第百二話 『気持ち悪いな、お前』

 ヤーン先輩は【真実の羽根】のグループ室にいるだろう。

 取材ということでアリエスを呼んでいるのだから、まず間違いないはずだ。

 どういうつもりなのかは知らないが、このタイミングで一緒にいるのはマズい。


「急がないと――ぐぇっ!?」


 駆け出そうとしたところで、首に衝撃が走った。襟元を掴まれ、思いっきりに引っ張られたからだ。もちろん、犯人はヴァレリア先輩。


「おいおい。慌てるにしても、手ぶらで行くこたぁないだろう?」


 先輩は、自分を引き止めてそう言うなり――ソファの脇に置いていた、メンバーたちの武器を放って寄越す。


「全員、ちゃんと装備は整えておけよ? ――ほぉら」


「わっと!?」

「危ねっ!」


 ヒューゴには金槌を、自分にはナイフを。

(ハナさんは魔法のみなので、普段身に付けている腕輪のみで間に合っていた)


「で、でも……」

「……【真実の羽根】に行くんすよね?」


『これでは、まるで戦いに行くみたいだ』と。装備を渡されて戸惑う二人。糸だらけの“この状況”を目の当たりにしていないから、当然と言えば当然の反応だった。


「“これだけのこと”をしでかしている奴に――って見えてないだろうが……。とにかく、丸腰で対応するべきじゃあないんだよ。私の経験上、相手が知り合いだとか、そういうのは関係ない」


 それでも、未だに納得していない二人に『むしろ、相手が怖気づいてくれれば万々歳。だろう?』と笑いかける。


 そうして、『ほら、急げ』と先輩に押される様に廊下へと出た。


「――テイル、少しキツいだろうが、その魔法は解くなよ?」

「マジですか……。これチカチカして、わりと限界――先輩っ!!」


 もうすでに不調が出ていると訴えかけようとして、ヴァレリア先輩の方を見た。先輩がグループ室から一歩外に踏み出し、その足が廊下へと付いた瞬間だった。


 ――壁に張っていた糸が、まるで触手のようにうごめきながら、じわじわと先輩に寄って来ていたのである。


「うわっ!?」


 糸が腕に絡みつこうとしたその瞬間には、既に妖精魔法が発動していた。一瞬浮かんだ魔法陣と共に、熱気が勢い良く放出されたと思いきや、チリチリと糸だけが焼かれていく。


「……今の私は寝起きなんだよにゃあ。身体も怠いし、機嫌が良くないんだ」


 首をコキコキと鳴らし、呟く先輩。

 突然に魔法を発動したようにしか見えず、唖然としているヒューゴとハナさん。


「自分たちが外に出ても、なにもなかったのに……」

「私が赤い髪をしてるからか? おいおい、それを言うならヒューゴもだろうに。……ははっ、向こうも焦っているんじゃないのか」


 そんな余裕そうに笑っている場合じゃないのでは……?


「……“あいつ”は傍観を決め込んでいるらしい。あーあー、嫌だ嫌だ。小間使いだなんて、性に合わないったらありゃしない」

「“あいつ”……?」


「いや、まぁ、いいんだ。とにかく、その【真実の羽根】に向かうんだろう?」






「――見えたっ!」


 グループ棟が大きく様々な部屋があるとは言っても、【知識の樹】から【真実の羽根】まではそう遠くない。走るにしても、ハナさんが付いてこれる程度には速度を落として、一、二分というところだった。


「テイル、見えるか?」

「【真実の羽根】の扉……」


 未だに魔法を維持した状態の目でよく見ると、魔力を帯びた糸が扉の隙間から広がっていた。他のグループ室の扉の周りを見ても、そこまで糸が張られている様子がないのにも関わらずだ。


 ……間違いない。大元はこの部屋の中――!


「アリエスっ!!」


 他のメンバーに目配せして、一息に扉を押し開けると――


「――へ? ……みんなどうしたの? そんなに慌てて」

「い、いらっしゃい! 今日は遅かったね、ヒューゴ君が寝坊した?」


 そこには、いつもと変わらない光景があった。部長であるルルル先輩と――副部長であるヤーン先輩。自分たちの切羽詰まっていた様子が、まるで見当違いだったと言わんばかりに、部屋の中で異変は起こっていない。


「なっ――」


 ――


「……へぇ。ほぉお。ふーん。こりゃあ酷いな」


 唖然としていた。口が塞がらないってものじゃない。


 部屋中に張られた糸に込められている魔力が尋常ではなく。ここにこうして立っているだけでも、蜘蛛の巣に絡め取られているのではないか、と思うぐらいには圧迫感を感じる。


「ここが例の【真実の羽根】かぁ、初めて来たよ。どーもどーも。ウチの可愛い後輩をこき使ってるんだっけ? んん?」


「ちょ、ちょっと、ヴァレリア先輩……!」


 ぐるりと部屋の中を見回して、不躾極まりない挨拶をかました先輩の名前をアリエスが呼んだ時だった。これまで言葉を発さず、静かにこちらを見ていたヤーン先輩が立ちあがり――その口元が、微かに動いたように見えたのだ。


『……やっと見つけた』


 やっと見つけた? 何をだ?

 ……ヴァレリア先輩を?


 そんなヤーン先輩はというと、まわりに比べて殊更ことさらに異常さが際立っていた。


 ……表面的な見た目はいつもと変わらない。暗いグレーをした髪は、女子と間違えそうなほど長く。四角い眼鏡の奥には、瞳が見えないほどに細められた目。


 けれど、全身が不自然に魔力を帯びていて。肝心の糸は、先輩の手先どころか全身から伸びている。


 なんだよこれ……。これが魂使魔法使いコンダクターとしての才能だとするなら、《特待生》のクロエを遥かに超えているだろ。魔力の消費を抑えた云々うんぬんの話じゃないぞ……?


 というよりも――その見た目からは、魔力の消費を抑える腕輪が確認できない。服の下に? いや、それでも少しは盛り上がって見えてもおかしくない筈。


 ……どういうことだ?


「――――」


 それぞれ武器を携えた状態で部屋へと乗り込んできた自分たちを見て、疑問符を浮かべているアリエスと。不穏な気配を察してか、不用意に動くことのないルルル先輩。一触即発とまではいかないまでも、どこか空気が粘つき、重たい中で――


 一番先に動いたのは、ヴァレリア先輩だった。


「なるほどなぁ……。

「――――!!」


 真っ直ぐにヤーン先輩を指さして。

 気持ち悪いと、はっきりと言い放ったのである。


「…………」


 そのヴァレリア先輩の態度に怒るわけでもなく、咎めるように口を開くでもなく。先程、『やっと見つけた』と小さく呟いた状態のままだったヤーン先輩だったが――次の瞬間、自分の目に映ったのは、急激な速度で飛んできた数本の糸だった。


 それは、自分たちの前に出ていたヴァレリア先輩のみを狙っていて。脳裏に浮かんだのは、そのまま糸によってスパッと切断されてしまう嫌な映像ビジョン


「先輩っ!!」


 とっさにナイフを抜き、先輩に到達する前に切り裂く。

 恐らく空中でナイフを振っただけにしか見えないだろう。


 探知魔法を使っている自分と、特別な眼を持つヴァレリア先輩と。そして糸を操った張本人である、ヤーン先輩以外には。


 ……もう疑いようがない。ヤーン先輩はクロだ。


 しかし、そうと分かったからどうする? ここから事情を問いただすのか? それとも、先に攻撃を加えられた以上、戦うことになるのか?


 先輩の一挙一動に集中しようとしたところで、声を上げたのはルルル先輩だった。


「みんな逃げて!」


 その叫びと共に、ヤーン先輩の影が、ぞわりと動いたように見えた。


「全員が――」

「いや、いい。下がる必要なんてないさ」


 影はぐねぐねとうねり、一瞬の溜めの後に勢いよくこちらに伸びてきた。自分たちは飛び退いたのだけれど、ヴァレリア先輩だけはそこから一歩も動く気配がない。そしてその右手の指先に浮かんだのは――炎の妖精魔法を示す赤い魔法陣!


 ――床に一直線に真っ赤な線が引かれたように見えた。それも一瞬、火花が散ったかと思うと、ゴウッという音と共に炎の壁が吹き出してきて。


 天井までを赤く照らすそれは、瞬く間に自分たちとヤーン先輩を隔て、迫っていた影をかき消した。燃え移った炎が今度は自分へと迫るのを見た先輩は、その影を切り落として苦々しげに呟いた。


「炎の妖精魔法使いウィスパー……。相性が悪いな、悪すぎる。最悪だ」


 灯りに照らされたこの状態ならはっきりと分かる。……やはり糸だ。真っ黒な糸が、束になり、塊になり。波となり、線となり。形を変えて、膨張と伸縮を繰り返していた。


 そして――壁の向こう側にいたルルル先輩とアリエスが、糸に捕らわれている。両手は胴にピッタリと付けられた状態で縛られ、口元には幾重にも白い糸が重なって塞がれていた。


 ――いつもは細められているヤーン先輩の目が、ゆっくりと開く。

 そこからは、生物にはあるはずの、生命の輝きというものが感じられなかった。


「こうして人質を取るのは、好きじゃないんだけれどね」

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