第24話 終着
「カッコつけさせてよ、ですか。人間とはまったく不可解なものですねえ。誰かのために、何かのためにと言いながら自分の命を犠牲にする」
「黙れ」
ジェーンは事切れたディムの横で膝から崩れ落ち、涙を流している。微かに聞こえる彼女の嗚咽が耳に、胸に刺すように響く。
「かと思えば、自分の欲や利益のためなら平気で他者を犠牲にする。罪悪感をこれっぽっちも抱かずにね」
「……黙れ」
ディムは欲や利益だけを求めて生きたわけじゃない。1人の商人として、この街に住む人たちのことを何よりも考えてた男だった。俺がこの500年の中で出会った人たちにもそんな人は確かにいた。
「人間やこの街に、はたして守る価値なんてあるんですかねえ。私にはただの虫の巣にしか見えませんが」
「黙れええええ!」
俺はなりふり構わず、ありったけの力を聖剣に込める。体がバラバラになりそうなほどの衝撃だが、そんなこと今はどうだっていい。
魔王は思い違いをしている。確かに俺たちはいつもちぐはぐだ。ともに戦い抜いたと思ったら勝手にいがみ合ったり、一方的に手放したり。
時には感情をひた隠し、時には感情を剥き出しにする。すれ違いなんざ日常茶飯事だ。
それでも……そのちぐはぐがあるからこそ、この世界は不細工で生きにくくて、どうしようもなく愛おしいんじゃないか!
その気持ちに応えるように、聖剣は周囲を白く塗りつぶすほどの輝きを増して魔剣の闇を押し返す。
魔王はついに押し切られた極光の中で苦痛の表情を浮かべる。
徐々にその姿は光に飲み込まれ、ついには白い光の中に消えていく。
「ははは……お見事ですよ、リオンさん。まさか一撃でここまでボロボロにされるなんてね……」
光が疾走し去った後には、魔剣と残った腕さえも吹き飛ばされた魔王が膝を着いてこちらを見上げていた。その呼吸は荒く、今にも倒れそうだ。
「どうやら今回も私の敗北のようですね。前回よりもひどい負け方だ。一方的にやられてしまった」
「……」
魔王は何かゲームか何かの遊びの結果を語るように、平然とした口調で自分の負けを認める。
「でも今回も楽しい時間でしたよ、リオンさん? さ、早くとどめを。放っておいても死ぬでしょうが、それでも何週間かは生き永らえてしまう。この街の虫共に嬲られて死ぬなんてごめんです」
「……」
俺は魔王へ向けて足を進める。一歩一歩に今まで戦ってきた記憶を込めて。倒れていった仲間たち、冒険者たちのことを思って。歩みを進めるたび、聖剣と聖鎧はその輝きを増していく。手にはどうしても力が入っていく。握った手と聖剣がまるで一体になったのかと思うほど。
「次はまた500年後ですか。その時まであなたが生きていてくれればいいのですが。……くれぐれもご自愛くださいよ?生き返ってもあなたという楽しみがなければ最悪ですからね」
俺は聖剣を大上段に構えて、深呼吸をする。この行動が本当に正しいのか、己に、そして聖剣と聖鎧に尋ねるために。変わらず、相棒たちは輝きを失わない。それに少しだけ救われたような気持ちになった。
「ごめんな……今まで本当にありがとう」
「……!?」
瞬間、俺は聖鎧と意識を切り離す。聖鎧は外れ、ガランと音をたてて俺と魔王の間に落ちた。
俺は聖鎧に聖剣を叩きつけ、相棒たちに今生の別れを告げた。砕けた剣と鎧は光の塊になって空に昇ったかと思うと、桜吹雪のように広場に舞い散った。
これは仲間たちや死んでいった人たちへの、世界への裏切りになるかもしれない。 それでも、俺はこの馬鹿げた連鎖を終わりにしたいと思った。
「あなたは……自分が何をしたか分かっているのですか!」
「いいんだ。これで、いいんだ」
俺は舞い散る光をさらに散りばめるように、空気をかき混ぜる。その手の動きに反応するように、光は舞い上がり、傷つき倒れた者たちへと次々と降り注いだ。
冒険者たち、不死竜たち、ディムに、アンジュ、俺……、そして魔王へ。
永遠に続くはずの死の眠りから解放され、ある者は動けぬほどの傷を癒され、皆この状況を把握できないでいる。そして誰よりも把握しかねている男が口を開く。魔王は失った両腕を取り戻し、俺の前に仁王立ちする。
「一体なんのつもりですか! あの装備は私を止めるための唯一の手段! それを破壊するなど……気でも狂ったのですか!」
「いいや、これでいいんだ。きっとこれで」
次に口を開いたのは不死竜たちだった。その中の一頭が群れを代表するように俺たちに語り掛ける。
「チノ メイヤクハ ココニ オワッタ。ワレラハ ワレラノ セカイへ カエロウ」
「な、何を言っている?! 待て、行くなお前たち!」
狼狽える魔王に背を向け、不死竜たちは一頭また一頭と翼を広げ、大空へと舞っていく。その巨大な体躯はみるみるうちに小さくなり、遠い西の空に消えていった。
「確かにお前を止めるにはあの剣と鎧が必要だ。お前の闇とは正反対の力だからな。これは本当に賭けでしかなかったが……お前の魔王としての力は、聖剣と聖鎧がその光をもってこれを打ち消したんだ」
「なんですって……」
魔王は破壊された広場に散らばる小石を手に取り、自らの掌を傷つけた。掌からは赤い血が流れ落ち、一滴一滴と地面に染みを作る。
「再生、しない……」
「これで俺もお前も人間の仲間入りだ」
「……!?」
魔王は信じられないと地面にひざまづく。
「……私に人間として生きろと?」
「だな」
「お断りですよ」
魔王はそう言うなり、足元に落ちている剣を手に取り、自らの喉に向けて突き立てる。鮮血がちらばるが、しかしそれは魔王の血ではなかった。とっさに伸ばした俺の右手が剣を鷲掴みにし、切っ先が喉に触れるか触れないかの所で止まった。
「……いってえ」
切り裂かれた俺の手からは血液が次から次へと滴り落ちる。心臓の鼓動のような、ドクドクとした響きが伝わってくる。俺も魔王の血の効果が無くなったのだろう、傷は回復する様子を見せない。魔王はそんな俺に絶叫する。
「なぜ……なぜ助ける!」
「せっかく生まれ変わったんだ、お前もこの世界を楽しんでみたらどうだ?」
「楽しむ? 私が? この世界を……?! は、無理ですよ」
「なぜそう思う?」
「……私には人としてのあらゆるものが欠落している! どこで生まれ落ちたのかも、父や母の温もりも、その顔さえ知らない。気が付いたら魔物に囲まれて生きていた。私には名前すらないんですよ。……生まれたその日から魔王として生きてきた! そうでなければ生きられなかった!」
「名前なら俺がつけてやるよ。名付け親ってやつだな」
「……こんな虫けらどもの世界に、一体どんな楽しみがあるっていうんですか!」
やれやれ、と俺は広場の隅へ歩いていく。露店や商店が軒並みつぶされてしまった跡地で、俺はゴソゴソと物色を始める。
「えーっと確かこの辺に……。お、あったあった。ほら受け取れ」
運よく破壊から生き残ったそれを魔王に投げ渡す。手のひらより少しだけ大きなサイズの茶色い瓶に、黒い液体が詰め込まれている。
「飲んでみろ」
魔王は黙って俺の言葉に従う。続いて投げ渡した栓抜きで蓋を外し、口へ運ぶ。
「……!」
「どうだ、美味いだろ? そんな飲み物500年前には無かったものなあ」
「こ、これは?」
「ビールだ。俺が好きな<スタウト>っていうスタイルのな。焙煎した材料を使うことで香ばしい香りをつけている。さらにそこに乳糖を加えているから、丸みのある優しい味に仕上がっていてだな……」
俺の説明などほとんど聞いていない魔王は一口、また一口とスタウトを喉に流し込んでいる。イケる口だな。
「お前が虫と呼んだ人間もなかなかのものだろう。この世界はお前が思っているより悪くないかもしれないぞ。少なくとも、俺はこの街のビールがお気に入りだ」
俺は振り返り、目くばせをする。そこにはアンジュが事の成り行きを見守っていた。優しい微笑みを浮かべながらアンジュは俺の下へ駆け寄った。俺も安心したのか、その顔を見て自然と顔がほころんでしまった。だらしない顔だと笑われてしまうだろうか。
それでも、ああそうだ。お前のその笑顔が見たかったんだ。
「……終わったの?」
「終わったよ」
「もうパーティ解散とか言わない?」
「言わない」
「私と、結婚してくれる?」
「……ああ!」
左手を伸ばしてアンジュの手を握る。今までの冒険を経て刻まれた小さな傷だらけの手。細い指。温かい手。
この手を守り抜きたかった。今までの日々と、これからの日々を。
胸に抱きよせ、彼女の頬を撫でる。
土ぼこりだらけの汚れた頬だ。誰よりも美しいと、誇らしいと思う。
見つめ合う視線が、お互いの距離を縮めていく。
唇に感じる柔らかな感触が、彼女の命を感じさせてくれる。
名残惜しく離れていく距離。
そんな中、不満そうにアンジュは口を開く。
「……初めてのキス、土と血の味がしたわ」
「冒険者らしいだろ?」
まったくロマンチックさには欠けるが、それもまた俺たちらしくもある。
こうして魔王を巡る俺たちの長い一日は、ようやく終わったのだった。
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