第三話 『貴方なんかに、何が――!』

 両脇にそびえるは本棚の砦。進めども進めども同じ景色が続くばかりで、それはもはや迷宮のよう。


 ローザ女史の言っていたように、下へ降りる階段の方向を意識しながら進んでいるけども――目的地に向かおうとも、これではうっかりすれば迷ってしまそうだった。


「こっちから聞こえたよな……?」

「わたしもそう思うのですけど……」


 再び声が聞こえないかと耳を済ませながら、本棚の間を警戒して進んでいく。おずおずと、聞き取るのもやっとの声が自分のもとへと届いた。


「――誰か、誰かいませんか?」

「――っ! こっちだ!」


 そうして進んだ先にいたのは……さっきカウンターにいた女子生徒か?


「あっ……」

「……んん? なんでこんな所に?」


 ここは確か三階の第五ブロック。女生徒の手には一冊の本があることから、次は反対側の二十何ブロックかだろうに。ざっと見たが手にはメモらしきものがない。どこかに落としたのだろうか?


「べ、別に助けを呼んだわけじゃないわ。すいませんけど、放っておいて――」


 自分たちが来たことに安堵の色が含まれてたはずなのに、制服の色を見るやいなやツンケンとした態度を取り始めた。……迷ったけれども同級生に助けを求めるのに抵抗があるとか?


 そんな面倒な建前を含め、どうしたのかを聞こうとしたところで、隣にいたヒューゴが口を開いた。


「まさか迷ったのかよ。あの‟エーテレイン”が?」

「なっ――家の名は関係ないでしょう!?」


 クルリと巻かれた金髪を揺らしながら。ふわりと広がった青いドレスの裾を揺らしながら。エーテレインと呼ばれた女生徒は憤慨していた。


「……エーテレイン?」

「知らないのも無理はねぇよ。ペンブローグ家にくっついておこぼれを貰っている没落貴族の名だからな。知ってるのは同郷の俺らドワーフ族ぐらいさ」


「……訂正なさい」

「……ああ?」


「訂正しなさいと言っているのよ! エーテレインがペンブローグの付属品のように言うのを!」


「はんっ、今の自分を見てみろよ。現に一人で迷ってるじゃねぇか」

「――っ……!」


 鼻で笑うように吐き捨てるヒューゴの言葉に、エーテレインの顔がみるみるうちに真っ赤になる。どうやら痛いところを突かれてしまったようで、目にはうっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。


「ちょっと!」

「……ヒューゴさん……!」


 流石にこれは言い過ぎだと女性陣二人が止めに入る。


「貴方なんかに、何が――!」

「――!?」


 一瞬のうちに、エーテレインの足元から青白い魔法陣が展開される。それと同時に彼女の肩の上に現れたのは、薄水色の肌をした小さな生き物? 妖精?


「妖精魔法っ!? ちょっと、落ち着いて話を聞いてよ!」

「イン・ペクト・オーテム、コン・ミトラ・サングィース、クリ・マ・スピセーラ・クム・ラベイル――」


 何やら聞き取れない言葉、妖精魔法の詠唱……? 言葉を重ねていくにつれ、魔法陣の回転が速度を増していく。……やばいんじゃないか、これおい――!


「おい! 急いで退いて――」

「スン・トラセア・トラ・マーナム、リーネ・イン・クルズ、アリィズ・レント・ラグス!」


 詠唱が終わったその瞬間、魔法陣がヒューゴの元へと滑るように移動する。一息遅れて魔法陣の跡を追うように現れたのは――巨大な氷塊群。


 まるで亀裂から吹きだしているかのように迫ってくる氷に、飛び退こうとしたヒューゴの右足が捕らえられた。そして、そのままピキピキと全身が氷に覆われていき――


「ヒューゴッ!」


 ……あぁ、こいつもここで終わりか。良い奴だったよ、まったく。

 頭は救いようがないレベルで悪かったみたいだけど。


「や……や……や……」

「…………?」


 氷の中で微かにヒューゴの口が動いていた。どうやら中には空洞があって、あくまで対象を捕らえるだけの魔法らしい。一年生が使うにしてはとんでもない魔法だと思ったが、命にかかわるものではないようでよかった。


 ――が、氷越しにでも聞こえるほどの、ヒューゴの怒りの声。

 完全にこっちにも火が点いていた。


「や、り……やがった、なぁぁぁぁぁ!!」

「あ、生きてた」


「ヴェニ・レ・トゥリーヴ! ヴェナ・ドゥ・ケイズ! ヴァン・イグ・ノート・ゲント――」

「お前もかよォ――!」


 エーテレインの時と同じように、魔法陣が現れ回転を始める。少し違うのは、さっきは足元に発生していたのに対して、ヒューゴのものは彼自身を中心として発生していたこと。


「――っ! まずいって! ここ図書館なんだよ!?」

「炎の妖精魔法っ!? ここで使うのか!?」


 本気で馬鹿なんじゃねぇのお前っ!!


「ヴィタ・アルタ・ラーヴ、イン・ケイテ・シーフォス、ディオ・ペイテス・イン・ローク!」


 詠唱の終わりと共にヒューゴの全身が焔に包まれる。あっという間に氷の枷が解けていき、辺りへと熱気をばら撒き始めた。


「ちょっと待てお前、流石に本が燃えたら注意どころじゃ済まないって!」


 初日から問題児扱いされるのは御免だぞ俺は!


 焔の勢いが増していく中で、本棚にまで被害が及ぶかと思いきや――どうやら魔法によって何らかの処理が施されているのか、焦げる様子も見えない。ほっと一安心したところで、焔に煽られエーテレインが転倒する。


「きゃあっ!」

「ヒューゴを止めるぞ!」


 ……とは言っても、自分まだ一つしか魔法使えないんだけど。初歩中の初歩の、魔力を撃ち出すだけの魔法。そもそもなんで入学してすぐなのに、そんな凄そうな魔法が使えんだお前ら。


 武器を振り回したらそれこそ大事になりそうだし……。とりあえず、無理やりにでも突き飛ばすかして後から考えようと前に出た矢先――


「ピピピピピピピピ!!」

「ピリピリピー!!」


 ――けたたましい笛の音が四方八方から鳴り響く。


「な、何!? 妖精?」


 アリエスの言う通り、ただのホイッスルを金管楽器のホルンのように抱えた妖精たちが、自分たちの周りをぐるりと取り囲んでいた。


「……あぁ? こんなやつら魔法で一層してやらぁ!」」

「流石にこれ以上は――やめときなさいっ!!」


 アリエスが投げたスパナが、ちょうどヒューゴの頭に直撃する。当たり所が悪かったのか、怯んだヒューゴの身体から炎が収まっていく。


「ピピー!!」


 妖精たちが一斉に魔法で蔦を伸ばしていき、ヒューゴとエーテレインの二人をぐるぐると捕縛していく。


「キャッ、いったいなにを――」

「うわっ、なんだよおい! 離せって!」


 同じ服装・装備に統一されたその様子から、まず間違いなく野良の妖精ではなくて。――となれば、こいつらはカウンターで女史が言っていた、遭難者を見つけるという妖精たちなんだろう。


「下手に抵抗するともっと酷いことになるかもね……」

「ここは黙って行くしかないだろ。やりすぎだ、馬鹿!」






「あんたたち……初日からいったい何をしてんだい」


 あっという間に捕縛され、ローザ女史の前へと突き出されていた。主に問題を起こした二人以外は、腰に蔦を巻きつけられるだけで済んでいて。今は床に直接座らされた二人の後ろで、女史の裁定を待っている状態である。


「【銀の星】シエット・エーテレイン。【知識の樹】ヒューゴ・オルランド。喧嘩も大概にしなよ。物を壊したりしたら流石に怒るからね」


「ごめんなさい……」

「すいませんでした……」


 床に直接座らされていた二人が、頭を下げる。


「でも、俺たちが中を回っていたらこいつが迷っていたからさぁ!」

「なっ……! 迷ってなんて――」


「……はぁ、迷ったのかい」

「…………」


 やれやれと肩を竦めたローザ女史を前にして、エーテレインは言葉が出てこないようだった。そりゃそうだ。事前に注意されてたにも関わらず、結果的には言われた通りのことになっていたんだから。


「これに懲りたら図書館では騒がないこと。わかったら行きな。他の所も回る予定なんだろう?」


 ローザ女史が何やら小さく呟くと、妖精たちが一斉に蔦を収め始める。


「あんた、怪我をしてんじゃないか。治療室に行っておきなよ」

「あ、ホントだ。氷から出た時にぶつけたんじゃない」


「――っ」


「場所を書いたメモを渡しておくから、まず一番に向かいなね」

「メモ渡すの好きだな……」


 ここに来て、何度目のメモだろうか。


「私は何でも覚えておけるが、他の者はそうじゃあない」


 思わず漏れた呟きは、ローザ女史の耳にキッチリ届いていたらしい。

 けれど、それで怒るわけでもなく。丁寧に説明までしてくれる。


 優しい、とは少し違うか。無駄なことは極力しないタイプだ。


「記憶ってのは時間が経つごとに変化するもんだし、一度形に残しておくのが確実なのさ。何度も聞くのも、何度も聞かれるのも、互いに疲れるだろう? ……ってのは余計な一言だったかね」


「……いえ、ありがとうございます」

「私はまた本を借りにくるからね! ありがとうございました!」


 そうして図書館を後にする自分たちに、エーテレインがおずおずと声をかけてきたのだけれど――


「あ、あの……」

「騒いですいませんでした。行こうぜ、みんな」


「あ、ちょっと! ヒューゴ!」

「それでは失礼しますね」


 それを嫌がる様にして足早に出て行ったヒューゴについて行く形で、彼女へ取り合わずに保険室へと向かうことになったのだった。


「…………」


 ヒューゴが図書室を出る直前に、小さく『気に入らねぇ』と呟いたのは気のせいだろうか……。





「ここって本当に保険室で合ってるんだよな?」


 なんだろう、様々な臭いがごちゃまぜになっているあたりは自分の知っている保健室と似たような感じだけれども、まったく安心できない。


 日の光など一切無く、かといって照明もなく薄暗くて。なにやらコポコポと液体が湧きたつような怪しい音が、どこからともなく聞こえてくる。


「疲れたり怪我をしたときは、ここで治してもらえるんですよね? えーと……」

「――ウィルベル。ファラ・ウィルベル」


 そう名乗ったのは、保健室の主とも呼ぶべき女教員。白衣を身に纏い、細めの眼鏡をかけ、そして藍色の長い髪が特徴的なウィルベル先生だった。


「ウィルベル先生、ヒューゴが怪我をしたので直して欲しいんですけど」

「……ふむ、軽い打撲のようだな」


 視診とも呼べないぐらいに、ちらりとヒューゴの方を見て。

 それから、ついっと部屋の奥のベッドを指差す。


「寝れば大概の怪我や病気は治る。おやすみ」

「そうじゃなくてぇ!」


「む、ダメか」


 全員が勢いよく頷く。今すぐ治せっつってんだよ!


「もっと、こう……あるでしょう!? 魔法使いの学園なんだから!」

「うるさい奴らだな……。手っ取り早く直したければ、この薬を飲むといい」


 そう言うと、奥の棚から試験管を取り出す。中で揺れる黄色い蛍光色の液体。スポーツドリンクでありそうだけど、この世界でそんな色どうやって出したんだ。


「い、色が……見たことない感じなんだけど。これを飲むんすか……」

「ほら、ヒューゴさん。ぐぐいっと一息に」


「ちょっと、まっ、心の準備が……!」


 ほんわかしてるわりに、やってることがえげつないぞ、ハナさん。


「但し、子供は一日一本までだ。用法、用量を正しく守って飲め」

「もし守らなかったらどうなるんですか……?」


 …………。


「……さぁ? そればっかりは試したことがないからわからん。そんな間違いをした覚えはないが、良くない事が起こるのは確かだろうな」


 なんだ、今の間は。


 後ろの方では、まさに試験管の中に入っている液体と同じものであろう、蛍光色の黄色い薬品が、いくつもの実験器具を越えて抽出されている最中だった。


 世界が世界だし、手作りなのは仕方ないとして――菅の根元に繋げられているこの箱は? 流れからして薬の材料が入っているみたいだけど……。


「先生、この箱は――」

「触るなよ、後悔したくないのなら」


「……はい」


 冗談味の一切含まれていない声で注意された。細い眼鏡の奥から向けられた、鋭い眼差しが怖い。後悔ってなんだよ、見たら後悔するようなものが入ってんのかよ。


「というか、回復魔法とかそういうのはないんですか?」

「……確かに私は神告魔法師ディーヴァだが、人のためには祈らん」


 きっぱりとしていた。清々しいぐらいに簡潔だった。神告魔法師ディーヴァってのは神官だとかの類で、神様の力を借りて魔法を使うんだったっけ。


 他の魔法に比べて、負傷の治療や魂の浄化などが専門で、大半の神告魔法師ディーヴァは教会に所属しているのだとか。


 土地によってその信仰対象は様々で、使える魔法の種類も微妙に異なるから学科としては成り立たないのだと、あとでアリエスに聞いた。


「結局のところ神の領域を見たり聞いたりするのが限界で、というのが分かってしまったからな。大して役に立つ物でもない、昔取った杵柄だよ、こんなもの」


「いくらなんでも冒涜的すぎんだろ……!」


 何考えてんだこの人。そりゃあ、教会に所属なんてしてないわけだ。


「『貴方に神のお導きを』とか、そういうのは無いんですか」

「信仰とは他人のためにあるのではない。己のためにあるんだ」


 信者が少なくてあっという間に無くなりそうなスタイルだった。こんな宗教みたことねぇ。宗教とは違うかもだけれど。


「そんなんじゃ、信仰なんて成り立たないんじゃ? ほら、布教とか」


「自身の信じているものを、他者にも押し付けようとするのは弱者の考えだ。自身が少数派だと不安で仕方ないから、周りを汚染し多数派になろうとする。確固たる意志を胸に宿しているものは、たった一人でもそれを続けるものだよ」


 高らかに言い放つウィルベル先生。なんだかその物言い自体が教祖っぽい。


「言ってることは正しいかもしれないけど……。ぐぬぬ……」

「ほら、分かったらさっさとそこにある薬を飲んで戻れ。私も実験で忙しいんだ」


 ……傍から見れば美人に分類される人なのに、暗く落ちた影のせいで狂った科学者にしか見えない。世界は神の創りたもうたもの、ならばそれの研究に没頭するのも一つの信仰と言えるのだろうか。


 何から何まで冒涜的な、ミステリアスという言葉がぴったりの先生だった。

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