第七十五話 『その天秤に乗せるもの』
「――で、数週間前にこの街で、画家を目指していた男の人が失踪したらしいの。生活にも困っている様子だったから、夜逃げしたんじゃないかって周りの人は言ってるんだけど……」
流石の先輩も、いくら朝が弱いからといっても、午前中ずっと寝てたわけじゃないらしい。どうやら宿の周りで情報収拾をしていたようで。その成果の中でも、『これだ!』という情報がこれだった。
「先輩は、それが今回の件に関わっていると?」
そう尋ねると、先輩は小さく頷く。
「そうだとしたら、地下室があってもおかしくないじゃない? 他の部屋に閉じ込めているよりも、外から見つかりにくいし、何かの拍子に逃げられても困るだろうしね」
「…………。そうなると、こうやって偵察しても収穫は見込めないか……」
昼食を軽くとってから、朝のうちに自分が見つけたポイントに。先輩がしゃがみ込むようにして見下ろしている間、自分は通路の方を警戒しながら話をする。
「あ、テイルくんが言ってた家主ってあれかな」
「ちゃんと伝わってるじゃないですか」
絵心が無いと言われたけども、まだまだ捨てたもんじゃないな。
「髭が無かったら分からなかったよ」
「……そっすか」
……容赦がなかった。なかなかにシビアである。
とりあえず、心に傷を負いながらも先輩の横へと移動して、屋敷の方を窺い見る。あの特徴的な髭は間違いない、屋敷の主だ。
「なにか話しているみたいだね」
「……駄目だ、何言ってるか全然聞き取れない」
自慢ではないが、聴力に関しては
……やっぱり、もう少し近いところで探しておけばよかったか。
透明化する魔法が、いまだ完璧ではないことが恨めしい。にはるん先輩は『コツさえ掴めればちょちょいのちょいですよ』とか言ってたけれども、そもそも魔法にコツもクソもあるのだろうか。
自分で使いやすいように組み直すにしても、まだ半分程度しか理解できていないため手が出せないでいた。
「ちょっと双眼鏡借りていい?」
「いいですけど……先輩も機石付きのを持ってるじゃないですか」
魔力を通せば倍率が上がるという優れものらしいのだが――どうやら、ここで魔力を消費するほどでもないと考えたらしい。使用者の魔力が必要とされるものと、そうでないものの二種類ある。
「うんうん、よく見える。どれどれ……」
最初は口をパクパクとしていただけだったのだが、『商談……夕方……帰って……』と断片的に言葉を拾い始めた。
……そうだった、このヒト読唇術使えるんだった。100%とはいかずとも、それでも会話の意味が分かる程度である。
「どうやらどこかに何かを売りに行くか買いに行くみたいね。物は無いみたいだから、どっちか判断できないけれど……。実際の取引が明日になってくれれば嬉しいんだけどね」
魔法いらずじゃねぇか……!
「そんなに分かるものなんですか、それ……」
「コツはいろんな人の思考の動きを知ることかな。『こんな人だったら、きっとこう言うだろう』って事前に予測を立てるだけでも、何を話しているのか聞き取りやすくなるの」
その特技、やっぱり便利だよなぁ……。と言っても、先輩の洞察力の高さがあってこそなんだろうけど。とりあえず、『へぇ……』と生返事。こうだと聞かされても、実際にどういうことなのかさっぱり理解できない。
途中でおやつを食べたりしながらも、家主が戻ってきた夕方まで偵察は続いて。
「どれどれ……えーっと……」
家主が戻ってからは、警備の男たちも気が抜けたのか雑談が目立つ。もちろんルルル先輩によって、その会話の内容の殆どをすっぱ抜かれているのだが。
「うーん、『次に仮眠を取るから、早めに交代して欲しい』だって。一応は時間を決めて交代してるんだ……メモメモ……」
……逆に自分が何もしてなさ過ぎて居心地が悪い。
「昨日の夜に騒がしくしたから、家主がしっかり見張りをするように言ったんだって。明日は今日の昼にあった商談の続きでしばらく出かけるから、それさえ終わればゆっくりできるって愚痴ってたね」
『というわけだから、やっぱりテイルくんの活躍もあってこそだよ』と、フォローされたのだけれど、それが逆に心苦しい。結局は事故みたいなものだからなぁ、あれ。
そこから先は、いくら待っても動きはナシ。夕方までの散々余った時間に、警備の巡回ルートやら、昨日見えなかった部分などの情報の補完ができたから、準備はほとんど万全に近いもの。
そろそろ宿に戻ってもいいんじゃないか、というところで――ふと先輩に聞くつもりだったことを思い出した。
「先輩……」
「んー? そろそろ戻る?」
心を読まれていた。
……そんなに分かりやすい態度を取っていたか?
「いや、そうじゃなくて。……先輩が新聞部とか、こんな依頼を受けるのって、なにか理由があるんです?」
「…………。テイルくん、ちょっとこっちに」
くるりとこちらを向いて。ちょいちょいと、手招きをされる。
どうやら座れということらしく、向かい合うようにして胡坐をかく。
『――わたしはね?』と、ゆっくりと口を開く先輩。
「学園から出たら、こうやって“意図的に隠された真実”を暴く仕事をしていきたいの。それは決して『誰かを陥れたいから』じゃなくて――」
普段のような早口ではなく、一言一言、言葉をそっと置くように、丁寧に並べていく。たったそれだけで、それが先輩にとって重要なことなのだと理解できる。
「世界はヒトと魔物の問題がたくさんあるように見えるけど、ヒトとヒトとの争いや問題も、見えにくいだけで無くなっているわけではないの」
例えば――と先輩がいろいろな例を話してくれる。……世界情勢に疎かった自分としては、どれも耳新しい。
……魔物のいる世界でも、争いは無くならないというのも情けない話だった。自分はそういうことは無かったけども、父や兄はそういった争いに加わっていたのだろうか。
「……
「それじゃあ、裁判官になればいいんじゃないですか?」
「いろいろと大変なのよ。それなりの身分を証明したり、たくさん勉強したり。とりあえず、私はそれができないから」
とか言っているけども、先輩の成績がそれほど悪くはないのを知っている。むしろ学園内でも高い方なのに、偶に奇行に走るからタチが悪いのだ。
……それとも逆か? 頭が良いから奇行に走ってるのか?
「正しい結果を出すためには、まずは中立な心の天秤がないと。そして、その天秤に乗せるものが、正しいものでないといけない」
自分の毛並みをグシャグシャに乱す時の嬉しそうな顔、ではない。
自分が魚を盗ってきたと勘違いした時の怒った顔、でもない。
自分を置いて宿まで戻ってからの心配した顔――違う。
学園から引っ張り出されてから、今の今まで。
――ずっとおちゃらけてた先輩の、初めて見る真剣な表情だった。
神出鬼没、どこからでも現れて、それでいて騒がしい。
笑うにも、怒るにも、驚くにも。いつだってどこかオーバーに表現していたルルル先輩なのに、こんな表情をすることもあるのか、と息を呑んだ。
「……人の悪意によって、偏らせていいものじゃない」
それが先輩の原動力。決してブレることのない芯みたいなもの。
けれど――どうしてだろうか。
「私は、その平衡を保つ役割をしたいの」
その瞳の奥の輝きに、どこかゾクリとした。
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