第百話 『なんか起こってるんだな?』

 めぼしい対象には聞き込みを終え、そして夕方に何人かの女子生徒に相談をもちかけられたその翌日の朝。【知識の樹】のソファに横になって、天井を仰いでいた。


 本当は朝一でルルル先輩の待つ【真実の羽根】の部屋へと行きたかったのだけれど、一度メンバーが集まってからにしようということになっていて。


 向かいのソファでは、ハナさんが静かに本を読んでおり、アリエスは取材ということで一足先に向かっている。……すなわち、ヒューゴ待ちである。


「――出る前に声をかけておけばよかったか」


 まぁ、そこまで急いでいるわけでもなし。

 何をするでもなく、こうして暇な時間を過ごしていた。


「――――」


 ちらりとハナさんの方を見るも、読書に集中している様で。その本の背表紙には《薄命の吸血鬼と黒茨の騎士》と書かれていて、聞くにアリエスから強く勧められたのだとか。


「…………」


 けれど『あまり本を読むことがありませんでしたから……』と本人が言っていたように、見る限り読む速度は早い方ではなく。ページを一枚一枚捲るにしても、間隔がとても長い。こういう部分でも、本人の性格というか性質が現れるんだろうか。


 ――別に人の読書の速度をとやかく言うつもりもないし、本人が読みたいペースで読めばいいんだけどさ。


 とはいえ、このまま天井のシミを数えるような無為な時間を使うわけにもいかず。かといって、ハナさんの様に読書に興じる気分でもない。壁には大きな本棚があるのだけれど。


「どちらも、赤い髪の女子生徒――」


 ふと浮かんだのは、昨日の夜にアリエスがちらりと言った『燃えるような赤い色の髪だった』という言葉。姿を消したという女子二人の特徴で、『だからなんだ』で済まされるような、取るに足らないこと。


 ――赤髪で姿を消したって聞くと、某探偵小説の『赤毛連盟』の話を思い出すな。あれはわざわざ一人の人を騙す為に、赤毛の連中が集まって架空の連盟のふりをしたんだったか。


「でも、これ以外には共通点もないし、接点も無いって言ってたしなぁ」


 定理魔法科マギサの二年と、機石魔法科マシーナリーの一年である。

 違う科で、違う学年だ。それこそグループにでも所属していないと、話す機会もそうそうないんじゃないだろうか。


 ……そもそも赤毛っていうと、鮮やかな茶色だったり、よくいってもオレンジ程度だよなぁ。この世界で赤い髪といったら、それこそ紅に近い色なわけで。


「ヴァレリア先輩も赤い髪だったな……」


 ……いや、心配する必要なんてないだろう。


 レース大会の前あたりから、めっきりと姿が見えない。けれど、普段から神出鬼没気味な人だったせいで、そういうこともあるだろうという認識だった。


 あっちから出てきたり、こっちから出てきたり。

 そりゃあ、ピンチを救ってくれたこともあったけど、普段から自由人極まりなく。反面教師にしたい先輩で言えば、一位もやぶさかではない。


 姿を消す? いつものことだろう。

 例の扉の内側にいるのかもしれないが、絶対に覗くなと言われているし。

 後輩としては、せめてどこにいるかぐらいは把握しておきたいのだけれど。


 本人は卒業する気が全くないみたいだし、そういった余裕というか堕落が――


「――呼んだ?」

「うわっ!?」


 散々脳内で愚痴っていたところで、ヴァレリア先輩がひょっこりと“開かずの扉”から顔を出してきた。どこにいるか分からないと思った矢先にこれだ。


「あらあら、先輩。おはようございますー」

「やぁやぁ、ハナさん。お早うお早う」


 出てきた先輩の服装は、いつも通りだけども――髪はところどころ跳ねていて。


「……ふぁーぁー」


 目線はフラフラと、そして大きな欠伸を一発。

 今の今まで寝てたな、オメー。


「……珍しいですね。こんな時間に出てくるなんて」

「そりゃあ可愛い可愛い後輩が、私の名前を呼んだのが聞こえたからねぇ。んふふふ……」


 そんなに大きな声で呟いた憶えもないんだけど。地獄耳かよ。


「しかしまぁ、半分しか集まってないじゃないか。早起きしすぎたか?」

「いや、遅いほうです」


「まだ朝じゃないか!」

「そうだよ!!」朝に起きないでいつ起きるんだと。


 さも当然のように言い放つものだから、こっちが不安になってくる。

『まだ』ってなんだ、『まだ』って。


「ダメだぞぉ、一年の間でサボり癖なんて身につけちゃあ。せっかく楽しい学園生活なんだからさぁ」


 こんな一日の半分以上は寝て過ごしていそうな先輩に言われては、世も末だ。授業にも出ることもなく、学園の中をフラフラして過ごすのは確かに楽しいのだろうけど、それを学園生活と呼んで果たしていいのだろうか?


「で、ヒューゴは寝坊か?」

「……まぁ、そんなところです」


 ヒューゴも赤い髪ではあるけど、男子だしなぁ。昨日のこととは関係なしに、単純に寝坊だとしか考えようがない。別に、こういうことは何度もあったし。どうせあと数分もすれば、慌てて飛び込んでくるだろう。


「アリエスは? 遅れてくるなんて珍しいだろう?」

「えーっと……。レース優勝者に取材をしたいってんで、【真実の羽根】の方に呼ばれてます」


「あぁ……優勝したんだったな」


 自分の“レース優勝者”という言葉に、ピクリと反応した先輩が呟く。『後で、ちゃんと褒めてやらないとな』と目を細めて言うその表情は、嬉しさの中にどこかうれいが含まれているものだった。


「もしかして……レースの様子見てないんです?」

「最近、なんだか身体が重くてにゃあ。実際、今もすんごい眠い。けどまぁ、そこまで気にすることでもないさ。あぁ、うん」


 言われてみれば、いつもの気怠さとは別の“怠さ”を醸し出していた。もしかして、そのためにずっと例の部屋で寝ていたのだろうか。


「ここ最近の風潮なんですかね。いろいろと様子がおかしいところに、先輩まで具合が悪くなってるだなんて」

「……ほぉ? なんか起こってるんだな? その言い方は」


「それが――」


 アリエスの参加したレース大会で、網らしきものが張られる妨害行為があったこと。機石カメラには決定的瞬間は映っていなかったこと。その中の何人かは、参加者用に配られた魔力の消費を抑える腕輪を紛失していたこと。そして、先日から何人かの生徒が姿を消しているかもしれない、ということを掻い摘んで話していると――


「おっくれたぁ!」


 寝坊していたであろうヒューゴが、ようやくグループ室へと飛び込んできた。


「――――っ」


 ヒューゴが入ってきた瞬間に、弾かれた様に立ち上がる先輩。視線はヒューゴの方に釘付けになっていて。表情は少し驚いているようにも見えた。


「悪ぃな、寝すぎた! ――て、あれ。ヴァレリア先輩?」

「……ヒューゴ、ちょっと扉から離れろ?」


 一歩、二歩とヒューゴに近づいていくと、その肩に手をぽんと乗せて。

 位置を入れ替わるようにして、先輩がドアノブに手をかける。


「なんともなかったか? ……大丈夫そうだな。ちょっとそこに座ってろ」

「…………?」


 どこか雰囲気が変わったような気がして、ハナさんと顔を見合わせる。けれども、ハナさんも思い当たるようなことはなく。そして、それはヒューゴも同様だった。


「今日は先輩がいるからびっくりしたぜ。……で、どうしたんだ?」

「さぁ……? さっぱり分からん」


 扉の外を眺めている先輩の方を向きながら、三人でひそひそと話していると。


「テイルー? こっち来てみ?」


 ちょいちょいとこちらへ向けて手招きをしていた。今度は自分を名指しである。

 ……もうちょっと、こう……状況の説明をしてもらえませんか。


「早くー! 駆け足だ!」

「は、はい? なんなんですか、いったい」


 そうして自分も開いている扉の近くに寄ると、がっつりと腕を肩に回される。


「テイル。たしか魔力探知の魔法が使えたよな?」


『ちょっと全開にして使ってみ?』と言われた。

 え……。全開って、わりと目にクるんだけど。


 前に一度だけ、ルルル先輩からの依頼で学園の“裏側”を探す時に使ったぐらいだろうか。魔力を帯びている物体の何もかもが、淡く光を発していて。とてもじゃないが、使い物にならなかった記憶がある。


「あれ使ってると、ジンジンと目の奥が痛くなるんですけど……」

「いいから、ほら」


 ――問答無用だった。ちくしょう、視力が低下したらどうしてくれる。

 心の中で悪態を付きながら、魔法陣の描かれた魔法紙を取り出す。

 グレナカートと戦った時は自力で陣を生成したけど、全開ならこっちだ。


「〈レント〉、……〈ブラス〉」


 目を閉じて。集中しながら、魔法陣の使用準備に、発動の呪文。

 手順を飛ばして発動するのに慣れていたから、久々に味わう感覚だった。


 目の周りに魔力が集中するのを感じて、目蓋まぶたを開くと――


 ――っ!?


「なんだよ、これ……」


 自身の目へと襲いかかる負荷よりも、いま視界に映っている光景が異常だった。それは探知魔法を最大出力で使ってやっと見えるぐらいに、ギリギリの状態で隠されていた。


 学園を覆う魔力とは別に、魔力を帯びた“何か”が。

 床も、壁も、天井も。廊下の端から端まで。


 ――それはまるで、蜘蛛の巣のように。

 糸のような何かが、そこかしこに張り巡らされていた。

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