第3章 決戦編
第15話 準備
ディムとの打ち合わせを終え、宿屋に戻るとアンジュが帰りを待っていた。彼女は椅子に腰かけたまま、うつらうつらと船を漕いでいる。まるで明日が街の存続を決める一日になるとは思えないような、安らかな寝顔だ。
俺はアンジュを起こさないようにそっと部屋に入ると、ディムから受け取ったものをベッドの下の隙間にしまう。
そのゴソゴソとした音でアンジュが目を覚ましてしまった。
「あ、ごめんリオン。私、うたた寝しちゃってたみたい……」
「起こしちまって悪いな」
「ううん、それより遅かったのね?」
「まあ、飲んでればそれなりの時間になるだろ」
「嘘。さっきマスターが来て、揉め事のお詫びにってビールを置いてったわよ。部屋の奥に置いておいたから」
見ると、カゴにはいっぱいのボトルビールが入っていた。早いうちに飲まないと駄目になっちゃうな、これは。ありがとう、マスター。
「それで、酒場を出てどこに行ってたの?」
「あー。ちょっとディムと野暮用にな」
「どんな?」
「内緒」
アンジュは眉間にしわを寄せる。かわいい顔してんだから、そんな顔はよしなさいっての。跡になったらもったいないよ?
「リオンってそういう所あるよね、本当に大事なことはいつも内緒」
俺はこめかみをポリポリと掻く。確かに悪いとは思ってる。でも正直に言ったらお前まで首を突っ込むだろ?
「なあ、アンジュ……今からでもこの街を出ていかないか? まだ遅くない、パーティを解散して、どこか別の街で新しいメンターを見つけるんだ」
「またその話!? イヤ、って言ったでしょ?」
「じゃあどうするんだ? 明日にはこの街は魔王に灰にされるっていうのに」
アンジュは空中で指をくるくるさせながら何か考えている。こういう時のこいつは、大抵その場しのぎのことを考えているときの癖だ。そして出てきた案はやっぱりその場しのぎのものだった。
「今からもう一回、長の所へ行って聖剣を試してみない? 今なら、もしかしたら抜けるかも」
俺は頭を掻く。さっき俺はそれとは真逆の決断をしてきたばかりだからだ。もう聖剣には頼らない。でもそれを正直に言ってしまったら、アンジュのやつもその話に加わろうとするだろう。
「いや、聖剣は……ジェーンが抜いた。明日、あいつは1人で魔王の下へ行くことになってる」
「ジェーンさんが!? そう、なんだ」
アンジュはその意味を理解したのだろうか。一人で魔王の下に行くということがどういうことなのか。
「だから明日は避難していてほしい。事態がどう転んでも安全なのは、この街からいなくなることだ。他の住民たちがそうしているようにな」
「明日はリオン達も避難するの?」
「……ああ」
「嘘ね」
間髪入れず、アンジュに嘘を見抜かれた。なんでこういう時に限ってこいつは鋭いんだ。
「リオンはともかく、ディムさんが何もしないで避難するなんてありえない。……正直に答えて。ディムさんとの野暮用って何? 明日、リオン達は一体何をするつもりなの!?」
俺は頭を掻く。参った、ディムとの野暮用なんて言ってしまったのが完全に裏目に出た。アンジュはさらに俺を問い詰める。俺の胸倉を掴み、目には涙がにじんでいる。
「私は何もできないの? まだ半人前の冒険者だから? リオンと一緒に頑張ることもできないの? ジェーンさんやディムさんが命がけでこの街を守ろうとしているのに!」
俺はアンジュの目を見ていられず、部屋の天井を見上げた。500年前のことを思い出す。こんな風に熱くなった奴は、放っておいても必ず最前線に出てきてしまう。そうなってしまえば、俺にアンジュを守れる自信はない。今回は聖剣がないのも条件的に大きい。
「アンジュ。お前、俺の指示を守れるか?」
「え?」
「お前に手伝ってもらいたいことがある。……ただ、それ以外のことはするな。絶対にだ」
俺は目に力を入れてアンジュを見つめる。必ずその条件を守れるか否か、一分の隙も見逃さない。もしも、一瞬でも目を逸らしたら、俺はコイツを縄で縛り付けてでも別の街へ置いてくる。
しかし、その考えとは裏腹に、アンジュは俺の目から逸らさないばかりか、俺と同じくらいに力を入れて見合わせてきた。
「わかったわ」
アンジュは俺の胸倉を離すと、一歩下がって深呼吸をした。俺もベッドの下にしまった包みを取り出して、テーブルに広げる。そこには頑丈そうな無骨な錠前が。
「アンジュ、お前にはこいつで後方支援をしてもらう。いいか、お前の持ち場は最後方だ。間違ってもこの持ち場から離れるなよ」
「分かったけど……これは、何の鍵?」
「明日の俺たちの武器庫の鍵だ。アンジュには、ここで呼び込みをやってもらう」
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魔王が広場で宣言してから今日で三日目。
今日までの間に聖剣と聖鎧、その使い手を差し出さなければノックスは灰になる。私の愛する街、人々が日々の暮らしを送る街が灰になる。
私は兵団に入ってから、毎日のように聖剣に挑んだが、ついには選ばれることはなかった。それでも、長が街が生き残る方法をなんとか交渉してくれたおかげで、私のような者でも街のためになる道ができた。
それを怒った人は2人いたけど。1人は元々の所有者。もう1人は私の良き友人。
友は一生後悔するとまで言ってくれた。その言葉に嘘はなかった。涙が出るほど嬉しかった。
それでも私は涙は流せない。なぜなら私はこの街を守る兵団の一員だから。
「ジェーン、準備はいいな?」
長の声にハッとして我に帰る。街の北側の広場には長と兵士団長しかいない。いつもは出店で賑わっているこの広場は、水を打ったように静かだ。こんな街を見るのは嫌だなと思った。
「来たぞ」
空を見上げると、北の森の方角からおびただしいほどの黒い影がこちらに向かってくる。あの影の1つ1つがドラゴンだと思うとゾッとする。あの数なら確かに兵団は一日持たずして、この街は灰になるだろう。
「お待たせしました。要求したものはお揃いですか?」
魔王はドラゴンの背から降りるなり、要求を確認した。すでに引き渡しは始まっているのだ。
「ああ、聖剣と聖鎧、そしてその使い手であるジェーン団員だ」
私は長の言葉と共に一歩前に出る。両手には聖剣と聖鎧が抱えてある。これをこの身と共に差し出せば、交渉は終了だ。
「ああ、確かに。その輝きは忌まわしき聖剣だ。それに使い手も。先日のデモンストレーションはお見事でしたよ?」
私は一歩後ずさりした。この男はすべてを見破っている。長と私の自作自演の芝居を。その上でなお、この交渉を成立させようとしている。
「では、聖剣と聖鎧を渡していただきましょう。そして、ジェーンさん? あなたにはここで死んでいただきます」
「……」
私の心は嘘のように静まっていた。予想通り、魔王は使い手と認知された私を殺すことで、この街を恐怖に陥れようとしている。だが、大丈夫だ。それでもこの街は残る。たとえ住民が減ったとしても、いつか必ず賑わいは取り戻すだろう。そしていつか真の使い手が現れ、この街を救ってくれるだろう。それが私でないのが、ただただ心残りだが。
私は左手に聖剣、右手に聖鎧を持って、その身を魔王に差し出す。
ただ最後の意地で、剣と鎧を渡すのは拒んだ。これはお前のようなものの持つものではない。いつかお前を討つ者のものだ。
「結構。では、命を奪った後にいただくとしましょう」
魔王は右手を手刀の形に変え、力を籠める。素手でもドラゴンを引き裂くほどだ。私の体など四散しても余りあるだろう。それでも私の心は驚くほど静かだ。最後に思うのは、一つだけ。
「一緒に生きてみたかったよ、ディム……」
私は目を閉じ、魔王は手刀を突き出す。
「ちょっと待ったあああ!」
私はその声に目を開ける。毎日のように聞いたあの声だ。聞き間違うはずがない。
私と魔王の間にその声の主は立っていた。
彼は姿が隠れるほどの大きな盾を構え、魔王の前に立ちふさがっている。
ドラゴンをも引き裂くその魔の手は、ディムの盾によって防がれていた。
「間に合ったね、ジェーン」
「ディム……! どうして!?」
「一緒に生きようって言ったろ?……僕も、覚悟を決めたんだ」
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