第四十二話 『これでも“軽い”かよ』
「ケホッ……。ウィルベル先生……?」
――藍色をした長い髪。
――何を考えているのかさっぱり読み取れない無表情。
――そして、学園唯一であろう白衣姿。
テントの中に居たのは、保険医であるファラ・ウィルベル先生だった。
「お前か。……確か……」
監督補佐としてそれぞれのテントに一人ずつ、担当の先生が付いて最終的なチェックを行うらしい。その証拠に、朝からずっとこの中で煙草を吸っていたのか、上の方を見ると煙が充満して白々となっていた。
……煙てぇ、何の嫌がらせだこれ。
「…………」
「…………? ……ケホッ」
そんな先生はさっきから微動だにせず、こちらの様子を窺ってばかり。
『確か……』って言ったきり、続いての言葉が待てども出て来ない。
…………。
「テ、テイルです。テイル・ブロンクス」
「ふぅん」
……覚えてなかったんかい。
もしやと思い自分の名前を伝えるも、興味なさそうに流された。先生にとってはどうでもいい事らしい。なんだってんだ。
「ん、体調の方は問題はない。武器は相手に致命傷を与えないよう魔法で覆うぞ」
そうしてジロジロと眺め回したあとに、持っている武器を出すように言われ――これまでずっと使ってきたナイフを、先生へと差し出す。特に詠唱をするでもなく、スッと手を翳しただけで刃の部分が淡い光に包まれた。
どうやら監督役の補佐として来ているらしい。
……ちゃんと仕事してるんだな。
「開会式の説明であったように、相手を殺しかねない攻撃は禁止だ。……まぁ、万が一首が離れてしまっても、二十秒以内にここまで来れば治してやろう」
「いや、無理でしょう!?」
わりと無理難題を突きつけられていた。
……むしろ、それでも治せるって言うんだから凄いんだろうけど。
「それ以上を過ぎてしまったら、新しいのを用意する他ない」
「……新しいのって、それもう別人じゃないですか」
いや、だから治せんのかよ。
「勝負有り! 勝者、レイシー・クロスリーフ!」
そんなことを言っていると、前の試合の終わりを告げる声が聞こえてきた。ワッと湧き上がる歓声。たしかこの名前は……
ということは、そろそろ自分の番が来るわけで。
「どうなろうと大概の場合は治してやるさ。さ、好きに行って来るといい」
「……はい」
無責任な言葉を背中に受けながら、テントの外へと出たのだった。
「
損傷が少なかったためか、場内の修繕もあっという間に終わったようで。すぐさま自分の名前が呼ばれた。
「あ――」
「おっと」
試合の勝者であるレイシー・クロスリーフと鉢合う。試合が終わった後は、テントに戻るようになっているらしい。
身長は自分と同じぐらい。白に淡く緑がかった髪の毛に、尖った耳――絵に描いたようなエルフの特徴そのままだった。
偏見なのかもしれないけど、
「……? 失礼するわよ」
「あ、あぁ。ごめん。……お疲れ」
そう、短く言葉を交わしてテントの中へと入っていく。
「テイル・ブロンクス!」
――やばい、早く場内に行かないと。
20m四方はある正方形の場内へ、二段三段と階段を上がる。360度、周りを見渡すと観客席の半分近くが埋まっていた。そして、正面へと視線を移すと――
「よォ、棄権しなくてもよかったのかよ」
「…………」
ヴァルター・エヴァンズ。共に定理魔法科の授業を受けている男子生徒。前々から関わり合いになりたくないタイプの奴だとは思っていたけど……今なら断言できる。
こいつの、人を見下すような、意識的に威圧しようとしてくる態度が気に食わない。それをわざわざ口に出すようなことはしないけど。
「あの時は邪魔が入ったけどよォ。あのまま叩き潰してやっても良かったんだぜ」
その態度は、完全にこちらを舐めきったもので。既に勝者は決まっていると言わんばかりの笑みを浮かべていた。こちらのことをクラスメイトの一人とすらも考えていないのだろう。
「……頼むから、負けた後で絡んで来るんじゃねぇぞ」
――初戦から俺と当たって、ラッキーだとでも思ってんだろ。
「それでは、第三試合始め!」
その不愉快な笑いも、根拠のない優越感も、なにもかも。
今日の、この試合で全部。全部剥ぎ取ってやる。
「〈ブラス〉ッ!」
「〈ブラァス〉!!」
開始の合図と共に、ほぼ同時に魔法を発動する。
こちらの電撃が先に届くかと思いきや、場内をひっぺがすかという勢いで地面がめくれ上がった。大地の力を操る魔法――ガタイからしてごりっごりの脳筋タイプなんだろう。体格差では圧倒的にこちらが不利だった。
「――けどっ」
視界をわざわざ塞いでくれるのは、こちらとしても好都合。元から力比べをするつもりなんて毛頭ない。一瞬で後ろに回り込み、一撃を叩き込もうと腕に魔力を集中する。
「――〈ブラス〉!」
「――――っ!」
ヴァルターの言葉と共に、足元に広がる魔法陣。変化が起きても対応できるよう、心の中で準備をするものの、先程のように地面が隆起するわけでもなく。かといって、炎や電気が迸るわけでもない。
「これ、は……――!?」
「お前の魔力、頂くぜぇ……」
身体の違和感を感じ、怯んだ一瞬の隙に胸ぐらを捕まれ引き寄せられる。すぐ近くに、ヴァルターのニヤニヤとした表情があった。
この脱力感……徐々に魔力が流れ出ている?
「……離せよ」
自分の意思とは関係なく、好き勝手に弄ばれる感覚に不快感が高まる。いくら暴れて、力づくで引き剥がそうとしても、この体勢では無理に近いものがある。
それなら。だからこそ。
この攻撃を中断する理由にはならない。
こんなもの、向こうが有利になったわけでもなんでもない。
自分は、まっすぐに拳を出せさえすればそれでいい。
「ハッ。ネクラ野郎の軽い拳なんざ当たったところで――っ!?」
ドンッという鈍い音と衝撃が広がる。向こうも油断はしていたものの、きっちりとガードに腕を回しており、その上からの打撃に留まっていたのだろう。
……それが、ただのパンチならば。
「ぐぉ……!? ……っ!?」
「――これでも」
魔力の衝撃が体中を駆け巡ったに違いない。
意趣返しだとかそんなつもりは全くないけど、ざまぁみろだ。
――耐えきれず膝を付くヴァルターを、見下ろす形で言い放つ。
「これでも“軽い”かよ。俺の拳は」
「テメェ……!」
……鱶のようなギラギラした目つき。魔力を乱されたお陰で、幾分か威力が減退したのか、未だに戦意は失われておらず。むしろ更なる怒りによって、激しい感情を宿していた。
「そんなデカイ得物を振り回して――当たるわけがねぇだろ」
「ちょこまかと逃げ回るしか能がないくせによォ!」
――この魔法を教えてもらったその瞬間から、後ろに下がることはやめようと思った。避けて、避けて、避けて。それでも一歩も引かないで。
自分がリーダーになると決めた時、ヴァレリア先輩はこう言った。
『大切な仲間を守りたいなら、大切な何かを守りたいなら。誰よりも早く、誰よりも怖い思いをしてでも、飛び込んでいかないといけないときもある』と。
今がその時だった。きっと傍から見ている誰にも分からないだろうけど。
……エクター兄さんと重ねているわけじゃない。
けど、これは正面から立ち向かわないといけないものだった。
「逃げはしない! お前なんかに、背を向けてたまるかよ!」
足元が不自然に崩れた。ちらりと浮かんだのは、ヴァルターが出したであろう魔法陣。……〈ブラス〉どころか、一瞬でも魔法陣を出した素振りは見えなかったのに――
「っ!? 〈ブラス〉!」
「ハナから仕掛けておいたんだよ、馬鹿がァ!! さっさと潰れろや!」
自分が抵抗する前に勝負を決めようと、勢い良く振り下ろされる斧。たとえ魔法で覆っていても、重力に任せて叩きつけられては、ひとたまりもあったもんじゃない。
……それもまぁ、当たればの話だが。
既に魔法は発動していた。ここぞというタイミングまで取っておいた、幻影魔法である。自分の幻影を通り抜けた大斧が、そのまま地面を抉る。本体である自分はと言えば、全力で飛び退きヴァルターの視界から外れて――
「消え――」
「こっちだ!!」
間髪入れずガラ空きになった横っ腹に一撃を叩き込んだ。
ガードもなにもない所に、渾身の一撃。
「ぐ……おおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!?」
悶絶するヴァルター。斧の柄を握る手に力が篭もるのが、ありありと見て取れた。
「フザケやがってェ!! 何発打とうが――」
「そうかよ」
なら何発だって打ち込んでやると、こめかみに一発。ヴァルターの魔法のせいで、魔力がダダ漏れとなっていながらも――なかば無理矢理に、魔力を籠めた一撃を叩きつけた。
「――――」
『だいたいどんな敵でも、三度四度思いっきり叩けば動かなくなります』
あまりに熱が入り、一切の音を忘れた中で思い出したのは、この魔法を教えてくれたにはるん先輩の言葉。ガードの上から一発、不意打ちで横っ腹に一発……今ので三発。
「あと一発……!」ここは確実に決めておく――!
と、前に出たところで、突然キンジー先生の声が響いた。
「勝負有り! 勝者、テイル・ブロンクス!」
その瞬間に、ザアッと全ての音が蘇った。まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちるヴァルター。――口では『何発打とうが』とか言っていたけど、しっかりダメージは通っていたらしい。
ヒューゴとルルル先輩が座っている場所を見ると、ヒューゴはガッツポーズしたり拳をグルグル回したりと興奮している様子だし、先輩は先輩で笑顔を浮かべながら他の観客生徒に混じって拍手をしていた。
「…………」
――大丈夫。通じないわけじゃない。
これまでいろいろな人から教わった
……三度殴りつけた己の右拳を、ギュッと強く握った。
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