第六十五話 『そのときは……また』

「ありがとうございました。今日は本当に楽しかったですわ」

「それでは、失礼いたします」


「ううん、こちらこそ来てくれてありがと! またやろうね!」


 あれから他のお菓子にも舌鼓を打ち、帰るころには笑顔を見せるようになっていたシエットと、その表情を見て嬉しそうにしていたルナを手を振って送り――


 あとは、それぞれにおすそ分けのお菓子を配って回るだけ。


 アリエスは言っていた通り、にはるん先輩たちのいる【黄金の夜明け】とルルル先輩とヤーン先輩のいる【真実の羽根】へ。ヒューゴも試合相手に挨拶をと、ウェルミ先輩におすそ分けするつもりでアリエスについて行った。


 ハナさんは『もしかしたら先輩が帰ってくるかもしれないですから』と、グループ室に残ることに。夜になっても戻ってこなければ、そのまま寮へと戻るとのこと。


 そして自分はといえば――


「お疲れ様。大会優勝した?」


 ――いきなり答えにくいことを聞いてくるな、こいつは。


「……いや、残念ながら準決勝で敗退だ」


 薄暗い地下広間にて、高い所から見下ろされていた。まるでピラミッドのように高くなった床の頂点に肘掛椅子があり、部屋の主である少女がそこに腰掛けている。


「あれだけ手伝ってもらったのに、不甲斐ない結果で悪かったな」

「……別にいいけどね。そんなに興味ないし」


 ――クロエ・ツェリテア。学園の“裏側”の住人、《特待生》の一人であり、半吸血鬼ハーフヴァンパイアという生まれの特性上、日光には弱いこともあるのだろう。学園の表側に出てくることは殆どない。……たまに食堂に食べ物を取りには行っているようだけど。


「それで、なんの用で来たの? まさか、そんなどうでもいいことを謝りに来たわけじゃないわよね?」


 素っ気ない態度をとりながら、椅子から立ち上がる。地面に付きそうなほどに伸ばした金色の髪と、まるで夜闇のように真っ黒なドレスがふわりと揺れた。


「どちらかと言うと、礼を言いに……かな。結果は散々に終わったんだが、アリエスが打ち上げやりたいって言いだしたんで――」

「あぁ。まさかあんたも誘いに来たわけ? 《特待生》でもない人と馴れ合っていると思われても迷惑だし、一度断ったはずだけど」


 なんで呼ばないのかと文句を言われるかと思いきや、もうすでに断っていたらしい。……というより、いつの間に声をかけたんだか。


「打ち上げだなんて、ただワイワイ騒ぎたいだけじゃない。そんなもの――」

「そうか……お菓子のおすそ分けに来たんだが、それじゃあいらないよな」


 そう言って踵を返し、広間を出ようとしたのだが――後ろから慌てたような声が飛んでくる。


「邪魔して悪かった、こいつは持って帰――」

「……ちょっと待った!」


「意志が弱すぎるなおい!?」


 そこにあったクロエの口元には、背伸びして取り繕っていた威厳や気品だのは微塵も残っていなくて。『じゅるり』と擬音が出そうなほどによだれが溢れていた。






 流石に何度も訪れていれば、学園内のあちこちに伸びている“裏側”の通路も半分くらいはどこに繋がっているのかを把握していて。目的の場所に近いところから表へと出た。


「さて、あとは――」


 ――なんとかクロエにお菓子を手渡して、次の場所へと向かっている最中である。(クロエはその場で袋から一つ取り出し、一口齧った瞬間に目を輝かせて足をバタバタさせていた)


『あぁ、また今度、頼みたいことがあるから。時間があったらここに来て』


 今じゃ駄目なのかと聞くと、他の《特待生》も呼んでみんなで食べるそうで。こっちとしてもそれは予想の範疇なので、あらかじめ大目に持ってきておいて良かったと思う。


 流石に毎度とは言わずとも、たまにぐらいならこっち【知識の樹】に顔を出すようになるだろうか。それぐらいには好評に見えたし、あとでアリエスにも教えといてやろう。


「確かまだここにいる筈だけど……」


 自分が大きく息を吸い込み、ゆっくりと押し開けたのは――保険室の扉だった。


「――どうした。傷が疼きでもしたかね」


 ……珍しくタバコを燻らせてはいないファラ先生が、椅子に座ったまま出迎えてくれた。けれども、こちらが目的なわけではない。たぶんベッドに寝ているだろうと思うので、一応確認をとってみる。部屋の奥の様子を窺いながら、声を抑えて。


「いえ、見舞いにきたんですけど……まだ寝てますか?」

「いいや。先程目を覚ましたばかりだから、まだ起きているだろう」


「そうですか。それじゃあこれ、ウチで作ったお菓子なんで先生にも」

「……甘い物はあまり食べないんだがね。ありがたく受け取っておくよ」


 行くといいと促す先生にかるくお辞儀をして、カーテンで囲われたベッドへと向かう。少しだけ引き動かし、中へと入ると――上体だけ起こしたハルシュ・クロロの姿があった。


「身体の調子はどうだ?」

「テイルくん…………」


 メガネはかけていて、顔色はそう悪くはない。本人としては十分動ける様なのだけれど、学園長が今日だけは様子を見たほうがいいと言ったらしい。


 ……この保健室の様子を見ると、本当にここで一夜過ごすことが身体に良いのか疑問でならないけども。


 なにか本のひとつでも持ってくればよかったかと思いもしたが、好みも知らないのに適当に持ってこられても困るだろう。どうせ今日一日だけなのだから、そこは我慢する方向で、と菓子の袋をベッド横の棚の上に置き、椅子に腰掛けた。


「わざわざ見舞いに来てくれて……ごめん、君まで危険な目に遭わせてしまうかもしれなかったのに」


 項垂うなだれるハルシュだったが、こちらとしては試合だったのだからある程度の危険は覚悟の上だし、そもそもそれ以上に危険な奴等がごろごろしていたのだから苦笑いするしかない。


「事情は先生の方から説明してくれたらしいけど……それでも中には、僕をズルをする卑怯者だって疑い続ける人もいるかもしれない……」


 薄く笑ってはいるものの自嘲に近い笑みだった。精神的にはだいぶ疲労しているのが見て取れた。自分からしてみれば、どこからどう見てもあれは事故だ。


 使用者にまで被害が及ぶような魔法を使うやつが、いったいどこにいるんだと。


 一時的な勝利の為にリスクを冒す必要なんてどこにもない。禁術を使った時点で反則負けは免れないのだから。


「あれが本人の意思によるものじゃなかったってのは、普段のお前を知っている奴なら理解できるはずさ」

「……うん」


 そこまで気にすることでもないと励ましの声をかけるが、ハルシュはマジメすぎる性格な故か、納得できていないようだった。


「折れさえしなければ、その汚名を払拭できる日が来るはずだ。そうだろ? またいつか、来年でも学生大会に参加して、今度こそ優勝してやればいい」


 前の試合だって、禁術が発動する直前までだって、一人の魔法使いとしての実力は十分に見せていた。自分なりの魔法を駆使して、戦っていたのだ。それだけの努力をしてきた者なら、別の機会にそれを見せつけてやればいい。


「そのときは……また相手してくれるかな」

「……こっちはまたやると負けそうだから、気が気じゃないけどな」


 術者と対象を入れ替える魔法は、脅威と言わざるを得ないだろう。今回の大会ではまだ単純な早さで攪乱できたものの、遠・中距離での立ち回りが堅くなればどうなるかは分からない。


「さて、私もそろそろ出ないとならないのだがね。テイル・ブロンクス、ベッドには空きがあるが、泊まっていくつもりかな」

「い、いえ、自分もそろそろ帰ります」


「ハルシュ・クロロ。明日の朝に軽く様子を見て、それから戻るといい。それと――」


 保健室の扉を締め、ファラ先生と廊下に二人きり。身長が高いため自分が自然と見上げる形になる。目線を合わせるだなんてそんな優しさは持ち合わせちゃいなかった。


「頻繁に、とは言わないが、たまに保健室に立ち寄るように。自分の腕に疑いはないが、一応経過を観察させてもらう。少々、お前の身体は“特別”だからな」


 懐からタバコを取り出して、それから小さく呪文を唱えて火を点けた。どうやら、ベッドで寝ているハルシュに気を遣って吸わずにいたらしい。


「……特別?」

「学園でしばらく生活していて気付かなかったか? 亜人デミグランデだからといって、自由にその度合いを変えることができる種族は珍しい」


 確かに、ハナさんやにはるん先輩も同じ兎の亜人デミグランデだが、見た目はまったく違うし、自由に変えられそうもなかった。その血の濃さで、獣の部分とヒトの部分の割合が決まるんだったか。


「当然、見た目を偽る魔法もないわけじゃない。だが、お前の“それ”は違うだろう? 種族に与えられた特性だ。ヒトの状態でいる時と亜人の状態でいる時、体質からして変わっている場合は、治療法も変えていく必要があるかもしれないということだ」


 つまりは検体になれ、ということである。


 ――種族。黒猫の亜人デミグランデ


 自分の種族がなんで他とは違い、容姿をある程度調整できるのかは分からない。この世界の進化の歴史だって学ぶような暇は無かったし、きっと誰かに聞いたところで知ることはできないだろうと思う。知ってるとすれば神様ぐらいだ。なんて。


『……アンタが確かに猫の亜人デミグランデというのは珍しいけど、それだけで《特待生》になんてなれないわ』


 クロエの言葉を信じるならば、《特待生》の端にはギリギリ引っかからなかったが、その程度には珍しい種族というのだから。今目の前でファラ先生が申し出をしていることが、まさにその証明だ。


 けれども、そんな種族である自分が――いわゆる検体としていろいろ覗かれたところで、やはりその数少ない自分の同類が学園に来るとも考えられない。……やっぱり必要はない。


「でも、結局自分だけなのに――」

「自分だけ、ということはない」


 ぴしゃりとこちらの発言を否定される。咥えていたタバコは、いつのまにか右手へと移っており、なんとそれを廊下の壁に押し付けて火を消してた。それはもうぐりぐりと。焦げ跡が残るぐらいに。


「――っ!」学園長ー!!


「少数派というだけで、それは一では決してない。誰かを救う道とは、膨大に積み重なった症例・事例によって成されるもの。一を救えば全も救えるわけではないにしろ、仕事上誰かを助けるのに、そこから外れた者がいるわけにはいかない」


 有無を言わせないような、身長差のせいで上から覆いかぶさるような圧。細身の眼鏡の奥から覗く、黄色がかった瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。


 まさかこのまま拉致されて、地下室にでも幽閉されるのではないか、と嫌な予感が頭をよぎったのだが、すっと先生が一歩下がると共にその圧が解かれた。


「なに、死ぬようなことはしない。……痛みはあるかもしれないがね」


 …………。


「て……丁重に断らせていただきます」


 先生は『冗談だ』と言うけれども――変化の乏しい表情で言われたところで、こちらとしては全然笑えなかった。

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