第百五十七話 『傷ついたぞ、今のはっ!!』

「エレンの声っ――!?」


 さっきまでしていた話を中断して、ウィムが走り出した。自分も後を追うと――そう遠くない場所に、つい数分前まで自分と対峙していたエレンがいた。


 あのあと俺を追ってきていたのか。何があったのだろう。地面に尻もちをついた状態で、一点を見つめて顔を青に染めている。


 木々は密集しており、足元では草々が深く生い茂っていて走りにくい。度々足をとられながらも、先行していくウィムだったが突然に立ち止まった。何かを見つけたらしい――というより、数秒後には自分にも“それ”をはっきりと認識することができた。


「なんだ……こいつは……」


 ――それは魔物だった。今まで見たどれとも違う。ざっくり説明するなら、ワニの頭をした巨大な魔物が、二足歩行をしていた。体高は四、五メートルはあるだろうか、象よりもなお大きく、恐竜かと思ったぐらいだ。


 硬そうなウロコのような皮膚、筋骨隆々の身体に、大きな口には牙がずらり。そんな魔物が、その口に何本もの大木を咥えながらエレンを睨みつけている。


 こんなのがウロウロしてんのかよ……!

 そりゃあ、よっぽど優秀な生徒じゃないと立ち入り禁止なわけだ。


「チッ――。……この中に入っててくれるか?」


 ハナさんの妖精を服の中にしまい込み、前へと飛び出した。流石に襲われているのを目前にして、放っておくわけにはいかない。ウィムを追い越すようにして、草むらを飛び越えてエレンを救出に行く。――のだけれど、面倒なことにしっかりと罠をバラ撒いていたらしい。


 魔力の網や殺傷能力を高めた棘。設置されたそれぞれの機石装置リガートから射出されたそれらを躱していく。……なるほど自信満々に挑発していただけある。こんなものに四方八方を囲まれて、不意打ちで攻撃されたら堪ったものじゃない。


 あの魔物の周囲にも、それらしいのが山程落ちていたけど――。流石にあのサイズにもなると効果が無かったのか。となると、どう対応したもんか。


「これで怯んでくれりゃあいいけどな……!」


 木の幹を完全に噛み砕き、エレンへと近づいていた魔物の横っ面に、思いっきりに魔力を乗せた一撃を見舞う。――手応えはあった。少しは身体もぐらついたみただけども……。縦長の切れ目の入った瞳孔が、こちらに向いたのが見えた。


 ……全然効いてないな。

 動き自体はそう早くもないらしいが、やっぱり逃げた方が無難か。


「ボサッとすんな! さっさと逃げるぞ!」

「べ、別に助けてなんて言ってない――」


 ――強がってそんなことを言ってはいるが、腰が抜けているのか。全然立てる様子じゃあなかった。……ここまでやって置いてけって? できるわけがない。


「俺が逃げ出したいんだよ――!」


 かといって、こんな魔物と正面から戦うなんて論外だし。無理矢理にエレンを抱きかかえて、ウィムのいた方へと駆け出す。後ろの方からは、ミシミシと魔物が動き始めた音が聞こえた。


「もう動いて――……!」

「ウィーブ!」


 すれ違うようにして、ウィムの機石狗ウィーブが走り抜けた。ちらと振り返ると、飛び上がり、魔物のその鼻先へと噛みついていく。引き剥がそうと無茶苦茶に頭を振られ、振り落とされるもそのまま気を引くようにして反対方向へと誘導していった。


「ウィム――」

「このまま走って! 少しでも距離を離そう!」


 彼女に先導されるようにして。

 エレンを抱えたまま木々の深い方へと走り出した。






「はぁ……はぁ……! あんなのが……いるだなんて……!」


 ちょうど休める場所を見つけたところで速度を落として。息も絶え絶えにしてウィムが言った。自分ももう限界だ、大きな荷物エレンを抱えたままじゃ、もう一歩も走れる気がしない。


「と、とっとと降ろしなさいよ! いつまで抱えてんだっての!」


 荷物の方は、ギャーギャーとやかましいし。

 降ろしたら降ろしたで、嫌味ったらしく服を払い始めた。


「あーもう、最悪。そんなモジャモジャの格好で、気持ち悪いと思わないの? この、毛むくじゃら」

「毛っ――!?」


 吐き捨てるような言葉が、心にグサグサと突き刺ささった。そんなこと、親にも言われたこと無いってのに。……あの親だし、あれも同じ毛むくじゃらなのは置いておいて。


「き、き、き……傷ついたぞ、今のはっ!!」


 ショックと怒りで、エレンを指した指先が震える。そんな俺の非難を無視するように、ツーンといった様子でそっぽを向くのが、更に神経を逆なでした。


 このクソアマぁ……!


 ギリギリと奥歯を噛み締めながら、ヒトの姿に戻る。俺は今後、あの姿で人と話すことができるのだろうか。……とんだトラウマを植え付けられそうになった。


「こら、エレンっ!! 危ないところを助けてもらったんじゃないの!?」


『なんでいつも素直にお礼が言えないのよ!』と叱責するウィムに対しては、流石のエレンも顔をしかめていた。どうやら普段から口うるさく注意されているらしい。だんだん二人の関係も掴めてきた気がする。


「――ごめんなさい。この子、天邪鬼あまのじゃくなところがあるから……」


 代わりにウィムがこちらに頭を下げてきた。


「人の嫌がることばかりしたがるの」

「病気かよ……」


 自分がどうこう言って直るもんでもないのだろう。ゲンナリしてエレンの方を見ても、相変わらずそっぽを向いたまま。恩を着せるつもりもないが、これが助けてもらったヤツの態度なのか。


 なんだろうな、俺もコイツが嫌いだ。

 よく一緒に行動できるもんだと、ウィムに対して感心する。


「アタシとウィムの二人なら、あんなの簡単に撃退できたのよ」

「あー、はいはい。そうかい、それじゃあな」


 ――兎にも角にも、これ以上こいつらに関わる必要もないし。仕舞っていた妖精を懐から取り出すと、急かすように顔の周りをブンブンと飛び始める。


 いったいどれだけ時間をロスしたのだろう。

 さっさとハナさんのところに行かないと……。


「……本当にありがとう。早く仲間と合流できるといいね」

「そっちも無理はするなよ。……ヤベェぞ、この森」


 エレンもこちらの邪魔をするつもりは無いみたいだし、これで気兼ねなく行動ができる。――二人と別れて、再び妖精に導かれるまま走り出した。






 いったいどれぐらい走り続けたのだろうか。ところどころに、エレンが魔物に襲われていた時のような痕跡が見て取れた。魔物があの一体だけだなんて、そんなぬるい考えは捨てた方がいいだろう。何があるのか分からない。


『あーあーあー。みんな聞こえているかな?』

「……学園長の声?」


 森の中に響いているのとは違う。すぐ傍にいて、話しかけられているような不思議な感覚。まさか近くにいるのか、と一瞬思ったけど――『みんな』と言った以上、何かしらの魔法によって声を届けているんだろう。


 姿を見せずに声だけ聞こえる、というのはこれが初めてじゃない。


『まだ脱落者は出ていないようだね。重畳ちょうじょう、重畳』


『えっとね、言い忘れていたのだけれど――魔物が数多く棲息するこの自然区に、君たちを投げ出して。それで終わりじゃあないんだ』


 ……終わりじゃないって? 今の段階で手一杯だというのに、これ以上になにかしてくるつもりなのか? いったい何を?


『困難は多ければ多い程、成長の糧になるからね。そろそろ頃合いというものだろう。まずは――!』

「…………は?」


 ほのぼのとした学園長の言葉とは裏腹に、とんでもなく物騒なことが聞こえた気がした。俺の耳が悪くなってんだろうか。幻聴だと言ってくれ。


『ミル姉さんと呼べっつってんだろうがァ!! ――まぁいい。てめぇら、覚悟しておけよ! 生温い訓練で済ますつもりはねェからなァ!!』


 ――――。


「はあああぁぁぁぁぁあぁ!? 馬鹿かよ!!」


 野獣の檻の中に、それより凶暴な野獣を突っ込んでどうすんだ!?


 マズいマズいマズいマズい――。


「――ちっくしょう!!」


 後々息切れすることになっても、まずは合流しないと本気でマズい。ここから先は命に関わりかねない。さっさと合流して、魔物から身を守りながら時間が経過するのを待つ? そんな悠長なことすらできない状況に追い込まれていく。


「この学園のイベントが……」


 頼むから同時に来てくれるなよ。そんなことになれば大混戦、大波乱間違いなしだ。とてもじゃないが、冷静に対処なんてできる気がしない。


 なんでこうポンポンと問題を増やすかなぁ……!!


「まともなわけが……なかったなぁっ!!」


 何から何まで、自分の予想をことごとくぶっ壊してくる。俺たちの“本当に極限の状況”での動きを見るつもりなんだろう。いい迷惑だってんだ。見せもんじゃねえぞ!?


 ――と、そんな時だった。

 いったい何度目だろうか。こうして行く手を遮られるのは。


「――――っ!?」


 横からの。誰かが襲いかかってきた。

 ……また敵か。今度は誰だ。今回ばかりは、本気で相手にしている暇はないぞ。


 説得すれば協力してくれるだろうか。ミル姉さんが投入されたんだ。きっと向こうも危機感を持っているはず――って……。


「…………」


 目を細めてこちらを見ている。敵意が肌に突き刺さるような視線だった。魔物もミル姉さんも関係ないってか。……自信たっぷりなことで。


「勘弁してくれよ……」


 どうしてこう、次から次へと――!!


 面倒なことこの上ない、順位で言えば間違いなくナンバーワンだ。いつかは戦わなければと思っていたグレナカートが――既に剣を抜いてこちらを見ていた。

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