第五話 『……悪かったよ』
肘をつき、腰を据えたままで。こちらを見下すように問いかけてくる。当初の予定がだいぶ狂ったけども、このまま謝ってさえしまえばどうとでもなるだろう。
「そこの……シエット・エーテレインに先のことで謝りにきた」
「……謝る?」
肘掛けに腕を置き、頭を支えた姿勢のままで。こちらが口にしたシエット・エーテレインの名に反応して、その本人の方を向くグレナカート。
こちらに対しては、さほど興味もないような態度である。
「そっちがいきなり仕掛けてきたけどよ、こっちも悪かったなって――」
「――シエット」
ヒューゴが続けて話をするのも無視して、その名を呼ぶ。
「……はい」
「いちいちこんな奴等に構うな」
……“こんな奴等”?
これが貴族の家柄ってやつか。明らかに蔑むような色が含まれていて。少しカチンときてしまったけれども、ここはぐっとこらえて黙っておく。ヒューゴの方はといえば――
「――――っ」
明らかに敵意を向け始めていた。
頭を下げようとしたところで、完全に気にも留められていなくて。
挙句の果てには、こんな奴ら呼ばわりである。
「お前たちは構ってもらえればそれで満足なんだろうが――あいにくとこちらは暇じゃない。下らん嫉妬で足を引くような真似は止めてもらおうか」
ヒューゴの方を見て、少し目を細めるグレナカート。
どうやら、同じドワーフ族だということに気づいたらしい。
「その佇まい。その態度――頼むから、同じ種族だと外では言ってくれるなよ。こちらの品位まで疑われては敵わんからな」
入学式の時、遠くから見ていただけでも感じていたことだが――自分もこいつの態度は気に入らない。生まれから何から違っていて、住む世界が違っていて。そして、違う生き物を見るかのような態度に、反感を覚えずにはいられない。
「あ゛ぁ? 家柄で入学したようなお坊ちゃんが吹いてんじゃねぇぞコラ」
「実力を計る能の無い奴は、大人しくしておいた方が身のためだぞ?」
そこまで言った所で、向こうも椅子から腰を浮かせた。
部屋の空気が、一触即発の空気に包まれる。
……他の奴らは?
シエットとそのお付きは、自分たちのやり取りを息を呑むようにして見ている。白髪の女はこちらを睨み付けているし、男の方はソファに座ったまま気にも留めていない様子。ここから袋叩きにされる可能性は、低いとは思うけど――
「噛みついた先で牙をへし折られても責任は取れない」
「面白れぇ! そこまで言うなら見せてもらおうじゃねぇか!」
カチャリという音と共に、ヒューゴが背に付けていたホルダーから得物を外す。その右手に握られているのは――長手の鎚。鍛冶屋の息子と言っていたのだし、仕事道具のようなものなのだろう。
「おい、待てって。何しに来たか忘れたのかよ」
「今回は向こうが先に喧嘩を売ってきたんだ」
喧嘩の謝罪に来てまた喧嘩をするだなんて、本末転倒にも程がある。
こんなことになるのが嫌だったから、さっさと謝って帰りたかったのに。
「だからって、ここで喧嘩を買ったら――」
「……こんな場所では助けなんてこないぞ?」
向こうは向こうで、なんだかやる気になってるみたいだし?
全てが悪い方向に向いている気がしてならない。勘弁してくれ。
グレナカートはゆっくりとした足取りで玉座から離れ、武器を持たないままにこちらへと歩いてくる。そこは貴族らしく、いきなり飛びかかってくるようなことはしないらしい。
「まさか素手でやろうってのか」
「お前ら相手に、武器も魔法も必要ない」
完全に舐められていた。そう分かるような物言いをしていた。
同年代の男に、ましてや憎く思っている貴族に、子ども扱いされたのはマズい。
たぶん、今のでヒューゴの忍耐の限界を超えてしまった。
「いつまでその余裕ぶった表情をしていられるんだろうなァ! 危なくなったら、早めに取り巻きに助けを求めろよォ!」
まんまと乗せられた形。先に仕掛けたのはヒューゴの方である。
……向こうにペースを掴まれた状況で始まってしまった。
左から右へと振るわれる鎚を簡単に受け流し、グレナカートは鼻でせせら笑う。
「欠伸が出るの間違いだろう?」
「て、めぇ……!」
分かり切っていたことだけども、頭に血が昇っているヒューゴの方が不利。だからといって、ここで自分が加わるわけにもいかない。万が一、大事になってしまわないよう、いつでも動ける準備だけはしていた。
「リグ・ミット・イン――」
「遅い!」
「――!? ぐっ……!」
一瞬で懐に入ったかと思うと、ヒューゴの詠唱が中断された。いつの間にかグレナカートの右手がヒューゴの首へ伸びており、身体は宙へと持ち上げられている。――その次の瞬間には、地面へと勢いよく叩きつけられていた。
「――がっ……!」
「ヒューゴ!」
ほんの数秒で勝負がついてしまった。まるで子供を相手しているかのように、表情一つ変わることのないまま。到底比べることのできない程の実力の差が、そこにあった。
……周りにいる奴らは、始まった今でもなお動こうとする気配を見せない。グループの監督役である教員や上級生も見当たらない。誰かが止めてくれるのを期待するだけ無駄なのは分かり切っていた。
「さっそくお山の大将気取れるような場所を作って、悦に入ってんのかよ」
「俺には上級生の庇護など必要はないというだけの話だ」
――ここでも特別扱いというやつなのだろうか。
「もっとも、お前らを監督する生徒の苦労は察するに余りある。とんだお荷物を抱えさせられて、同情に値するな」
「――――っ!」
カッとしたものの、ここで飛びかかっては自分が付いて来た意味がない。落ち着け。落ち着け、俺――と自分自身に言い聞かせていたのを隙と見たのか、グレンがこちらに迫ってきた。
「弱者は弱者らしく、強者からの統治を受けるべきだ、というのが良く解る!」
「くっ――」
‟たかが喧嘩”に、抜き身のナイフを出す程考え無しじゃない。鞘に納めたままのナイフを両手に構え、そのままグレナカートへ向けて振るう。――が、ヒューゴのような大振りをしているわけでもないのに、まるで動きを読まれているかのように躱されてしまった。
「さっきの奴よりは早いが……。どうした、それだけか?」
ここは少し本気を出して――正面から行くように見せかけて、全力で地面を蹴り背後へと回る。傍から見ている奴等はともかく、グレナカートの視界から完全に外れることに成功したはずだった。
「グレン様っ!」
「――――」
「――っ! これにも付いてこれるのかよっ」
最高のタイミングで、渾身の力で放った一撃だった。にも関わらず、皮でできた鞘が頬に掠っただけ。――鞘がなければ完全に躱されていた。
「早いだけが取り柄らしいな。芸の無い奴だ」
「そう言って内心は焦ってんだろ――!」
そのままこちらの手首を取ろうと、伸ばされた手を避け――後ろへと飛び退きざまに唯一使える魔法を撃つ。
「――〈ブラス〉!」
「使えるのは初歩の魔法だけか? ――舐めるのも大概にしろ!」
一呼吸の間もなく、一瞬でグレナカートが距離を詰めてきていた。こちらが飛ぶのとほぼ同時に近く、その距離は手を伸ばせば届くまでに縮まっている。
どうする……奥の手を使うか?
「――――っ!」
「ムラサキ……」
突如、横から細い腕が伸びてきた。白く長い髪が視界に映ったと同時に、それがグレナカートの傍にいたあの女子生徒なのだと理解できたのだけれど――反応できない速度で、左手の腕輪に添えていた右腕を掴まれた。
「ぐぁ……!」
手を振りほどく暇すらも与えられない。半ば無理やりに地面に叩きつけられ、次の瞬間には彼女の名前と同じ、紫色をした鞘が首筋に押し付けられていた。
「…………」
「良くやってこれだけか、笑わせてくれる」
――髪を掴まれ、顔を上げさせられ。いいように言われても、反論することもできない。……真剣勝負ではなかったとはいえ、全く歯が立たない。横やりが入らなければ、きっともっと酷い目に遭っていただろう。
「いったいこの学園に何しにきたんだお前ら。……ムラサキ。こいつらを外に放り出しておけ」
「…………」
扱いは至極雑なもので、首根っこを掴まれてヒューゴのいる辺りまで引きずられる。乱暴に外に打ち捨てられるよりは、自分の足で歩いて出ていきたいところだけど……。
「……ヒューゴ、動けるか」
「――だめだ、力が入んねぇ」
自分がやりあった時間も数える程しかなく、それだけでは回復もままならなかったらしい。このまま引き摺られて、放り出されて、散々な終わり方だなと思ったところで声がした。
「――私とルナでやります。それぐらいは構わないでしょう?」
「……好きにしろ」
再び玉座へと戻る固い足音とは逆に、今度はこちらへ近づいてくる足音が二つ。首を回してそちらの方を見ると、先ほど声がしていたエーテレインともう一人の女子生徒が自分たちの傍まで来て立ち止まった。
「ルナ、二人を外まで運んで」
「分かりました」
短く答えたルナと呼ばれた女子生徒に、身動きが取れないでいる自分達は軽々と両肩に担ぎ上げられる。……お前一人で担ぎ上げられんのかよ。ただの女子生徒じゃねぇだろ。
扉を開けるなり壁に叩きつけられるかと覚悟していた。けれども、それも
「申し訳ありませんでした。私たちではグレン様を止めることはできませんので」
「お嬢様……」
中に聞こえないようにか、声のトーンを抑えてこちらに謝罪してくる。
「もともとはこっちから謝るつもりだったんだ、こちらこそ悪かった。……おい、ヒューゴ」
「……悪かったよ」
「……別にいいですわ。あれだけ徹底的に
はぁ……。なんで謝るだけなのに、こんなに面倒なことになったんだか。
「怪我についても、出来るだけ早めに保険室に行かれるように。それでは失礼」
心配そうにこちらの方を見ていたルナの手を引いて、エーテレインがグループ室の中へと戻っていく。自分たちはといえば、そんなにすぐ動けるようになるわけでもなく――ボーっと天井を見上げて呟く。
「なんでボコボコにされてんだ、カッコ悪ぃ……」
「……お前のせいだろ。ったく、初日から散々だ」
入学したてで、ここまで差があることに衝撃を受けた。もともとの身体能力でもそうだし、魔法についてならば、自分はこのヒューゴよりも劣っている。
……まだスタートラインだ。まだ何も知らないし、分かっていない。差があるのは仕方ない。逆を返せば、知らなければならないこと、分からないといけないことが山ほどあるということだ。
「今のは……まだ本気じゃなかっただけだ!」
「俺だって……本気じゃなかったさ」
流石にそれだけはやめておけと、自身の理性が告げていたし。
こんなところで、全力を出すにはデメリットが大きすぎる。
……まずは、他の部分で追いつけるようにならないと。
「ここから先どうするか、だよな」
「まだ始まったばかりだ! このまま負けていられるかよ!」
『いったいこの学園に何しにきたんだ』だなんて、二度と言わせてやるものか。
「……あぁ。絶対、この学園生活の間に見返してやる」
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