第731話 誕生日で九尾なのじゃ
そういや、加代さんの誕生日っていつなんだっけ。
ふとそんなことに風呂に入りながら俺は考えた。
なんの前ぶりもなく突然に考えた。
思えば、かれこれと長いこと一緒に生活しているが、誕生日を祝ってやったことがない。なんということだろうか。同居人にあるまじき行為。はたしてそんな冷たいことで、同居人が務まるのかと、人に言われても言い訳できない所業である。
気づいてしまったのだから仕方がない。
いや、むしろどうして今まで気が付かなかったのだろうか。
大切な人の誕生日だぞ。
知っていれば毎年祝おうものだ。
だが、知らないからスルーしっぱなし。
なんだかそれは申し訳ない。
そう思ってしまったが最後、居てもたってもいられない。
風呂から上がるや、ドライヤーで髪を乾かすのもほどほどに、俺は加代さんの下に赴くと、おもむろに誕生日について尋ねたのだった。
「という訳で、いつが誕生日なんだ加代さん。教えてくれ」
「……のじゃ。いや、いつと言われてものう。ちと困るというか」
「何が困るって言うんだ。結婚していないとはいえ、俺と加代さんはもう家族も同然の付き合いじゃないか。そんな相手の大切な日を祝えないだなんて――それはとても悲しいことだと思うんだ」
「そう言ってくれるのは嬉しいのじゃがのう。その、まぁ、なんというか、今更計算するのが面倒くさいというか」
計算するのが面倒くさいとは。
年齢を誤魔化すのなら話は分かる。
おおよそどんぶり勘定で三千歳の加代さん。
そうすることで、微妙な年齢を誤魔化しているのも、まぁ、いじらしい乙女心と思える。
けれども、誕生日くらいはいいじゃないか。
別に、それが分かった所で、年齢が分かる訳じゃない。
歳を重ねたことが分かるだけだ。
そして、三千年も生きていたら、一年二年くらい誤差ってもんじゃないか。
何をいまさら、そんな恥ずかしがることがあるというのか。
「加代さん。今さら、加代さんの年齢の一・二歳くらいで、俺が驚くようなみみっちい男だと思うのかい」
「いや、そこは信じておるのじゃがのう」
「だったら誕生日くらい教えてくれよ。それでまぁ、年齢の数だけのろうそくは用意できないけれどもケーキくらい食べてさ、皆で祝おうよ」
のじゃぁと本当に困った顔をする加代さん。
解せぬ。
どうしていつもならこういう時、抜け目ない彼女がそんな顔をするのか。
彼女の誕生日が分かることで、彼女もハッピー、家族もハッピー、俺もハッピーになるという、ウィンウィンウィン確定にも関わらず、なぜ彼女は頑ななのか。
そんなに誕生日を知られたくないのか。
それはそれで、なんというか、気になるなと思ったその時、観念したという感じに重いため息を加代さんが吐き出した。
あ、これ、理由を話す流れの奴や。
「のじゃ。まぁ、その、なんじゃ。長い年月を生きておると、やはりこう、いろいろあってのう。もちろん、
「なんだよ、やっぱりあるんじゃないかよ誕生日。なんでそんなにもったいつけるんだよ、加代さんらしくないなぁ、まったく」
「のじゃぁ、じゃから言うておるじゃろう、計算するのが面倒くさいと」
「計算って。そもそも誕生日を計算する必要って――」
ありますぅと言いかけて、あっと、俺は気が付いた。
そうだ。
加代さんが産まれたのは三千年前である。
そして彼女が産まれたのはアジアである。ヨーロッパの方ではない。
なので当然、現在使われている暦がそのまま適用されるはずがない。
そう――。
「
「……なるほど」
「年齢も、流石にカウントがあやふやであるから、こう、ピシッとこの日に産まれたというのが算出できるか怪しい感じなのじゃ。なので、あんまりそういうのは乗り気じゃないのじゃよ」
理由が分かってしまえば納得という奴である。
長い年月を生きている、九尾だからこそ発生する案件。
なんというか、スケールのでかさもさることながら、歴史の重さも感じさせてくれる話であった。
とはいえ。
彼女の誕生日を祝ってやりたいという気持ちが、それで揺らぐかといえばそんなことはない。
依然、家族の一年の成長を、祝ってやりたい気持ちは変わらない。
うぅん。
「仮にでもいいのでなんかこうないの?」
「のじゃぁ、太陰太陽歴の閏年じゃからのう。厳密に計算しないと、本当に分からないのじゃよ」
「……ぐぬぬ、なんかもうその言葉の響きだけでいろいろとやる気がそがれる」
「のじゃのじゃ。なのでまぁ、あまり無理をせずというか」
「無理とかじゃないよ。家族のことを祝ってあげたい、純粋な善意だよ」
のじゃぁと加代、嬉しそうに顔を赤らめる。
そんな顔をされるとこっちまでむず痒い。
ただ、誕生日を聞いただけなのに。
なんだこれ、この甘酸っぱさ。
俺ら同棲し始めたばかりのカップルかという感じである。
もうかれこれ、四年近くは一緒に居るっていうのに。
おまけに、今は俺の実家で暮らしているというのに。
あぁ、もう――。
「だったらもう、あれだ、てきとうに決めてしまおう」
「のじゃ、またそんな」
「九月九日。九尾の日ってことで、その日に決定。加代さん、今年はその日にはちゃんとケーキ買って来るから。みんなで食べよう、な」
なんだか決まりが悪そうに、ぽりぽりと頭を掻く加代さん。
そんな彼女の手を取って俺は、遠慮することなんてないんだよと、謎の励ましをかけた。
いいじゃないか、誕生日くらい。
仮でも、なんでも、一年に一度、祝われる権利が人間にはあるんだ。
いや、九尾にだってあるんだ。
三千年、孤独に生きて来た狐に、それくらいのことしてやれなくて何が家族か。
何が内縁の夫か。
俺は、強く強く、目の前の九尾娘の手を握りこんだのだった。
「のじゃぁ、ええのかのう、
「誕生日を祝うくらい幸せのうちに入んないよ。あたりまえだよ」
「……のじゃぁ」
ぐすんと鼻をすする加代。
そんな彼女の様子を見かけて、なのちゃんやアリエスちゃんたちが寄ってくる。
どうしたのーと尋ねる彼女たちに、なんでもないなんでもないと言いながらも、加代の奴は終始笑顔であった。
そうだよ加代さん。
家族なんだから、一緒に居る時は笑っていないと。
何千年生きていたって、それは人間が持つ当然の権利なんだからさ。
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