第百十一話 『そんな簡単なもんじゃあないぜ』
「それじゃあ、僕はこれで。後始末以外にもいろいろあるからね。ミルはちゃんと後で学園長室に来るように」
そう言って学園長が席を立つ頃には、もう日が暮れていた。
……そろそろ解散か。今日はもう散々だったからなぁ。
ヒューゴとハナさんは、明日の朝早くから授業があるからと、そのまま寮へと戻るらしい。一方アリエスはというと、お茶を飲んだ後からずっとミルクレープに対してグイグイと詰め寄っていた。
「ねぇーミル姉さんー。私、
「あ゛ぁ゛!? んなもん、駄目に決まってんだろうがァ!」
壊れたままでテーブルに置かれていた右手首をじっくりと、舐め回すように眺めながら、これでもかと執拗にお願いを繰り返す。
「お願い! ちゃんと元に戻すから!」
「話聞いてるか、オィ!」
……アリエスは、このままでもいいか。
自分は食堂を出るしても、ヴァレリア先輩の方も気になっていた。
「確か【知識の樹】に戻るって言っていたよな……」
『疲れた』と言っていたし、寝ている先輩を起こすわけにもいかない。
……もし、中にいなかったら、そのまま帰ろう。
【知識の樹】の部屋の扉を、静かに開ける。
「――――」
「……声?」
数センチほど開けたときだった。こちらへと漏れ聞こえてきのは――ヴァレリア先輩の声。けれど、いつものような能天気な声でも、垣間見せる真剣な声でもない。それらとは全く違う、暗く沈んた、悲しそうな声。
「――とうとう、お前だけになってしまったなぁ……」
そっと中を覗くと、窓際に先輩が腰掛けていた。顔の周りをふわふわと飛んでいるのは、先輩の妖精だろう。外から差し込む月の光が、陰影をハッキリと照らし出していた。
――――っ!?
目元と頬に、キラリと光る雫があった。
まさか……泣いてんのか!?
「嘘だろ……?」
先輩が泣いてるところなんて、これまで見たどころか想像すらしたことがない。
本当に泣いているとしても、いったい何に対して泣いてんだ?
『お前だけになっちまった』? まったく見当がつかない。
……気にはなる。けど、ここで出ていくか?
いや、無理だろ。無理無理。そこまで空気読めなくはないぞ。
――出直すしかない、か……。
先輩の様子は心残りだったけど、そっと扉を締めて寮へと戻った。
――結局、ミルクレープの修復作業は数日で終わったらしい。生徒全員が中央棟の大ホールへと集められ、実践訓練の為の臨時講師として学園に常駐することになったと、正式に学園長から発表された。
「そういうわけで、みなさん。彼女のことはミルクレープせん――」
「ミル姉さんと呼べぇぇぇぇ!!」
生徒に銃口を向けるミルクレ――ミル姉さん。
さっきまでザワザワしていたホール内が、一瞬でシンとなる。
これって……脅迫って言うんじゃないです?
「……コホン。“ミル姉さん”は、南の小闘技場に居てもらうので、ぜひ鍛えてもらいたい生徒は行ってみるといい」
「各自、一人で行く時は誰かに声をかけておけよー」
朝会はテイラー先生のそんな言葉によって締めくくられた。
殆どの生徒はハテナマークを浮かべていたけど、自分には分かる。
訓練中にミル姉さんが羽目を外しすぎて、大怪我をした時の為だろう。
――俺も行こうとは思っているけども、初日も二日目も丸々全部に授業が入っている。流石にそうそう何度も授業をサボるわけにもいかないから、顔を出せるのは夕方になるか……。
「まぁ、どちらかで会えればいいか。別にその後でも時間はあるし――」
そう思って、授業が終わってから南の小闘技場へ向かったんだけれど……。
「――あれ。ここだったよな……」
既に日は傾いているけども、眠る時間には早すぎる。
……というか、
アリエスから前に聞いた話だと、人型の
――いや、そんなことはどうでもいい。
どちらにしろ、ミル姉さんがいないのだ。
幾ら探しても、影も形もない。
確かに南って言っていたよな? 俺の聞き間違いか?
「……北の方も見てみるか」
そうして案の定、空振りをして。
その日は首を傾げながら、グループ棟へと戻っていった。
ようやくミル姉さんに会えたのは二日目の夕方――ではなく、三日目の朝。
「なんで初日も二日目も所定の場所にいないんだよ! お前の――」
「――あ゛ぁ゛?」
流石に語気も荒くなる。一喝されてしまったけど。
「――ミル姉さんの仕事場は、南の闘技場って言われてましたよね!?」
「あー、あー、あー! うるせぇうるせぇうるせぇ!! 全然人が来なかったから、アタシが直々に出向いてやったんだろうが!!」
それをして欲しくないから、わざわざ臨時講師としての場所を用意したのでは?
こちらとしては、何一つ間違ったことは言っていない。
なんで向こうが偉そうにあぐらをかいてんだ。
「――で、ここに足を踏み入れたってことは、訓練していくってことでいいんだろ? テメェがどんだけ生ぬるい糞ガキだったとしても、アタシが一人前の兵士に仕上げてやるよ」
口でクソたれる前と後に『サー』とか言わされそうな雰囲気だった。
兵士って……。普通に鍛えてくれりゃあいいんだけど。
ひたすら戦って実戦慣れしろ、ってぐらいしか予想できない。
「仕上げるって言われても……具体的にはどんなことをするんです?」
そりゃあ、あの時は見ているだけだったし、戦うぐらいはあると思う。……が、流石にあの勢いでこられても、経験値になるかといえば答えはノーだ。事故か災害にあったのと同じ様なもの。最悪、トラウマを植え付けられることもあるんじゃなかろうか。
「そりゃあ、ヨシュアには『手加減しろ』って言われてっからな。大概の奴には、易しいとこからキツいとこまで、段階的に難易度を上げていくさ。任せとけ。アタシゃあ、そこんところは万能だ」
「はぁ、万能ですか」
「六段階だぞ、六段階」
……それって万能なんだろうか。六という数字が微妙過ぎる。
「一の“序の口”から始まって、段々上がって最後の六段階目には――」
「……最後には?」
段階ごとに名前が付いているらしい。
恐る恐る
「“
「冗談じゃないナリ」
命が危ないって話じゃない。なんだこのロボ娘……。初対面であらかた察してはいたが、やはり物騒すぎる。食堂でハナさんに、ああは言ったけど――割と本気で、死者が出なかったのは奇跡だったんじゃ。
「……ナリ?」
「あぁ、いや。別になにか意味があるわけじゃないです」
あまりの衝撃に、語尾が変なことになっていた。
「まぁ、殺す気もなにも、魔法で切れ味を制限されてるから――」
そう言って、右肘からジャキンジャキンと刃物を出し入れしていて。とてもじゃないが、それを見て殺傷能力が薄いとは微塵も思えない。
「
「十分過ぎるっ!!」
もう、武装全部を取っ払った方が絶対いいと思う。
駄目だこいつは。今度、学園長に頼み込んでみよう。
「で、だな。一昨日と昨日、学園中をうろついて何人かに喧嘩を吹っかけてみたんだが……」
「なんで喧嘩を吹っかけてんですか」
訓練するために来たんだろアンタ。
「”
「キリカとリーオ……」
学生大会で決勝を戦った二人じゃないか。
突然に襲いかかられて、それでも対処できたのがこの二人だという。一応のルールは設けているみたいで、一定時間耐えきれば合格ラインということらしい。
リーオは一定時間をひたすら生成した武器で耐えきって。一方のキリカは一瞬でカウンターを取り、致命傷レベルの一撃を出してきたのだとか(ミル姉さんがこうしてピンピンしているということは、寸止めだったんだな。たぶん)。
……この殺戮マシーンについていけるだけの身体能力。
土台からして、頭一つ飛び抜けているんだろうなぁ……。
「他にもイケそうなのが何人かいたが……なんだったかな。クソっ、
ガンガンと自分の頭を叩いて思い出そうとしているけど、それでなんとかなるものなのだろうか。ブラウン管のテレビじゃあるまいし。
「あの場にいたのは憶えてんだ。……あぁ、思い出した。ヴァレリア・フェリウスは間違いない。ココ・ヴェルデも、
簡単に攻撃をいなしていたヴァレリア先輩と、直接被害を与えたココさん。正直、この二人を生徒としてカテゴライズしてはいけないと思うが。
やっぱり、というべきか。当然といった風に別格扱いされていた。
「なんだったかなァ、あの白いのは……。……あぁ、ムラサキだ。あれも“殺す気”余裕で突破だ、戦わなくても分かる。とまぁ、このラインはそれぐらいで――トト・ヴェルデは一つ下ぐらいだな。まぁ、それだけでも、他とは格が違うが」
ムラサキ……ルナが言っていた『学生大会に出たら優勝してしまう』というのが、あながち嘘ではないってことか? 授業でも、未だに本気で戦っているところを見たことがないからなぁ……。
「あのニハルってのも、汚名返上と
にはるん先輩とトト先輩は六段階中の五らしい。ミル姉さん曰く、一対一においての戦闘の目安らしいけど……。”これ”の上から二番目の強さと渡り合えるだけでも、規格外の強さを持っていると言えるんじゃないだろうか。
というか、にはるん先輩のあの魔法よりも強いのかよ、ミル姉さん。
「今の二人がトップクラスだが、その段階に入るのはざっと見ただけでも何人かいる。殆どが三年だったが――そうそう、ギリギリだが二年のグレナカートもだ」
「グレナカートも……?」
……あいつが、なんとか通過できるレベル。
ミル姉さん独自の番付が、頭の中で形を成していく。一年の時ほどグレナカートに対して対抗意識があるわけではないものの――それでも、こんなにわかりやすい目安が、目の前にある。
…………。
「俺が――」
「……あぁ?」
俺が――……? 俺は何を言おうとしてんだ?
――緊張で呼吸が浅くなっていることが、自分でも分かる。
そりゃあそうだ。無理無茶無謀が過ぎることを、口走ろうとしてんだから。
「俺が一番上の訓練に付いていけるようになれば、グレナカートよりも上ってこと……ですよね……?」
「へぇ……?」
ミル姉さんと目があった段階で、『しまった』と後悔がやってきた。
……言ってしまった。
一番上の訓練に、付いて行けるようになれば?
――これはもう、戦いの意思表示に他ならならねぇだろ。
「はっはぁ! そんな簡単に言ってくれるか、へぇ。なぁ、そうだろ? 横で見てただけじゃあ分からねぇだろうがよォ……。 そういうことは――」
まるで鱶のようなギザギザの歯を、怪しくギラつかせながら笑う。
次の瞬間、金色の髪がふわりと揺れ、ミルクレープの姿が視界から消えた。
「――っ!!」
「できる見込みがあってから口にするもんだ。えぇ?」
いつ終わってもおかしくない、一触即発の戦闘訓練が――いま、始まった。
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