第732話 コーヒーの淹れ方で九尾なのじゃ
我が家に敷かれていたコーヒー戒厳令――カフェイン摂りすぎてはいけないの約定――が解かれ申した!!
とか、言ってみたけど、まぁ実家に帰って来た段階で解けておりました。
郷に入りては郷に従え。
割とコーヒーについてはよく飲むというか、こだわりがある桜家は、カフェイン摂りすぎの注意まったなし、モンスター飲料なしで目がギンギンに冴えている、そんな家だったのだ。
その元凶が誰であるか。
「いいかいなのちゃん。コーヒーを入れる時はね、こうしてゆっくりとやさしくお湯を入れてあげるのがいいんだ。まごころをこめてね、コーヒーっていうのは入れるんだよ」
「なのー、おじいちゃんなんだかカッコいいなのー」
はい、またうちのろくでなしである。
この爺、ほんとこういうどうでもいいことしかしない。
コーヒーの美味しい入れ方とか研究して、孫娘同然の娘にドヤ顔する前に、もっと究めることがあっただろう。
だぁもう。
「まぁねぇ、お爺ちゃんコーヒーにだけはちょっとうるさいからね。こう見えて、豆も自分から炒っちゃうし、挽いちゃう本格派だからね」
「なの!! すごいなの!! お爺ちゃんてばなんだかお店の人みたいなの!!」
「ふふっ、まぁ、その昔はね」
そんな訳で。
親父の趣味が高じて、我が家ではコーヒーが割と頻繁に飲まれているのだった。
カフェイン規制派の加代には辛い話である。黙っていても、ほら、加代さんもどうぞとマグカップが出されるのだから。
のじゃぁ、ありがとうございますとそれを受け取る加代だが、ちょっと迷惑そうなのが目に留まる。
あれだけカフェインの有害性を説いていた彼女だから、そりゃ仕方ないだろう。
気分はお察しであった。
無理して飲む必要はないぞと一応フォローする。
すると、なんだ俺のコーヒーが飲めないのかという感じで、親父がこちらを向いてきた。あぁもう、面倒くさい爺さんだな本当に。
こういう融通が利かないところ、確実に老いてきてるなって感じがする。
面倒くさいと思いながらもここは加代のため。ひとつびしっと言ってやる必要がある。俺は親父の冷たい視線にあえて厳しい顔つきで応えた。
「桜よ。俺が丹精込めて加代ちゃんのために淹れたコーヒーに文句があるのか?」
「別に加代が頼んでないのに無理に出すなよ。親父さぁ、趣味は別に構わないけれど、それを周りに強要するようなことはするなよ」
「趣味だと!! 桜よ、お前は忘れちまったのか、俺がかつて何を仕事にしていたのかを!!」
忘れるはずがねえだろう。
お前、そのせいで俺がどれだけ辛い思いをしたと思っていやがるんだ。
冗談じゃねえや。
それ踏まえて、趣味に家族を巻き込むなって俺は怒ってんだよ。
この腐れマスター。
そう、この親父、コーヒーにこだわりすぎて、過去に一度やらかしたことがあったのだ。それこそ加代ちゃんのことが可愛くなるくらいに、手ひどいことをやらかしたことがあったのだ。
コーヒー専門の喫茶店である。
この親父、何をトチ狂ったかそんな店を始めたのである。
家族になんの相談もなしに。
しかも当然のように脱サラして。
そらまぁ、今でこそスタバやらドトールやらのおかげで、コーヒーが気軽に街中で飲めるようになってきたが、当時はまだまだそんなものはない時代である。
喫茶店、ヤニ臭くてぼろっちい店で、サイフォンを沸騰させて煮出したのを出すような奴である。
雰囲気はばっちりだが、その業態は実質厳しい。
そして、なにより、どんなにこだわっても、特別美味しいという売りや、何かしらのコネがなければ客商売というのは難しい。
いわんや、親父はそういうのが底抜けに下手くそだったため、開業から一年もたたずにテナント料を払えず店をたたむことになった。
残ったのは大量のサイフォンとコーヒー豆。
それを消化するために、桜家はそらもう毎日いやというほどコーヒーを飲んだ。お茶の代わりにコーヒーを飲んだ。もはや、一生分というくらいに、コーヒーを飲みに飲んだ、そんな時代があったのだ。
うん。
逆に今でも普通にコーヒー飲めるのが不思議なくらいだわ。
あれで耐性ができたというか、ちょっとしたことでカフェインが効かなくなった感もあるわ。
なんにしても、ろくでもない話には違いなかった。
そして。
「趣味じゃなかったら店がつぶれることなんてなかっただろうが。何が優しく入れてやれだ、そんな雰囲気でコーヒー淹れてるからおめーの店は駄目なんだよ」
「お前、それが親に向かって言う事か!!」
「おめーの無鉄砲で、俺たちがどういう目にあったか考えてから言えよ!! 喫茶店つぶれてから、一年くらい寝るに寝れない状況だったじゃねえか!!」
「仕方ないだろ!! 一日中コーヒー飲んでるんだから!!」
「そういう意味じゃねえよタコ!!」
誰が上手いこと言えと。
割と借金の催促やら、テナントを退去する時のごたごたやらで、もめにもめて、子供心に怖い想いをしたっていうのにこれだもの。
ほんとろくでもない。
あげく最後には――おふくろの親戚に頼って解決してもらった。
世話ない話だよな。
ほんと、コーヒーを見るたびに、親父のろくでなしさに苦々しい気分になるよ。
飲まなくても思い出すだけで口が苦くなるよ。
もうっ。
と、そんな寺内貫太郎かくやという状況に、みかねて加代が割って入る。
「のじゃぁ、二人とも落ち着いてほしいのじゃ。父上どの、せっかく入れてもらったコーヒーなのじゃ。ちゃんといただくから安心してほしいのじゃぁ」
「おぉ、加代ちゃん」
「加代。お前……」
別に飲んだからって死にはしないだろう。
そんな感じでコーヒーを口にする加代さん。
情けない。
こんなことからも、愛しい人を守れないだなんて。
そんなことを思って悔し涙を目の端に湛える俺の前で彼女は――。
「……ブフゥーーッ!!」
「スプラッシュフォックス!!」
盛大にコーヒーを噴き出したのだった。
なになに。
どうしたの。
いったい何が起こったというの。
どうしたどうしたどうした。
狼狽える、俺。
そんな背後で親父が一言。
「あ、フィルターに穴が開いてる」
「探偵物語じゃないんだぞフォックス!!」
コーヒー豆は取り除いてどうぞ。
ほんとポンコツ。
店つぶれたのはそういう所やぞと思いながら、俺はコーヒー豆を飲み込んでしまった可愛そうな九尾の傍に寄るのだった。
ほんと、もう、なーにやってんだか。
「大丈夫か、加代さん!! 傷は浅いぞ!!」
「の、のじゃぁ……。カフェインの直接接種で、三途の川が見えてしまったのじゃ。いや、あれは三途の川というより……パンガニ川」
「……キリマンジャロ!!」
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