第627話 筆職人で九尾なのじゃ
筆職人の朝は早い。
午前五時。
まだ誰も来ていない工房。
その磨りガラスの引き戸を開けて、朝日と共に工房に顔を出したのは筆職人見習い――7日目の加代さんであった。
彼女は――筆職人求む。未来の職人よ集まれ――という、ハローワークの求人票・自由記入欄に書かれていた内容を真に受けてこの工房へと弟子入りしていた。
職人気質には致命的。
おっとろしいほどミーハーで軽い志望動機であった。
――なぜ、それにしたって筆職人に?
「お給料がよかったのと、あと
ネコ科の手も借りたいというのはこのことだろうか。
なんにしても、未来に日本の技術を残したいからとか、自分の力を試してみたいからとか、そういう殊勝な言葉が出てこないあたりがやっぱり畜生って感じだ。
せっせと工房の中を掃除する加代さん。
その背中は、まさしく修行中という感じが滲み出ている。
弟子入り7日目である。
まだ右も左も分からない。
そんな彼女にできる仕事はこんな雑用ばかりということだろうか。
――どうして掃除をしているんですか?
「のじゃぁ。
割と生々しい理由でした。
もう少しこう、職人の世界の厳しさとかそういうのが垣間見れればよかったんですがね。まったくもって現実的な、割と理にかなった答えでした。
集まった毛と埃を分けてまとめる加代さん。
続いて彼女は工房の奥――襖で仕切られた部屋へと向かっていきます。
いったい何をするつもりなのでしょうか。その顔色にはどこか悲壮感にも似た必死さが漂っています。
気になりますね。
――いったい、何が始まるんですか?
「のじゃ。詳しいことは答えられないのじゃ。じゃが、これだけは言っておくのじゃ。決して中をのぞいてはいけませんなのじゃ」
鶴の恩返しかな?
分かりやすくバリカン持ってますね。
それであれですかね、頭をバリバリバリーってやっちゃうかんじですかね。
いくらなんでもそりゃあかんだろフォックス。
俺は加代が奥の部屋に入って行くのをすぐさま止めた。
「止めてくれるな
「いや、そこまでする必要はないだろ。というか、加代さんアンタも一応、そんな形でも女の子だろう。髪は女の命って言うじゃないか」
「のじゃぁ、けど、けど――抜け毛だけでは季節の変わり目でもない限り、筆にできるほどの毛は集めることができないのじゃ。ならばもうこれしか手がないのじゃ」
「いや。筆にするよりウィッグにした方がよくない? そっちの方がお高くならない?」
はたして筆にするのが高いのか、かつらにするのが高いのか。
そこの所、俺はその手の業界にとんと馴染みがないので分からない。
分からないけれど、女の命と言っていい髪を切ってまでするような仕事ではない。
やめなはれと加代を座らせる。
その時、からりと後ろの工房の戸が音をたてた。
筆職人の朝は早い。
「あれ!! なんだよまた来てるよ、加代さん!!」
「加代さん駄目だよ。あんたねぇ、初日で話したじゃないの。流石に衛生観念上、人の毛を使って筆を作るのはちょっとって」
「なんで一日目の仕事ぶりで、やっぱあんたにゃこの仕事は難しいって言ったのに――またそうやって勝手に忍び込んでからに」
「オウ、ジャパニーズ、オキツネガール、ベリーベリークレイジー」
口々に加代さんの痴態を暴露する工房の皆さん。
昨今は、職人と言っても頑固な感じの方々ばかりではないのですね。外国人の方までいらっしゃって、とってもフレンドリーな感じのする職場です。
それだけに気になりますね。
――なんで加代さんはクビになったんですか?
「「「「初日に居眠りした際に、自分の毛に息を吹きかけて、分身しよったんですわこの駄女狐」」」」
「のじゃぁぁあああぁ……!!」
西遊記ですかよ。
なんにしても、加代さんらしいっちゃらしいクビのなり方でございますね。
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