農協おくりびと (49)海に消えた鐘
出発から3時間。2度のトイレ休憩をはさんで、順調に走り続けたワンボックスが
最初の目的地、良寛記念館の駐車場へ滑り込んだ。
良寛記念館は見晴らしの良い丘、虎岸ヶ丘の上に建っている。
本館へつながる回廊の途中、荒海の向こうにうっすらと佐渡島が見える。
残暑の日差しに輝く海には、海中へ消えてしまった鐘の言い伝えが残っている。
先頭を歩く妙子が、肩を並べて歩く祐三に古い言い伝えを語り始める。
「良寛記念館の近くに、二子山と呼ばれる、切り立った小山があるんどす。
月の美しい夜。この山に登ると海の向こうから、美しい鐘の音が響いてくるそうどす」
「見渡す限り、たしかに美しい海だ。
ここなら、人魚姫が美しい声で歌っていても不思議じゃないと思えるな。
おっと、申し訳ない。アンデルセンじゃなくて、越後の古い言い伝えだっけ。
気にしないで続けてくれ。
少しばかり、お前さんの美しさに酔っているようだ。今日の俺は・・・」
「こら。祐三さんたら、悪い冗談ばかり口にして。
気を付けてくださいな。
若いひとたちが本気だと誤解をしたら、ウチが困ります」
「すまんすまん。車の中で呑んだワインが、変な風に効いてきたらしい。
お前さんの顔が、最上級の美人に見えてきた・・・
あっ、失敬した。また失言を口にしちまった。
続けてくれ。酔っぱらいおじさんのことは、放っておいて」
「その昔。三里四方に聞える鐘を造った者に、褒美を取らせるという
殿様のおふれが出たそうどす。
出雲崎に住んでいた鐘造りの名人は、直江津に鐘つくりの名人が居ると聞き、
鐘の音色を聞くために出かけていきます。
旅の途中。直江津まであと三里のところで休んでいると、遥か彼方から
鐘の音が聞えてきたそうどす。
『この鐘の音色だ、この鐘なら、わしは負けない。」
出雲崎の名人はそうつぶやいて、立ち上がります」
「念願の探し物が見つかったわけだな。幸運な男だ。
その点、俺は不幸だ。
探し物が見つかったというのに、世間体に邪魔されて、口説くこともできない。
あ、また邪魔をしちまった。気にしないでくれ。その先が聞きたい」
「せっかく此処まで来たのだからと出雲崎の名人が、直江津の鐘造りの家を
訪ねてみることにしました。
直江津に着くと、鐘造りの家はすぐ見つかります。
みすぼらしい、大変なあばら家どす。
玄関口に佇むと、中から何やら話し声が聞えてきます。
『私のことなら決して心配しないよう、お前は立派な鐘を造っておくれ。
聞けば、出雲崎にはたいした鐘造りの名人が居るとのこと。
その人に負けないよう、しっかり頼みますよ。」
仕事場の片隅に敷かれた筵の上で、病気の母をいたわっている孝行な息子の姿に、
出雲崎の鐘造りの名人は、熱い涙をこぼれ落とします」
「ライバルは、恵まれない仕事をしている孝行者の職人か・・・
最初から勝負ありだな、こりゃあ・・・
情のある日本男児なら、親孝行者の職人に、ぜったい勝ちを譲るだろうな。
俺でもきっとそうするだろう。そういう場面に出くわしたら」
「こら、酔っ払い!。
うふふ・・・祐三さんも、やはり、そのように決断いたしますか。
出雲崎へ帰ってきた鐘造りは、その日の夕暮れ、何を考えたか弟子達に言いつけて、
舟の上に櫓を組み鐘を吊るすと、月の出を待って沖へ漕ぎ出していきます。
一里ほど行ったところで、鐘が突かれます。
二子山の上で弟子達が振る松明(たいまつ)の火が、左右に揺れて二里、三里、
美しい鐘の音色が、静かな海の上を流れていきます。
そして夜が明けても、その鐘の音は聞えつづけたといいます。
けど、それっきり、舟は帰らなかったそうどすなぁ」
「帰らなかったのか、船は、やっぱりな・・・」
美しい海に沈んでしまった、美しい音色の鐘の言い伝えか・・・
いかにも、良寛が生まれた故郷らしい話だな。
祐三が美しく輝く日本海へ、少しうるんだ目を向ける。
(50)へつづく
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