐に入って戦った方がまだ可能性はある。


 こっちが焦っているのを見透かされているのか、それとも実力を測っている最中なのか。大振りだったのは最初の一撃だけで、それからはこちらが押しているようにも見えた。


 確かに強かったけれども、自分だって遊んでいたわけじゃない。ミル姉さんとの特訓を通じて、少しずつだが成長は感じていた。ギリギリまで神経をすり減らして、やっと回避していたあの頃とは違うのだ。


 木々の間を縦横無尽に跳んで切りつける。激しく動く視界の中で、次々に火花が散る。必殺のカウンターでさえも見てから十分に対応できていたのが、自分でも驚きだった。


 ――学生大会の時の焼き直しじゃない。


 まったく触れられない場所にいた。

 そう思っていた相手に、ここまで近づいてきている。


「俺だって成長してんだ! 吹き飛べ――!」


 武器越しに魔力を打ち込むのだって、格段に上達している。剣を大きく弾いて、追撃。いっそのこと行動不能まで追い込んでやろうかと思っていたのだが――そう簡単にはいかないらしい。


「…………!?」


 確かに魔力を打ち込んでいるはずなのに、少し後ずさっただけで再び斬りかかってくる。ミル姉さんとの戦いとは感触が違う。こんなことは無かったのに。


 次第に、ナイフを受けてから切り返してくるまでのが短くなってきている気がする。


「……この程度か?」


 


 ……単に剣術によるものだけじゃない。探知魔法を使わずとも、なんとなくの感覚で分かった。――向こうも剣に魔力を通していた。


 歳だって変わらない。戦いの経験なんて、俺と対して差が無い筈なのに。

 これが天才ってやつなんだろうか。


「チィッ――」


 舌打ち。しばらく剣とナイフが交わる音が断続的に響く。去年とは逆の構図なのに、自分の焦りばかりが大きくなっていく。そんな中で、戦況を引っくり返そうとグレナカートが大きく動いた。


「運が悪かったな」


 ――魔法が来るっ!


 足元に魔法陣が広がると共に、全身を押しつぶすように重力が伸し掛かってくる。これでは機動力で撹乱できないばかりか、筋肉量で劣る自分が圧倒的に不利な状況だった。まだグレナカートも範囲内にいるだけマシだけれど――


「…………!?」


 前とは何かが違う。徐々に魔法陣が変化していく。

 自分を捕らえた次の瞬間から、少しずつ小さくなっているように見えた。

 ……まさか、俺だけを捕らえておくつもりか。


「お前はここで脱落だ……!」


 グレナカートが自由に動けるようになったら、抵抗することも難しくなってくる。この魔法陣をどうにかしなければ、俺の負け――下手すると【知識の樹】全員のピンチに繋がってしまう。


 それだけは避けないと。……仲間たちと約束したのだから。


 ――仕方ねぇな、俺だって奥の手だ。


「そんなに敗北を味わいたいんだったら、手伝ってやるよ――!」


 対ヴァレリア先輩を想定してのテスト運用だ。ここでグレナカートの魔法を奪えなければ、とてもこれから先の実験で使い物にはならないだろう。


 この先、どんなところで手の内がバレるかも分からない。

 だから、今のうちに――俺は、お前に勝たせてもらう!


「〈クラック〉!!」


 魔力の始点は既に見抜いている。こちらを騙すためのフェイントも、複雑な魔力の分岐点もない。かっちりとした合理性の塊。いかにも盗んでくださいと言わんばかりの魔法陣だ。


 グレナカートの魔力を上書きしていく形で、大きな魔法陣に自分の魔力が流れ込むのを感じる。高速で駆け抜け、行き渡ったのを確認した。


 ――奪い取った!


使

「――っ!?」


 突然に襲った異変に、驚愕の色を露わにするグレナカート。

 自分も相手も魔法の効果範囲内。中途半端なままだと、状況は変わらない。

 まずは魔力の出力を上げて、コイツの動きを封じる――!


「――っ!? 貴様何を……!」


 誰にも触れられない速度で、俺はお前を追い越すぞ……!


 他人の魔法陣を弄るのはまだ完璧ではない。時間はかかるけれど、ここから少しずつ、グレナカートを中心に陣を小さくしていく。テイラー先生の試験の時にやったときと同じことだ。


 ――勝てるっ。そう思った瞬間だった。

 先程の魔物が、横合いから飛び出してきたのは。


「グオオオオオオオオォォォォォ!!」

「またコイツかよっ――!」


 二人とも魔法の効果範囲から出ていない。恐らくあの魔物のサイズからして、あまり効果がないのではなかろうか。噛みつかれて終わり――。どちらが狙われるにしても、これ以上魔法を維持しておくわけにはいかない。


「――――」


 白い影が突如走り抜けた。まるで彗星のように尾を引いたそれが、長い髪だと理解したのは、数瞬あとのこと。下手をすれば身体が竦むような、ざわりとした悪寒が背筋を走る。こ、この感覚……。


「お前は――!」


 グレナカートを獅子に例えたのなら、こちらは狼だ。

 主人のピンチに現れた従者は、刀のような剣を抜いていた。


 自分の背後から飛び出してきたムラサキが、魔物の横面を切りつけた。血飛沫を上げて魔物が倒れ込む。眩く光りはじめる傷口が――次の瞬間、大きな音を立てて炎を上げた。


 轟音のような呻り声と共に、魔物がどこかへと逃げていく。木々を薙ぎ倒しながら、地響きを鳴らせて消えていった。


「――――」


 ……あの一瞬で魔法陣を刻んだのか。自分でも視認するだけで精一杯の速度に、あの切れ味。そして魔法で追撃したときのあの威力。


 どうする。どうする?

 いくら考えたところで無駄だと、直感が告げている。


 ……うん、勝てる気しねぇな。


「――やっぱ逃げるか!」

「っ……。追うぞ!」


 今日の俺、逃げてばっかだなぁ! 仕方ねぇけどさ!!


 流石にグレナカートとムラサキを前にして、戦おうだなんて無茶は考えない。『戦うのが目的の訓練じゃない』と自分に言い聞かせながら。まさしく脱兎のごとく逃げ出したその瞬間だった。


「――火柱っ!?」


 ここからでも確認できるほどの巨大な火柱が、少し離れた場所で上がったのは。

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