第692話 味噌汁の味とお袋の味で九尾なのじゃ

 味噌汁ってのは一日を始動するのに必要なエンジンだ。

 味噌の塩気、海藻類などから染み出た滋味、汁自体のぬくもり。それらをすべて摂取して、人の身体は暖機運転され日々の仕事へと突入していく。


 そう、言うなれば日本人にとって、みそ汁を飲むことはルーティン。

 これなくして俺たちの朝は始まらないのだ。


 そして、だからこそ味噌汁の味というのはこだわりが出る。

 結婚の際に、毎朝俺に味噌汁を作ってくれと男が言うのは、裏を返せばそれくらい我々の深層心理に味噌汁が根差しているということ。


 そう!!

 人類は!!

 味噌汁に!!

 支配されているのだ!!


「とか、そういう話は置いといてだ」


「……なんとかならんかな桜よ。加代ちゃんお前のこれじゃろう」


「小指立てんなこのバカ親父。言うたらお袋だってお前のこれだろうが」


「……うへへ」


「おい、六十過ぎたおっさんが気持ち悪い反応返すな」


 朝っぱらか小指を立て合う桜親子は今日も元気です。

 そして、ここに来て初めて、桜家にて嫁姑戦争が勃発しております。


 そう。

 はじまりはいつも唐突に――。


「のじゃ!! 味噌汁と言えば白みそなのじゃ!!」


「なーに言ってんだい加代ちゃん!! 味噌汁といえば赤味噌だなもー!!」


 味噌汁に使う味噌の種類の相違によって始まったのだった。


 そう、久しぶりに買い出しに行ってくるのじゃーと昨日の夜に出かけた加代さん。丁度味噌が切れていたので、買って来たのがまさかの白みそ。

 大阪生まれの大阪育ちだが、祖母が東海出身のため味噌汁は赤と決めている母が大激怒。そして、朝からの大論争となった訳である。


 うぅむ。


 うちはこういうのとは無縁の仲良し嫁姑になってくれると信じていたのになぁ。

 人間、何が地雷かなんてわからないものだ。


「だいたいね、白みそってのはこうなんというか塩気が足りないのよ。なんていうかな、朝一番に飲んでもガツンとこないような、そういうとぼけた味なのよ」


「のじゃぁ、そのまったりとした味わいがいいのじゃ!! 朝からそんなに塩分接種したら高血圧になっちゃうのじゃ!! まったりと、ほんのりと、体をゆっくりウォームアップしていく感が大切なのじゃ!!」


「そんなんじゃ朝から仕事に力が入らないでしょ!!」


「のじゃぁ!! 仕事は昼からが本番!! 朝は段取りの時間なのじゃ!!」


「なんだい、アタシの仕事の仕方に文句があるってのかい!!」


「文句はないけど朝の気合の入れ方は人それぞれなのじゃ!! そういうのに口出ししないでほしいのじゃ!!」


 あかん、これは本格的にあかん奴や。

 思わず俺と親父はお袋と加代を引き離した。


 どうどう。

 落ち着こうね二人とも。


 味噌汁の味なんてどうでもいいじゃないのよ。

 飲めりゃいいんだからさ。

 なんて言ったらこの味噌汁戦争という名の火に油を注ぐだけだろうけれど。

 流石にそれはしない。


 まぁ、お袋も加代もこれで結構付き合いが長くなるからなァ。

 お互いの性格くらいそら把握してますよってなもんである。


「まぁまぁ、二人とも。ここはひとつ、両者の中間をとって合わせ味噌など」


「「あぁん!?」」


 はい。

 それでまたね、親父がいらんことを言うてくれる。


 アンタお袋と一緒になって何年になると思っているのよ。

 そんなフォローをお袋が求めるタイプじゃないことなんてよくわかっているはずでしょうよ。そんでもって、合わせはないわ合わせは。


「あんなしょっぱくもなければ甘くもない、どっちつかずの中途半端な味噌なんて味噌なんかじゃないよ!!」


「そうなのじゃ!! 白と赤、甲乙つけがたいからその中間でなんていう発想がもうなんていうかダメなのじゃ!! 中間なんて必要ないのじゃ!! はっきりさせるのじゃ!!」


 ほんで加代ちゃんもこの手の話は割と極端なのね。


 知らなかったわ。

 これはちょっと親父には感謝だわ。


 甲乙つけがたいからその中間でとか、間違ってもこれから言わないでおこう。


 そう、味噌汁はなんていうか、人によってこれというものがある。

 中間だとか、妥協だとか、そういうのはないのだ。


 もっとも、その論議が面倒くさくて黙るというのはあるけれど、一度言い出した泥沼だからしかたないのだ。


 そして、俺は――どちっかってーと赤味噌派なのだ。

 なので、できればこれ以上話を広げないでほしい。


さくりゃァ!! お主はどっち派なのじゃ!!」


「アンタは赤味噌で育ったんだ、もちろん赤味噌派だよねぇ!!」


「……桜よ、時には合わせ味噌という逃げの一手も必要なんだぞ!!」


「いや、何気に選択肢が三つに増えている!!」


 親父、普通に自分が合わせ味噌好きだっただけかい。

 ここぞとばかりにアピールしに行っただけかい。


 だーもう。


「なんでもいいから、早く味噌汁作ってくれよ!! お前もう、朝からこんな大論争するようなことでもないだろ!! それより、会社遅れるっての!!」


「「「大事なことだろ!! 朝一番の味噌汁だぞ!!」」」


 ほんともう。


 我が家は朝から平和です。

 ただし、遅刻はする。

 味噌汁の具みたいな名前の上司に、俺はラインで午前休取りますと連絡を入れたのだった。

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