第六十三話 『とても久方振りでしたので』

 来た道を戻ってどうするんだという指摘を受け、ルナ・ミルドナットは『しまった』という表情を一瞬浮かべた。……本当に一瞬だけ。


「……いえ、分かっていましたけど?」


 眼の前まで来るなり、精一杯の去勢を張ってそんな言い訳を口にしていた。


「……あ゛ぁ゛?」素で間違えてただろテメェ。


 ――とまでは流石に口に出さなかったけれども、自分でもやりすぎかなと思うほどに怪訝な声が出てしまった。向こうもそれに少し気圧されたようで、慌てた様子を見せる。


「た、たたた試してみたんですよ!」


 ――が、次いで出た言葉も、今この状況では逆効果だろう。

 こいつらの辞書には、謝るって単語がねぇのか。


「ウソつけぇ!」


 さっきの飛んで来た時の事といい、段々と化けの皮が剥がれてきたぞ。こいつ……相当ポンコツだな。ポンコツメイドってやつだ。こちらの一喝を受け、一瞬で意気消沈、しゅんと項垂れてしまう。


 シエット家の――というより、シエット・エーテレイン個人に対しての御付きらしい。彼女らの家の話など全く知らないが……これまでの感じから、そんなところだろう。


 ヒューゴから聞いた話と合わせると――これまでの態度から、成り上がりとはいえ名家の者らしく振る舞おうという考えも見て取れた。グレナカートあたりからも『軽々しく頭を下げるな』とか言われているんじゃないだろうか。


 ……とはいえ、ヒューゴと【銀の星】へと訪れた時、グレナカートにボコボコに熨されてしまった時は、しっかりと謝られてしまったのだけれど。


 そういう部分からして、なんだか背伸びをしているというか。チグハグなんだよな、という印象を受けていた。


「――ったく。さっさと進もう。日が暮れる頃にでも戻った日にゃ、アリエスになんて言われるか分かったもんじゃない」


 ――念の為、方角の確認をしてから自然区の奥の方へと進んでいく。


「……とりあえず、魔物のいるところで一緒に行動するんだ。しっかりしてもらわないと困るんだが。あと、さっきの羽は――」

「――――っ!」


 そこまで深くまで潜るつもりもないが、どんな魔物が生息しているのか把握しきれていないのだ。いざというときにポカミスをされても、こちらの身が危険に曝される危険性があるわけで。いったって真面目に話していたのだけれど、自分の口から“羽”という単語が出てくると急に落ち着きを失い、目が泳ぎ始めた。


「あわ、あわわわわ……」


「……なにも変なことを言ったつもりはないんだが?」


『いったいどうしたんだ』と問うと、ルナは両手の人差し指をツンツンと突き合わせるといった絵に描いたような仕草をしながら、ポツリポツリと事情を口にする。


「実はお嬢様から『使ってはならない』と言われているんです……。見なかったことにしていただけないでしょうか……」


 羽のことだけではなく、その他諸々の質問も控えて欲しいと、併せて願い出てきた。空が飛べるというだけでもだいぶ楽になるんじゃないか、と少なからず期待していただけに、この申し出は少なからず頭を悩ませる。……本当に使い物になるのか、こいつ。


「……お前、シエットのメイドって言ってたけど、妖精魔法科ウィスパーじゃないよな。魂使魔法科コンダクターか?」

「……いいえ、機石魔法科マシーナリーです」


 アリエスのクラスメイトかよ……。

 そこらへんの話がこれまでいっさい無かったぞ、おい。


お前のところ【銀の星】はグレナカートとお前の主人シエットだけだったよな。お前と……あのムラサキってのは何で参加しなかったんだ? 戦えないってわけじゃないんだろ」


「わ、私だってちゃんと戦えますとも! ただ……」


 傍から見ると不安しかないのだが、本人は強く否定していた。それなら出ればいいじゃないかというと、なにやら事情があるようで。


「お嬢様は『参加させたくない』と、はっきりおっしゃられましたので」


 なぜかと尋ねても、そこはプライベートに関わることがあるのか、言葉を濁しながらも話をしてくれる。


「あー……私としても、お嬢様と当たった時のことを考えると……気が乗りませんでしたし、そういった理由で参加は控えさせていただきました。ムラサキ様もだいたい同じ理由ですけど……。あの方は如実に嫌がっていたようです。出てしまえば“確実に”優勝してしまうから、と」


 ――割と聞き捨てならない発言が飛び出していた。


「……は? お前、大会の内容は見てたか?」


 キリカやリーオだけではない。にはるん先輩はもちろん、ウェルミ先輩や他の途中で敗退した先輩たちもいる。それら全員を相手にしても優勝する自身があると?


「もちろん。……ですが、それでも。ムラサキ様が優勝するだろうと、グレン様も認めた上で……ハッ――!」


 今のも『喋りすぎた』と表情に出ていた。

 なんだこいつ、情報セキュリティガバガバだぞ。


 それにしても、確かに教室で見せた剣技からは只者ではない実力を(ほんの一瞬だったけど)見せつけられたものの、そこまで言うものなのだろうか。キリカとリーオの繰り広げた決勝戦の試合を見て、二人がまだまだ自分の遥か遠くにいるのだと実感したというのに、あれを見て『優勝できる』と言えるものなのだろうか。


「どうせハッタリだろ。そんな簡単なもんじゃねぇぞ」

「…………」


 ヒューゴは嘘に決まっていると一蹴した。自分だって、半信半疑だった。――けれども、本当にグレナカートがそう言ったのならば、そこで嘘を吐く必要があるとは考えられない。試合中に呟かれた『ムラサキに比べればこの程度』という発言も鵜呑みにするわけではないが、ひょっとしたら本当に……。


「今回の大会では参加致しませんでしたし、これからも参加することはないでしょうから。嘘か真かなんて、言い合いをしたところで詮無きことです。この話は……もうよろしいですか」


 ルナの言っていることも尤もだった。授業中の様子からしても、グレナカートが命令したのならともかく、ああいったイベントに積極的に参加するとは考えにくい。


 先程から植物の密度が上がりつつあるなか、鬱蒼と茂る草々を書き分けて進みながら、『これ以上余計なことは言えない』と話を終わらせようとしたルナに、後ろの方を歩いていたヒューゴが声をかける。


「……アイツは……大会の結果について……なんか言ってたかよ」

「ヒューゴ……」


 最初の出会いが散々なものだったため、少なからず因縁の対決のようになってしまっていた以上――ヒューゴとしては、直接戦って勝敗が決したことで何かあるのではと気になったのだろう。


 真剣勝負の場で、手加減なんて入り込む寄りはなく、互いの全力を持ってぶつかりあった。そこから更にわだかまりが生まれる筈はない、とは思う。自分だって、最初に持っていたグレナカートへの不信は、あの戦いで漂白されてしまったかのように薄れていた。これはどうやっても敵わない、という諦めとは違う気がした。


「それについては、お嬢様御本人に伺ってください」

「……そうか」


 しかし、ルナの口から出たのは『本人から聞け』という突き放した内容の発言だった。……ヒューゴの性格からして、直接聞けるわけがないのを知っているだろうに。


「――此度の大会。……そんなに、悪くないものだったように思えます」


 ――そんな様子のヒューゴを見ながら、少しだけ付け加える。


「……お嬢様の楽しそうにする顔も、悔しそうにする顔も――目にしたのは、とても久方振りでしたので」







「――そろそろ着いたんじゃねぇ? 例の……」

「あぁ、ここが言っていた“高台”だろうな」


 自然区とは言っても、学園のある方を入り口として険しい山谷に囲まれた敷地をざっくりと囲んだものらしく。いくつかのエリアに分かれていて、そこに生息していた魔物はそのままだというのだから、初めて聞いた時には嫌な汗が出たものである。


 これまで歩いてきたのは、まだ体が小さく、性格も穏やかで、こちらから危害を加えなければ危険はない魔物ばかりが生息するエリアだった。授業でも何度か行かされたことがあったが、森の木々もわりと間隔が開いて伸びていたため、視界もそれなりに取れていたし、戦闘の基礎を磨くのにおいては丁度良い場所だ。


『一応、ここらへんまでは整備の手も入っている。……ひっく。命を落とすようなことは余程の間抜けじゃない限りないだろう。……うぃ~、ひっく。――だが“高台”から先は、殆ど手つかずの無法地帯だから、入る時は心して入れよ……ひっく』


 これから先、学外に出れば何があるか分からないのだ。トワルの地下下水道で出会った魔物のように、得体の知れない、危険な魔物だってわんさか出てくるだろう。


 ――つまりはここからが、自然区の本番ということである。


「……果物を取ってこいって話だったよな」


 手が入っていないだけに生物や植物などは勝手に繁殖しており、鉱物なども殆ど手つかずの状態で残されているようで。食料だけではなく、質の良い材料などを求めて立ち入る生徒もよくいるらしい。


 食堂に出てくる料理も、だいたいは外から取り寄せたりしているらしいが、自然区で獲れた食材も使われているとのこと。依頼掲示板でも食材の調達の依頼が出ているのをたまに見かけるが、どうしても急ぎの場合は自分達で取りにいくとか。


 ……料理ができるだけじゃなく、戦えるとかマジかよ。


「アリエス様から言伝を預かっております。『厨房のお兄さんからのアドバイスね!』だそうです」

「声マネしてんじゃねぇ」


 しかも結構似てるし。お茶目か。


 登り切った高台からあたり見下ろすと、遥か遠くに並び、そびえ立つ山々。実際にこうして見るまでは俄かには信じられなかったが、ちょっとした街なら十や二十は楽々収まるぐらいであろう敷地面積だった。


「その果物というのは、背の高い白い幹の樹にっているそうです」

「……あれじゃねぇか?」


 後ろでルナがごちゃごちゃと言っている傍から、ヒューゴがそれらしい樹を発見したらしい。段々になっている崖の、更に下。木々の枝葉が繁茂している中から、一際頭を覗かせているのは、まさに説明のあった樹木だった。


「あ――あれだな。ど真ん中に何本か、一本ごとに黄色い実が十個ほど」


 双眼鏡を鞄から取り出し、天辺の枝が広がっているあたりをよく確認してみると、それらしい果実がちらほらと見える。目的の樹で間違いはない。


「なんだ、簡単に見つかるもんだな。自然区とは言ってもこんなも――……?」


 ……覗いた先に映っている樹木が、不自然に大きく揺れたような気がした。


「……なんか動いてねぇか?」

「その樹というのがですね――」


 いや、気のせいじゃねぇぞこれ。


 右側に動いたかと思いきや、一気に左側に揺れてそのまま視界の外へ。風だのなんだのの、自然によるものとは明らかに違う動きだった。


「うおっ……!?」


 ――その瞬間、地鳴りとともに地面が大きく揺れる。崖の下の方で、メキメキと音を立てながら木々が倒れていくのが見えた。


「なんだよあれ……」


 象ほどの大きさもある“亀”が、重量感増し増しの巨体を引き摺るようにして移動していた。その甲羅から、樹木が伸びている。


 ……まさかとは思うが、あれも魔物か。

 ……まさかとは思うが、あれに登らないといけないのか。


 その亀が視界の右から左にゆっくりと動いていくにつれ、木々もそれに付いていくように移動しているのだから、疑いようが無かった。


「『魔物の背中に生えてるらしいけど、二人の実力なら大丈夫よね!』とおっしゃっていました」


「ふ、ふざけんじゃねぇ!」


 規模が違い過ぎると、非難の声が二人分――

 蒸せるほどに植物の匂いに囲まれた中で遠くこだましていた。

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