おまけ 本の海の尻拭い役

 四方を取り囲むのは、限りの無い程にそびえ立つ壁一面の本棚。

 そして延々と広がるような空間を――まるで迷路のように、それでいて整然と区切っているのもまた、膨大な数の本棚だった。


 ――本。本。本。


 様々な色の、様々な厚さの、様々な装飾の、知識の塊。

 書き記した者の声、もっと言えば人生そのもの。

 彼らは形を失うまで、文字という形で延々とここで生き続ける。


 それらの為に用意された部屋が、この図書室である。


 ――けれど“室”と呼ぶのも、あくまで名義上のもの。

 そう呼ぶには広すぎる。館と呼ぶにもまだ足りない。


 ある者は、そこを城と呼んでいた。

 まるで大海だ、と表した者もいた。


 これは――その学園図書室での、ある一幕。






「申しつけていただければ、私が借りてきますのに!」

「貴女に任せると、全く別のものを持ってくるでしょう!?」


 そこにいたのは、二人の女子生徒。片方は金髪のロールで普通の学園制服を纏って。もう片方は、水色のショート髪にメイド服という装い。


 ツカツカと本棚の間を早足で移動している、【銀の星】所属のシエット・エーテレインと、その従者であるルナ・ミルドナットだった。


 彼女たちが、何をしに図書館へ訪れたのかというと――その理由は至極真っ当、本を借りに来たというだけのこと。入学式の直後に、ちょっとした“いざこざ”を起こしてしまい、借りそびれた本を今一度探しに来たのである。


「三階の反対側第二十八ブロック……」


 シエットとて記憶力が悪いわけではなく。初めて訪れた場所で戸惑うことはあれど、既に一度訪れた場所ならば何かと勝手も分かってくるというもの。先日のような無様だけはしまいと、強く心に誓っていた。


 そうして前回、図書室を管理しているローザ・シャープウッド女史に渡されたメモを頼りにしながら、なんとか辿り着いたシエット。


 目的のブロック、目的の区画、目的の本棚、目的の列。そして――


「……あら?」


 目的の本が――無い。その部分だけ、すっぽりと抜けていた。


 女史のメモが間違っていた、ということはないはず。もしかして、数日の間に貸し出してしまったのだろうか。今回訪れた時に尋ねておけばよかった、と少し後悔していたところで――


「やっほー。もしかして、お探しの本はこれ?」


 どこか聞き覚えのある声が、シエットへとかけられて。彼女が振り向くと、そこには紫色の長髪を揺らす女子生徒――アリエス・ネレイトの姿があった。


「貴女は……確か【知識の樹】の……」


 【知識の樹】に対して――正確にはそこに所属しているヒューゴ・オルランドに対して良い印象を持っていない。故に、シエットの目つきが、口調が、自然と厳しいものになってしまう。


「……なんの用でして? わたくしとしては、貴方たちとはあまり関わり合いになりたくないのですけど」

「お嬢様……」


 同学年とはいえ、シエットがここまで明確に敵対心を露わにすることは珍しく、ルナが心配そうな声をあげる。ルナにとっても心当たりが無いわけではない。シエットがこういった反応を示すのは、だった。


「いやいや、そんなに邪険にしないでさ。ね?」


 一瞬にして、凍てつくような、近寄りがたい空気を醸し出したシエットに対して、臆面もなく、むしろ友好の意を滲ませながらアリエスが近づいていく。


「今日はウチの男共のことで謝りに来たの」

「……その件については、もう解決しました。借りる予定がないのなら、その本を置いて何処かに行ってくださらないかしら」


 嫌がらせの目的でそうしているのなら、ただではおかない。と、そう言外に匂わせていた。さらに言えば彼女は――氷の妖精魔法使い。仲間が目の前で氷漬けになったのだから分かっているだろう、という警告でもあった。


 アリエスの方も、その場の空気の変化に疎いわけではなく。シエットの言おうとしていることを察してなんとか取り繕おうとする。


「ち、違う違う! 別に嫌がらせとか、そういうつもりは一切ないの!」


 ブンブンと手を振り、敵意のないことをこれでもかとアピール。

 持っていた本も、躊躇ためらうことなくシエットに手渡す。


「実を言うとね、あなたと仲良くしたいだけなの。私も本を読む方だから」


 いくら成り上がりの者とはいえ、シエットの家は名家である事実は変わりない。そのこともあって、過去に『仲良くしたい』と語りかけてくる者も多くいたが、大半は碌な者がいなかった。この経験が、シエットの、他の者に対しての警戒の一因ともなっていた。


「…………」


 ――しかし、それでも彼女の中で揺らぎが生じたのは、同じ年代の女子であることと、読書が趣味という共通点を見つけたから。


 言葉で繕っただけの、表面上のものでない。同じ趣味を持つ者というのは、互いに匂いで分かる。その仕草、言動、思考――同じ工程を経れば同じ結果が生まれるように、自分と同様な“何か”を有していると、その雰囲気で分かる。


「この本とか、私も読んだことがあってね。この本の筆者も、もともとは技工士クラフターっていう職人だったらしいんだけど、彼女みたいに自分の飛空船を持って世界中旅するのが夢なの」


 同じグループのメンバーにも、仲良くしているハナ・トルタにもまだ話していない夢を、アリエスはシエットに話した。


 己の夢を語るということは――時には弱みを語ることよりも、勇気を伴う行為である。互いの距離を詰めるための大きな一歩を、相手が止める暇も無いうちに踏み出した。


「自分の好きな物語の、登場人物みたいになりたいって、思ったことない?」


 アリエスが幼少期に読んでいた物語――それは、クラフターの少女が竜と共に旅する話だった。父親が助けてきた竜を治療し、やがて街を出て世界中を飛び回り、そして他の竜と旅する少年たちと出会い、最後には世界を救う戦いに赴く。


 今となっては殆ど見ることのない“竜”と、ヒトが手を取りあう冒険小説。彼女が機石魔法師マシーナリーになろうと思ったきっかけが、この物語だった。


 人が成長する上で、憧れというものの存在は大きい。別の感情で成長する者もいるが、アリエスにとってのかては、物語からもたらされる憧れだったことは間違いない。


「一度や二度、いや、もっとあってもおかしくないんじゃない? あるよね? ……あれ、もしかして私だけ?」

「そ、そんなことはありませんけど――」


 私がそうなのだから、きっとシエットもそうだと、ぐいぐい押していくアリエス。その勢いにたじろぎながら、シエットも思わず本音を漏らしまう。


「いいねいいね! やっぱり気が合いそう!」


 そう言って、シエットの手をとり軽く握手を交わす。


 シエットにとっては、登場人物自体というよりも、物語に描かれる世界やキャラクターの置かれた境遇などに興味がいく方なのだけれど――


「……まぁ、敵意がないのなら別にいいでしょう」


 本好きということには、そう変わりがない。

 そういった意味を込めて、少し力を込めて手を握り返したのだった。


「わ、やっぱり手が冷たいんだ。氷の妖精魔法を使うから?」

「えぇ、少しは影響されているのでしょうね。……まぁ、、別に構いませんわ」


「…………?」


 なにやら含みのある言い方に少し疑問を覚えたものの、アリエスはもう一人の女子とも握手を交わそうと手を伸ばす。


「えーっと……」

「ルナ・ミルドナットです。お嬢様のお世話をさせていただいております」


 少しだけボリュームのある水色の髪と、透き通るような同色の瞳。シエットとはまた少し違う涼しさをたずさえていた彼女が、握手へと応じる。


「――――!」

「……? どうかなされました?」


 ルナがアリエスの一瞬驚いた表情に気付き、首を傾げる。


 まさか、知らないところで何か粗相をしていたのだろうか。とシエットの方をちらりと見るけども、彼女から見ても何もおかしい部分は無く、アリエスの表情にも気づいていない様子。


「ううん、なんでもない。――今日はほんとうにゴメンね! また後で、本の感想聞かせてね!」


 そう言って、手を離しにこやかに帰っていくアリエス。

 彼女にとっては、そう悪印象を与えていないだけで満足だった。


「変わった子ですわね……」

「そうですねぇ……」


 二人して顔を合わせて疑問符を浮かべながら。

 渡された本を借りに、ローザ女史のいるカウンターへと戻って行ったのだった。

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