第百一話 『どうせ他人の頭の中なんて』

 床にも、天井にも、壁にも張り巡らされている。本来なら視認できないぐらいに微細なそれが、確かに糸だと判別できるのは――淡く、そして青白い光が、魔力を帯びているのだと示しているからだった。


 その光景は異様としか言いようがなかった。

 ぞわぞわと鳥肌が立つのが分かる。まるで別世界だ。


 いったいいつから……!?

 最後に“これ”を使ったのはいつだった?


 学園の裏側への入り口を見つけた時。あれが最初で最後の筈。それ以外では、探知魔法を全開で使ってない。少なくとも、あの時にはこんな光景が広がっていなかったことには間違いなかった。


 自然にこうなったのか?

 いや、誰かが意図的にしているに違いない。

 そうでないと、ここまでの事にはならない!


「――ル、テェイル! テェェェイル!!」

「っ!?」


 ぐるぐると考えているところで、耳元で先輩に大声で名前を呼ばれた。

 鼓膜がビリビリと震え、無理やりに意識を向けさせられる。

 声をした方を向くと、先輩の顔がすぐ近くにあった。


「混乱するのは勝手だが、黙るな。のには、何かしら理由があるはずだよな? そうだろう?」


「でも、いきなりこんなもの見せられて……“急に”?」

って言っているんだ。どうせ誰かの悪趣味なイタズラだろうと避けて歩いていたけどさぁ。流石にこれほどになると、もう看過するわけにはいかんだろ」


 前からあったって、えぇぇ……。

 なんでそんなものを放置してんだ、この学園。


「な、なぁ……! 俺たちには、なんの話をしてるか分からねぇんだけど!」

「廊下中に……糸が張り巡らされてんだよ」


「……糸が?」

「私達には変わりなく見えますけど……。どういうことでしょう?」


 不安げにソファから立ち上がり、廊下を覗く二人だったけども、何の変哲もない光景に再び顔を見合わせていた。にはるん先輩でもいれば、同じ視界を共有することもできるのだろうけど。


「あー、まいったまいった。だぁれがやってんのか、突き止めるぐらいはしとけばよかったなぁ。……なぁ、テイル。前々から、んじゃないのか?」


 ――学園でイベントがある度に起こる意味不明な出来事。最悪の事態にはこれまで至らなかったとはいえ、意図が掴めなかったバラバラの事件。そしてそれは、もしかしなくても、今、ここで。現在進行系で続いている。


「頭の中で考えが渦巻いてるってことは、何かしらの手がかりは掴んでいるんだろう? さぁ、それを今、すぐに、正しく並べ直せ」

「そんな無茶な……」


 これまでもいろいろ考えてみて、それでも答えが出ていないんだぞ?

 ここで考えたからといって、何か変わるとは思えないんだけど。


「よーく考えろ? テイル。私だからすぐに気づいたが、他の生徒たちにはいつもと変わらない日常が続いている。そのことが、これは異常事態だということを、殊更に指し示しているんだぞ」


 ……そんなこと言われたって、どうしろと。この目の前で起きている事態が、他の出来事と関係しているかってのも定かじゃないのに。


「糸……」


 確かに、スカイレース大会の妨害疑惑では、細い糸のようなものに絡み取られた、と脱落者たちが言っていた。これは同じものだと考えていいのか?


 それなら、アリエスや他の参加者の目に映らないのも納得できる。

 “おかしな部分”もあったのは、今の状況と繋がっているからか。


 ……“おかしな部分”。それは――


――――――――


 全員がバラバラの場所で、被害に遭っていた。

▷魔力の消費を抑えるための腕輪を紛失していた。


――――――――


「……レースの妨害よりも、持っていた腕輪の方が目的だった?」


 この糸は恐らく魔力で形成されたものだ。これだけの規模のものならば、相当な魔力を消費する筈だ。そうなると、これを学園中に張り巡らせるために、腕輪を必要としたと考えた方が筋は通る。


「……けれど、誰が、なんのために、これを行った?」


《全能視》――優れた魔力探知の目を持っているヴァレリア先輩は例外として、自分だって限界出力で探知魔法を使わなきゃ認識できなかったんだぞ。


 目に見えない、触れても分かるかどうか微妙。そうなると、嫌がらせとも考えにくい。そもそも、誰かに知られること自体が、これを行った人物の想定の範囲外なんじゃないだろうか。


「この糸って、何のために張られたんですかね」

「私にゃあわからんよ。答えを探るのが、今のお前の役目だろう?」


『だろう?』と言われても、いきなり無理難題を押し付けられて、わりと頑張っている方だと思うんだけど!?


「そもそも! いつから張られたんですか、これ! 先輩、さっき言ってましたよね、『前からあった』』って。……いつからあったんですか?」


「……七、八年前ぐらいだな」

「そ、そんなに昔……?」


 ……ということは、少なくとも生徒の誰かがやっているわけじゃない、のか? 外部から誰かが? でも、そんなに昔から続けるのも無理があるだろうし、どうして今年になってから動き始めたんだ?


 可能性があるとするなら……教師?

 それこそ、なんのためにやってんだ。


 全然整理できた気がしねぇ。まだ情報が圧倒的に足りない。


「くそっ。誰がやったのか絞れない……!」

「焦るな。けれど、急いだ方がいい」


 どっちなんですかっ!!


「よーく考えろ。考えろよー。いつから、というのは考えてもあまり意味がない。問題なのは、“今の状況になった”という事実についてだ」


 誰がやったのかは置いておくとして――どうしてやったのかすら分からない、というのは暗中模索もいいところだ。


 今の状況になった事実……そっちを浮き彫りにさせることができれば、別の方向から答えを導き出すことができるのか?


「先輩……。“これ”が酷くなったのは、レース大会が終わってから?」

「昨日今日は閉じこもって寝てたから、詳しくは知らんがにゃあ。……だが、恐らくはそうだろう、うん。少なくとも、レースが始まる前までは普通だった」


 ということは、ルルル先輩の方に相談に来た『赤い髪の生徒の姿が見えない』ってのと同じぐらいの時期。……ということは、関係してるのか? このために学園中に糸を?


 ――整理してみよう。


「今のこの状況は……『赤い髪の女子生徒を隠すために』『誰かが』『学園中に糸を張った』。そして、その状態を作り出すために、『レース中に腕輪を盗んだ』……」


 ……だめだ。

 やっぱり意味が分からない。

 結局は、目的がはっきりしていない。


ってことも、あるんじゃないのか?」


「こんな魔法、今までに誰かが使っていたのを見たこともないし……。単純に糸を出すことは、ゴゥレム使いなら誰だってできることだし。もっと言えば、魂使魔法師コンダクターだったら誰でもできるかもしれない……。そうじゃなくても、技術さえ持っていれば、他の魔法使いでも――」


 魂使魔法使いになれる程の才能があるからといって、魂使魔法使いになるとは限らない。『なれる』ことと『なる』ことは、過程と結果、全く異なるものだ。


 ヴァレリア先輩だって、妖精魔法以外にも他の科の魔法だってある程度使えるのだ。魂使魔法科に所属していなくても、ゴゥレムを操れる生徒がいたっておかしくはない。


 考えれば考える程、どツボにはまっているような気がする。


「……違う、だ。なぁ、テイル。理由なんてのは、どうだっていい。どうせ他人の頭の中なんて、“たとえ見ることができたところで”、その半分も理解はできないもんなんだ。見るなら現実を見ろ。答えはいつだって、そこにしか無いんだよ」


「現実って言ったって――」

「お前が話していただろう? 大量の機石装置リガートには、腕輪を盗んだ瞬間は映ってなかったと。果たして、それは偶然に起こったものなのか?」


「…………」


 森林の木々にまぎれて、ただでさえ視認できない網を、更に巧みに隠したっていうのか? 先頭を飛んでいたココさんとトト先輩の二人を含めて、レース中にそんな器用なことができる人物なんて、一人たりともいなかった筈だ。


「森林に大量に設置されているリガートの死角を縫って網を張るだなんて! そんなことをできる人がいるわけが――」


 それこそ、全てのリガートの位置を把握してでもいないと無理な芸当。

 ……全てのリガートの位置を把握して?

 

「…………っ!」

「――なぁ、テイル」


 そうだ――それができる役割が、必ずいなければならないのだ。

 リガートの位置を把握している人物が、いる筈なのだ。


「――?」


 ……まさか、そんな。あの人が?


 でも、そう考えると。もう一つ、残っていた怪しい点が。

 不自然に、不明瞭に残っていた、全く無関係そうな点が。

 ようやくここにきて、一本の糸に繋がり始める。


『【真実の羽根】が、試合前にハルシュに取材してましたよね』

『私は別の子に付いていたから、直接聞くことはできなかったけど……』


 ――もう、疑いがあるのは、一人にしか絞れなかった。


「試合前のハルシュに接触したのは……ヤーン先輩?」


 先輩は魂使魔法使いコンダクターだった。


 ……これだけの情報が揃ったら、ほぼ確定に近い。

 理由はまだ分からないが、それでも『誰が』というパーツがはまった。


『アリエスは? 遅れてくるなんて珍しいだろう?』

『えーっと……。レース優勝者に取材をしたいってんで、【真実の羽根】の方に呼ばれてます』


「――くそっ」


 先輩の言う通りだ。重要なのはこれだけでいい。

 これさえ分かれば、どこに向かえばいいのかがはっきりするのだから。


「――【真実の羽根】へ急ぐぞ!!」

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