ひねくれ黒猫の異世界魔法学園ライフ

第百三十話 『魂まで磨り潰してやるっ！！』

「……唯一の救いは、魂が痛みを感じることはないことね」

　アリューゼさんの補助に入り、準備を進めているココさんからアドバイスを受ける。どれだけ肉体に損傷を与えても、所詮はただ魂を入れている器。それが分かっただけでも、幾分か気休めにはなるだろうけど……。

　――その前に、大きな問題が立ちふさがる。

「思っていた以上に……手強いっ……！」

　ルロワの剣を巧みに捌く一対のトンファー。隙を突こうと自分も飛び込む。――が、旋棍と呼ばれるだけあって、回転する棍が息もつかせぬ勢いでこちらの急所を狙ってくる。

　この動きは、元々の肉体によるものなのか、それとも魂によるものなのか。それとも神父の魔法によるものか？　どちらにしろ、学園で地獄の特訓を体験していなければ対応するのがやっとだった。……ミル姉さんには感謝しないと。

「……わざわざ避けては戦わないわよ。自力で躱しなさい」

「――っ。分かりました……！」

　――気がつけば、これが初めての共闘。

　トト先輩の足を引っ張らないようにしないと。

　とはいえ、先輩も自分を巻き込むような無茶な攻撃をしてくるわけでもなく。流石は学園でも一、二位を争う程のゴゥレム使いなだけあって、上手く連携をとれていた。

「届いたっ！」

　ほんの一瞬の隙を突いて、ルロワの剣がサフィアさんに届いた。が、その刃は皮膚で止まっていて。

「硬い……？」

　ラフール神父の言っていた通りか。他の人形とは違う、カスタマイズされた特注の身体。肉体に刃が通らないなんて、人としての限界を超えている。

　……先輩のゴゥレムでも威力が足りない。自分の魔法といっても、相手の身体を打ち抜くものであって、破壊するのには向いていない。痛みを感じないとなると、どうやっても決定打とはならないだろう。

「遠慮はいらないわ。足を切り落としてでも止めて……！」

「止めてって言われたって……」

　どうする……？　ヒューゴたちもこちらと同じように、シエラさんの相手に手一杯のようだった。二人だけでどうにかしなければならない以上、ルロワの剣が唯一の頼りなんだけれど――

　……試してみるしかないか。

「先輩っ！　俺が隙を作りますから、もう一度お願いします！」

「…………っ」

　キュッと構え直した先輩の動きと共に、ルロワが剣を引く。……少しは自分の能力を信用してもらっているらしい。となれば――その期待に応えないと。

「……こっからは手加減抜きでやります」

「亜人（デミグランデ）……」

　一気に亜人化して、飛び出した。トンファーを構えるサフィアさんの元へは一瞬。カウンターを狙って真っ直ぐに突き出された拳と棍の先を、首を曲げてギリギリのところで躱す。

「くっ――！」

　息つく暇もなく逆の腕が横薙ぎに迫って来たため、躱すのに上体を反らした。首元に生えた体毛を掠めたのが分かる。追撃を躱すのに更に深く反り、バク転で追撃の蹴りを逃れた。武器自体の取り回しがいいためか、動きに制約がない。

　ナイフを突き出すも、盾のように構えたトンファーがそれを防ぎ、高速で視界外から攻撃が飛んでくる。範囲内にいたら全方面、どこからでも襲いかかる棍。身体能力と合わさって、厄介極まりないのだけれど――

　――ここだ。

「っ！？」

　それでも、隙を生むのが不可能なわけじゃない。

　背後でトト先輩が動く気配がしたところで、完全に猫化して。その頭上を刃が通り抜ける。その切っ先は、攻撃を外して無防備になっているサフィアさんへと吸い込まれていき――右腕に深く食い込んだ。

「――まだ浅いっ」

　刃が皮膚を切り裂くも、肉を断つまでには及んでいない。

「先輩っ！　そのままで大丈夫です！」

　――引き抜いては駄目だ。ようやく突破口が見えたのだから。

「サフィアさん……ごめんっ」

　大振りじゃなくてもいい。速く、確実に。入りは小さく――

　ミル姉さんとの特訓を思い出しながら。持っていたナイフをサフィアさんへではなく、その肉体に固定されているルロワの剣へと叩きつける。金属と金属がぶつかる硬い手応え。これぐらいでは、全く剣が進む様子を見せない。

　――少なくとも、このままでは。

「――――」

　力で押し出すのではなく、魔力で威力を上乗せする。自身の身体から、ナイフへと。ナイフから、剣へと。にはるん先輩が杖でやっていたのと同じことだ。放出された魔力が、爆発のように力を生み出す。

「通った……！」

　バネの様に跳ねた刃が肉を断ち、骨まで断った。サフィアさんの右肘から先が、持っていたトンファーと共に地面へ落ちる。

　片腕となっただけでも、大きく戦闘力は減退していた。自分のナイフと先輩のルロワの剣の両方を受け切ることはできず。身体の頑丈さだけで、今は防戦一方となっている。このままなら、押し切ることも――

「…………」

　……このまま両手両足を切り飛ばすのか？

　生身の人間とは違うのは分かっている。でも、死体と割り切ることもできない。ちらりとヒューゴたちの方を見るも、向こうも攻めあぐねているみたいだった。

「神父様っ！　もう……止めてくださいっ……！」

　アリューゼさんの声が響く。ようやく、神父からバリアを剥がす準備ができたらしい。せめて抵抗はしないでほしいという、最後の勧告のようだった。隣にいるココさんからは、容赦をするといった気配は微塵も感じられない。

　アリューゼさんが胸の前に手を組み、祈りを捧げる。みるみるうちに、バリアが薄れていく。流石に命の危険を感じたのか、焦り始める神父。

「……本当に私を殺すのか？　この私を？」

「聞く耳を持つ必要はないわ」

「…………」

　あとは自然に消えるのを待つだけと、アリューゼさんが剣を抜く。神父に真っ直ぐに突きつけていた。

　村の住民を騙し、アリューゼさんを騙し。そして人の命すらも弄ぶ悪人に、同情する者はこの場に一人もいない。

「……他でもない一番の不幸を背負わされた貴女が、始末をつける方がいいわね」

「それで刺すつもりか？　だれがお前を今まで育ててきた？」

「…………」

　もはや、神父たちと彼女たちを隔てる壁はどこにもない。ほんの少し力を入れて、長剣を突き出すだけで。あっけなく全てが終わる。

「神父様……。これで……お別れです――」

　――その時だった。突然に、声がした。

「――アリューゼっ！！」

「っ！？」

　怒りの声ではない。心配に胸が張り裂けそうな、身を案じるかのような。そんな声だった。このタイミングで、なぜ――

　なぜ、目の前で戦っているサフィアさんがそんな声を上げたんだ？

「お母さん！？」

　武器を下ろし、アリューゼさんが驚いた表情でバッとこちらを向いた。

『お母さん』たしかに、彼女はそう口にした。

　……有り得ない。どうしてそこで。

　よりにもよってサフィアさんを、母と呼んだのか。

「そんな……でも……」

「疑う必要はない。正真正銘、お前の母親の、魂による呼びかけだ！」

　トトさんはシスターさんたちを見て、なんと言っていた？

　確か、死体に魂を入れ込んで、と――

「まさか――まさかっ……！」

「テメェ――」

　彼女は赤ん坊の頃に預けられ、親の顔も、声も覚えていないと言った。それでも、いつも何処からか自分を見守っていて、名を呼んでいるような気がするのだと。その声の温もりだけで、親であるという確信が持てるのだと。

　吐き出さされた音の羅列。

　出された器は違えど、その温もりは魂に宿るのだろう。

『普段は物静かな人ほど、たくさんの秘密を抱えてるものよ』

『――あの子のこと、よろしくお願いします』

　思えば、森林で戦った中に教会関係者の死体であることを匂わせていたのは誰だったか。黒い翼の少女が描かれた肖像画を見つけるよう、誘導していたのは誰だったか。

　彼女たちが神父と共謀していた、なんてことは――在りえない。

「死体の中に……母親の魂を入れて戦わせていたのか……！」

　どこから調達したのか。最悪の予想図が広がっていく。アリューゼを引き取ったあと、両親を手にかけた可能性すらあった。それからずっと？　死んだ母親の魂を、死体に縛り付け続けていたのか？

　……今まで出会った人たちとは桁が違う。

　この世界には、どうしても許されてはならない悪がある。ここまでドス黒い、ドブ川のような腐った魂の人間がいるのだと、気付いてしまった。

　ココさんの言った通りだった。――地獄の釜は、目の前にあった。

「ごめんなさい……！」

　自由が利かず、無理矢理に名前を呼ばされたのだろう。

　……決して彼女だけには知られたくは無かったのだろう。

　腕を切り飛ばされた時すら変わらなかったその表情が、悲痛に歪んでいた。

「……救いようがないわね」

「さぁ、母親の目の前でも人を殺せるのか？」

「嘘……」

　茫然とするアリューゼさん。

　手に持っていた長剣が、音を立てて床へと落ちた。

「さて、もう用済みだ」

「アリューゼ、お願い逃げ――」

　神父がパチンと指を鳴らすと、最後の叫びも虚しく、サフィアさんの身体が力なく膝から崩れ落ちた。まさに、糸の切れた人形のように――

「お母さん――――っ……！」

　怒りなんてものは、既に掻き消えて。絶望だけがそこに残っていた。

　目元からは涙が溢れ出し、口元を覆う手は震え、その場で膝を付く。

　完全に――心が折られた。

「許さねぇ……」

　もう我慢がならない。怒りで頭が沸騰しそうだった。

　……殺さなくてはならない。アリューゼさんのためにも。

「大丈夫だよ、アリューゼ。君は神に愛されている……！　もう一度生き返ったところで、魔物になんてなりはしない！」

　手を汚すだとか、そんなことを考える必要はない。

　殺さなければ、この先たくさんの人が不幸になる。

　生かしていてはいけない人間がいるのだと、初めて感じた。

「“未完成”だなんて耐えられないんだ……。あともう一度だけ……たったそれだけで完璧な姿になれる！　さぁ、今すぐ私の手で――」

　サフィアさん――アリューゼさんの母親が動かなくなった今、残るはシエラさんだけ。トト先輩にそちらを任せてでも、自分が息の根を止めないと気が済まない。そう思って飛び出そうとしたときだった。

「――テメェが死ねェ！！　今すぐっ！　この場でっ！！」

「トト先輩っ！？」

　――トト先輩が吼えた。炎の様に激昂しながら、自分よりも早い段階で動き出していた。ルロワが飛びかかり、神父が壁へと叩きつけられる。

「お前のような魂使魔法師（コンダクター）を見ていると吐き気がしてくる！」

「ぐっ……ふふ……ふふふ……」

　口の端から血を流しながら、怪しい笑いを浮かべる神父。

　その後ろの壁がガラガラと音を立てて崩れ、ゾンビの群れが現れた。

「やっぱり、そうなるわよねぇ」

　ここは教会だ。これまでの野盗の協力もあり、死体なんて手に入る。

　……それこそ、いくらでもだ。

「研究を進めるのに、これほどいい環境はそうそうない。非常に申し訳ないが――邪魔をするのならば魔物のエサになっていただく！」

　いうなれば、ホームグラウンドというやつだろう。時間をかけて築き上げてきた、自分のための実験場。向こうが圧倒的有利なのは予想の範疇だ。

「アリューゼ……今すぐにとはいかないが、必ず完璧な姿にしてみせる……！」

「やかましいっ！！　絶対に……絶対に殺してやる！！」

　捨てゼリフと共に、外へと飛び出した神父。

　それと入れ替わるように、次から次へとゾンビが教会内に雪崩れこんでくる。

「逃げるなァ！　八つ裂きに、細切れに――！！」

　喉が裂けるんじゃないか、というぐらいの怒号だった。『ここまで怒るのも珍しいわね』とアルメシアを繰りながら、ココさんが溜め息を吐く。

「……普段は口癖のように言ってるわよね。今回は何辺殺すつもりなのかしら」

「一度でいいっ！　二度と蘇れないよう、魂まで磨（す）り潰してやるっ……！」

　心の底から押し出したように、そう吐き捨てながら鳥型ゴゥレム（マクィナス）の背に乗る先輩。教会の中に、窓ガラスが割れる音が響く。誰が止めることもなく――トト先輩は神父を追って、外へと飛び出していった。