第四十九話 『僕は知らない……!』

 午前中に交わした約束の通り、一回戦を抜けて自分の目の前に立っているハルシュ。二人共が名前を呼ばれ、場内へと上がり、ローザ先生による開始の合図を待つ。


「…………」


 何か言葉を交わすわけでもない。――ただ、こちらへ真っ直ぐに視線を向けているのは、目元を隠した前髪越しからでもヒシヒシと感じられた。言うなれば、他の参加者に負けないぐらいの気迫があった。


 ……一回戦を見た時と同じに考えてると、足元をすくわれそうだな。


 ピリピリと張りつめる空気、身体中の毛がザワつく感覚。ヴァルターとの試合で、早撃ち勝負に出たあの時とはまた違う。まずは回避に集中すべきだと、直感が告げている。


「それでは、第十一試合始め!」


 向こうの一挙一動に集中しながら、魔法の撃ち合いを避けて横に飛び退いた瞬間――開幕から度肝を抜かれた。


「――なっ!?」


 ノータイムでハルシュの手元に魔法陣が展開され、さっきまで自分がいた場所に雷の束が駆け抜けたのだ。


 音を立て空気を裂きながら走る蒼雷が、あまりにまばゆくて目に痛い。


発動詠唱〈ブラス〉ナシかよ……!」


 ――そう呟いている間にも、既に新しい魔法陣が展開されていて。足を止めずに動き続けている自分のすぐ背中で、再び空気を裂く音が鳴る。


 まだ距離は遠いか。せめてもう少し、予備動作だの術後の硬直だのがあれば、こちらも魔法で応戦するんだけども……。


 とはいえ、このまま逃げ続けていたところで埒があかない。最初っから全力で魔法を撃ち続けているからと魔力切れを狙うにしても、どのタイミングで先を読まれて直撃を食らうのかも分からないリスクを背負ったままでは分が悪い。


『――前に出れば、自ずと見えなかったものが見えるようにもなる』


 足を伸ばし、腕を伸ばし、勝利をもぎ取れ。


 走って、走って、ひたすらに走って躱した末に――魔法の発動の隙間を見て、強く地面を蹴った。


「は、速――」


 危ない賭けなのは、十分に承知している。けれども、どこかで優勢に持っていかなければと、ハルシュの方へ一気に距離を詰める。


「そりゃこっちのセリフだ!」


 まさか詠唱ナシで魔法を使ってくるだなんて、誰が予想しただろうか。おかげでこっちは、開幕から回避に専念しっぱなしだったというのに。


 〈レント〉は魔法陣を出せるようになった時点で必要なくなる。そこから魔力を流す動作を、〈ブラス〉による魔法のガイド無しで行っているのだが、相当な集中と技術が必要となるようで。(もちろん今まで何度か挑戦してみたが、自分はできなかった)


 一年生でその技を身につけようものなら、相当な努力を必要としたのだろう。グレナカートは余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった感じでやっていたけども。そして――


「〈ブラス〉っ!」

「来たか……!」


 完全に懐に入るには、あと二歩程度。――まだ、まだ届かない。


 予想通りと言うべきか、魔法陣からは火球が出てきやがるし、未だジワジワと追い詰められていることには変わりがなかった。


 少しずつこちらへ標準を合わせつつある雷の束と、ひたすらに追い続けてくる炎の球。両方に挟まれてしまえば、ダメージは免れられない。


「――〈ブラス〉ッ!」


 出現した分身と、左右に分かれるように、大きく回り込むように動く。中途半端で、向こうの標準を逸らす程度にしか使えないこの魔法――向こうも使ってくるのを予想していただろうが、ここは贅沢を言っている場合じゃなかった。


 ……さぁ、どうなる?

 火球は――……違わずこちらを追って来ていた。


 それが魔法の性質によるものなのか。ハルシュが操っており、たまたまこちらを狙っただけのものなのか。前者だとすると、本物を確認した以上は再び電撃の嵐が待ち受けているわけで。


 くそっ、このままじゃ攻略の足がかりが――


 と思ったところで、ハルシュの『〈ブラス〉!』の声が聞こえた。それは自分とは反対方向から回り込み、ハルシュへと駆け続けていた分身へと向けられたものだった。


 ……どうして? と、考える必要もないだろう。


 どちらが本物か分からないから、近づいてきた方の対処をしただけ。これまで詠唱をせずに使っていた魔法を、わざわざ詠唱をしたということは、それだけ余裕がなかったということ。


 ――この隙を見逃すわけにはいかないっ!


「――づっ!?」


 急激な進路変更。左の二の腕にジリジリとした熱と痛みを感じながらも、半ば無理矢理に火球を避ける。蒼雷が直撃して掻き消えた分身を見て、ハッとした表情を浮かべたハルシュだったが――もう遅い。


「悪いなっ、ハルシュ……!」

「……! ぐうっ……!!」


 距離を詰めきり、懐に入り、相手の身体の中心部目がけて一撃が入る。


 向こうも同じ定理魔法師マギサ。体内を駆け巡る魔力に耐性はあるだろうが、ヴァルターのように体格に恵まれているわけでもない。通常の打撃でも怯むであろうハルシュが、この渾身の一打を受けきって反撃に出るとは到底思えなかった。


「う……っ……」


 予想通り、地面に崩れ落ちるハルシュ。会場からの歓声が、一際大きくなる。


 ……これで勝負は決まっただろう、と思いきや――


「はぁ……はぁ……。…………?」


 今のは何の音だ? いったい、どこから鳴った?


 ……試合の続行はできないだろ。

 これ以上ないぐらいに、綺麗に決まっただろ。


 ……これで終わりだろ?


 断続的に音は鳴り続けている。会場の声の洪水にかき消されることもなく。これはそう――例えるなら、。干渉が許されない、そんな“異質”な音。


 まだ……、終わりじゃ……ない?


「なんだよ……これ……」


 うずくまっているハルシュの背後――その空間に亀裂が入っていた。


 それは次第に大きくなっていた。

 割れ目が硬質的な音を立てながら広がっていく。


 その先に見えるものはない、ただ何かがあるのは間違いない。

 闇が蠢いている、そんな嫌な雰囲気だった。


 魔法なのか? 詠唱は? 魔法陣は?


 見れば、ハルシュの懐から黒、紫じみた怪しい光が漏れていて。“発動の原因となっているもの”の存在だけは確認できた。


 だとすると、これも魔法の一つなのか……。

 けれども、問題はその中身である。


「――っ!?」


 ――何かが。何か。得体の知れない、黒い物が。


 


 指、手。それは確かに生き物の身体の一部だった。けれども、この世の生き物なのか疑わしいレベルで禍々しいものが、這い出てきていた。今まででこれに近い嫌悪感を抱いたのは――地下工房で見た黒い靄あたりだろう。


「召喚魔法……!?」


 ゴゥレムだって妖精だっているんだ。召喚魔法だって、あっても不思議じゃない。となれば、この試合で勝つにはコイツを倒さないといけないってわけだ。まさかここで、そんな切り札を持ってくるなんて――


「ひっ!?」

「……ハルシュ?」


 揺れる前髪。隠れていた目が驚愕に見開かれていたのが見えて、この魔法がハルシュの意志とは関係なく起きているものだと、瞬時に察する。


「違う……こんなもの……僕は知らない……!」


 いまでは光が消え、先ほどまで漏れ出ていた懐へ手を突っ込み、その元を取り出す。それは――紙。魔導書の一ページだろうか。恐らく魔法陣が描かれていたであろうその一枚の紙は、今まさにメラメラとその身を焦がし、どこからともなく発生した炎に焼き尽くされようとしていた。


「――っ? お、おい!」


 それと同時に、膝立ちだったハルシュの身体が、まるで操り人形の糸が切れたかのように崩れ落ちる。半ば気絶したように力なく横たわって、こちらが声をかけても反応は薄い。


 この感じは魔力切れか? それとも別の要因?


 ……魔法陣は半分以上が焼け落ちている。それなのに、ハルシュからの魔力の供給が強制的に行われているのか、魔法の発動が続いていた。その証拠に――空間の裂け目は消える様子を見せない。


 既にその狼のような、馬のような、影で覆われた頭が完全に出ていて。大きく、長く伸びた顎は、獣のそれだった。下手をすると、これまで見たどんな魔物よりもヤバい雰囲気が漂っている。


 そうして、ずるりと伸ばした左手が、召喚した主であるハルシュへと伸ばされ――


「――って、マズいんじゃねぇのこれ……!」


 明らかに危害を加える為に伸ばされた鉤爪を、間一髪の所で弾き飛ばす。……が、それだけでは怯む様子もなく。こちらとしても、殆ど手ごたえもない。


 これが完全に出てきたところで、今の自分にどうにかできるのかよ……!


「――――」

「試合は中断だよ、アンタは下がっときな!」


 ローザ先生が自分の前へと割って入る。薄々と感じていたけど、やっぱりイレギュラーな事態だったらしい。


 ――その時だった。


 硬質的な何かが破れる音と、一つの影。マントと特徴的な兜――謎の美少女魔法使い、もといヴァレリア先輩だった。


「せ、せんぱ――」


 立ち上る爆炎は、この大会で見たどの魔法よりも密度の高いものだった。物質という物質が一瞬で蒸発してしまいそうな、炎というよりも光の柱と表現した方がいいだろうか。


 光に照らされたその兜の隙間からは、表情を確認することができず。何も言わずに、頭の一部が完全に失われた魔物をどんどんと焼き尽くしていく先輩に――炎とは対象的な、冷たく静かな印象を受けた。


「――おい」


 足元でうずくまっているハルシュにかけられたのは、今までに聞いたことのないほどの冷たい声。


 ……目の前にいるのは、ヴァレリア先輩の筈だよな? マントで全身を覆っていても、兜で顔を隠していても、確かに先輩であることは間違いない筈なのに。


 それなのに、この人が本当に先輩なのかが分からなくなる。


 そうやって自分が戸惑っている間に、ヴァレリア先輩は亀裂が消えたことを確認すると――ハルシュの方に詰め寄り、胸元を掴み上げた。


「あの魔導書のページ、どこで手に入れた?」

「し、知らない……! あんなもの……見たことも……」


 興味があるのは、原因となった魔導書のページらしい。そのために、会場に乗り込んできたのか。あまりに不自然な顔長の兜の中で、どんな表情をしているのか、全く窺い知ることができずにいた。


「……チッ」


 不満そうに舌打ちしながら、怯えるハルシュをその場に落とし、立ち去ろうとする先輩。情報が得られず不満が漏れたような、そんな態度だった。


「――待ちな!」

「――――」


 ローザ先生がそんな先輩を制止するために声をかけ、周りにいた妖精たちも魔法を発動させていた。――この妖精たちって……確か操るのは植物の蔦だったような。


 案の定、炎の渦にやすやすと阻まれて。場外へと出ていく先輩とすれ違った時――


「……先輩?」


『ごめんな』と、そんな言葉が聞こえた気がした。

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