第13話 離別
タークスという奴がいた。両親を早くに亡くした彼には2人の妹がいて、なんとか学校に入れられたらと思っていた。農家をやりながらも周りの手伝いをなんでも引き受ける「なんでも屋」みたいなことを奴はしていた。
毎日毎日どこかで働いていたが、疲れた顔一つ見せないで働いていた。実際、彼はその運動量に見合わないほど太っていた。きっと時間を見つけては、食事だけはなんとか摂れていたのだろう。食後にうたた寝をしていた顔を今でも思い出せる。
そうして貯めたお金で、なんとか妹たちを学校に入れることができた。その時の喜び様ったらなかった。その日は仲間たちと朝まで飲み明かした。その頃は酒場なんて行けず、自分たちで仕込んだ不味い酒を集めて飲んだものだ。
本当にお世辞にも美味しいとは言えない酒だったが、タークスの笑顔は陰ることがなかった。そんな奴の顔を見て飲む酒は、不思議とどこか沁みた。
季節が1周したころ、魔王が現れた。タークスは自分たちの畑と妹たちの学校を守るために、戦いに参加した。妹たちは他の街に避難させて。自分だけは戦った。
そうして死んだ。目の前で、体を引き裂かれて死んだ。
変わり果てた兄の姿を見て、泣き崩れた妹たちの姿は、今でも思い出せる。
イレヴという奴がいた。
スカーという奴がいた。
リーツという奴がいた。
ロックという奴がいた。
ストムという奴がいた。
ウラガという奴がいた。
キャスパという奴がいた。
カルタ―という奴が……
みんな、みんな死んでしまった。
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「リオン、ねえリオン!……大丈夫?うなされてたわよ」
俺はアンジュの声にハッとして目覚めた。体は寝汗でぐっしょりと濡れていた。……うなされていたのは本当だろう、息が苦しい。上手く呼吸ができていなかったようだ。
「あんまり気にしちゃ駄目よ、きっと昨日剣が抜けなかったのは調子が悪かったのよ」
そうだ、剣だ。聖剣が抜けなかった。ハッキリと拒絶された。戦いが終わって、手放した時からそうだったのかもしれない。当然といえば当然だ。一人生き残ったこと、そしてみんなを守れなかったことに嫌気がさして手を放したのは、俺だ。
剣と鎧を見ると嫌でも思い出してしまうから金に換えた。その金で素性を隠し、ひっそりと暮らしていた。俺のことを覚えている人がいなくなった後、何百年と遊んで暮らした。街を転々とすることができたのもその時の金のおかげだ。きっとその頃からもう、俺は聖剣に愛想を尽かされていたのだろう。500年も経って、今更また力を貸せという方が無理があるんだ。
「……長の言うことを真に受けちゃ駄目だからね?」
長。そうか、すっかり忘れていた。確か、「聖剣を抜けない貴様に価値なんてない!」とかなんとか言っていたな。てっきり俺が抜けると思っていたのか、それまでは余裕だったのに。俺が聖剣を抜けないと知るなり、慌てて部屋を出ていった。きっと今頃、街を逃げ出す算段でもしているのだろう。
「アンジュ、ちょっと飲みに出てくるわ」
「ん、分かった。気を付けてね――」
俺は寝汗を吸った部屋着を脱ぎ捨て、適当な服に着替えた。
宿から一歩外へ出ると、街は上から下まで大騒ぎになっていた。道行く人は荷車にありったけの荷物を積んでいたり、もうすでに馬を使って別の街に移ろうとしてるところだった。いつもは人で賑わう商店の通りも、今日は出店1つ出ていないで閑散としている。その代わりに聞いたこともない宗教の宣伝をしている男たちが目についた。急に祈り出せば救ってもらえるとは、なんとも都合のいい神様がいるものだ。
商店の通りの端、いつもの酒場にたどり着いた。ここも閉まっているだろうかと思ったが、店のドアには「通常営業中」という張り紙がしてあった。どこかおかしくなって、クスリと笑いがこぼれた。
酒場に入ると、予想を裏切って中には大勢の冒険者で賑わっていた。こんな時に酒を飲みに来るのはてっきり俺一人くらいなもんかと思っていたが。
俺はカウンターの隅っこに座ると、いつものようにビールを注文する。
冒険者たちの会話に耳を澄ますと、彼らは口々に魔王のことを話しており、これからどうするか、逃げるとしたらどこに拠点を移すかといった話で持ちきりだった。
「はい、リオンさん。いつもの」
「ありがとう、マスター。……いただきます」
目の前には黄金色に輝くビールが置かれた。グラスの淵ギリギリまで注がれたビールは、その液体と泡とのバランスが絶妙の割合で同居していた。一口飲むと、泡の滑らかな口当たりとすぐ後を追ってくる麦の香り豊かな液体が、口の中で混然一体になる。
こんな時であっても一杯のクオリティは落ちないあたりに、頭が下がる思いがする。
もう一口飲もうとグラスを運んだ途端、目の前からグラスが消えた。同時にカウンターに飛び散るグラスとビール。
見ると目の前には、振り下ろされた剣が。俺は多少の怒気を混ぜつつも冷静に問い質す。
「おい……なんのつもりだ?」
「いやな。ろくに自分の剣を抜けないような腰抜けが、呑気に酒を飲んでるのがどうにも癇に障ってよ」
周りを見ると、グラスを叩き割った冒険者と似たような目で俺を見る奴らで、店は一杯になっていた。誰しもが、今回の魔王騒ぎの責任を探しているのだろう。
「リオンさん、悪いね。……どうやらここではもう、ゆっくり飲んでもらえそうにない」
「いいよ、マスター。気にしないでくれ。むしろ、一杯出してくれてありがとう」
カウンターから席を外すと、店の出口に向かう。冒険者たちの吐き捨てるような言葉が耳に入る。今までは気の良い連中だと思っていたが、やはりこんな状況になれば仕方がないことなんだろう。
飲む当てが外れてしまい、特にすることもなくなってしまった。仕方ないから宿に戻ろうと振り返ると、すぐそこには薄汚れたタキシードを着た魔王が悠然と立っていた。一体いつから張り付いていた。
俺は驚きつつも、苛立ちを抑えることなく話しかけた。
「今度は何のつもりだ、毎日毎日忙しいこったな」
対する奴は、どこか面白いものを見るようにくつくつと笑っている。
「……美味しいお酒は飲めましたか?」
「ああ、誰かさんのおかげでゆっくりと飲めたよ」
俺の嫌味も奴にとっては、嬉しい報告になってしまうようだ。いつもはのっぺりとしたうすら寒い笑みを見せているのに、今は喜色満面といった具合だ。俺への嫌がらせができて、たまらなく嬉しいらしい。
「それは何よりです。私がこの街へ攻め入るのも、あと2日後。それまではゆっくりと今の生活を楽しんでくださいね?」
「おかげさまで充実してるよ。パーティは解散(アンジュは拒否したが)、酒場は出入り禁止。俺の数少ない日常を変えてくれてどうもありがとよ」
「いえいえ、どういたしまして。何やら人間どももまだ企みごとをしている様子。まだまだ楽しんでいただけると思いますよ」
そう言うなり、突風が吹き、魔王は風と共に消えてしまった。こんな風に忽然と消えるならいっそ、初めからいなければいいのに。
魔王と入れ替わるかのように、道の反対側から叫びながら走り寄ってくる男が1人。見覚えのあるその服は、今日も上等な絹ごしらえだ。
「リオンさん!大変です!」
「おお、ディム。どうしたんだ?」
「聖剣が……聖剣が抜けました!」
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