第600話 ウラシマ太郎で九尾なのじゃ
さて。
まぁ無事にあのどったんばったんな異世界から、こちらに帰って来た俺たち。
しかし、平穏無事に済んだのは会社だけである。
それ以外については割と悲惨なことになっていた。
「のじゃ……。アパート、立ち退きなのじゃぁ」
「まじか。まぁ、そりゃ、これだけの期間を空き家にしてたらなぁ」
大家さんと個人的に太いパイプがあるならともかく、無断で家を空けるなんてことをすればそりゃ問題になる。加えて連絡も取れないのだから仕方ない。
家主と連絡が取れないため、部屋を撤去いたしました。
そんなプリントが張られた我が家。
ボロアパート。
次の入居者もまだ決まっていないのだろう。
部屋の窓には黒色のビニールが張られてた。
荷物については、既におふくろたちから聞かされている。
引越センターがわっしゃわっしゃと、実家にまとめて持って来たのだという。今、俺が昔暮らしていた部屋に、所狭しと生活で使っていた道具などがおしこまれているそうだ。
ちなみに引っ越し料金は着払い。
無理を言って、おふくろとおやじに立て替えて貰っている。これがまた、えらい金額でちょっと参ってしまうのよ。
はてさて。
そんな懐事情は別として。
「のじゃぁ、どうするのじゃ桜よ。空いているようだし、大家さんに相談して、また暮らせるようにしてもらうのじゃ?」
「いやぁ、どうだろ。正直、ここでの生活も結構きつかったしなぁ」
なにせ1DKに二人住まいである。
まぁ、同棲っぽいと言えば同棲っぽいけれど、それでもちょっといい歳した大人が暮らすにしてはつらいものがある。せめてもう一部屋、寝るための部屋くらいは欲しいし、収納スペースも欲しい。
もっとも、そんなことを言って、そんなアパートを借りるだけの余力があるのかと言われればこれまた怪しい。にんともかんともである。
まぁ、閑話休題。
職場まで距離はあるけれども、新しい住処についてのあてはある。
「なんにせよ、しばらくはおふくろたちの世話になると決まったし。今はもういいんじゃねえの」
「のじゃ、とはいえ長年暮らした我が家、名残惜しいのう」
「いや、アンタの家じゃなくて、ここ、俺の家だからね」
まるで九尾の隠れ家みたいな言いぐさをしてくれるなよ。
普通のアパートなんだからさ。
そんな言いぐさじゃ、まるで長年加代さんが憑りついていたみたいにかんじるじゃないのよ。やめてやめて、ギャグホラーってジャンル的にとても難しいのよ。
とまぁ、そんな冗談はさておいて。
「のじゃのじゃ、あいさつ回りにちょっと声をかけておくのじゃ」
「そうだな。まぁ、異世界行っている時間も長かったし、引っ越してるってことも考えられるけれど、礼には礼をって奴だよな」
まぁ、礼をされた具体的な話――引っ越し蕎麦とかお土産とか――はないのだけれども、それはそれという奴である。こちらも菓子折りを用意している。この後の大家さんへのお話も兼ねて、一度挨拶をしておくか。
そう思って隣の部屋のチャイムを鳴らした。
リンリンとレトリィな音色がアパートに木霊する。
「……そういえば、お隣さんとか初めて会うのじゃ」
「言われてみればそうだな」
「ダメじゃのう。楽な方に楽な方にと流されてしまうのは我らの悪い癖なのじゃ。早々に改めねばならぬのじゃ」
そんな真剣に悩むようなことでもないでしょう。
都会はそういう意識が希薄なんだから。
そりゃ染まってしまうのは仕方ないって。
むしろ、それに気が付くくらいでちょうどいいんじゃないかなぁ。
ちなみに、引っ越しの挨拶の発起人はといえば加代さんだ。
こういう行事には煩いらしい。
俺なんかは別にこういうの、かたっ苦しいだけでどうでもいいとか思うんだけれども。やりたいって言うのだから、仕方ない。
それに付き合ってやるのも同棲者の務めだ。
しかし遅い。
レスポンスが悪い。
なんだろうか、まるで居留守でも使われているようだ。
うんともすんとも言わない。
こうなってくると、俄然こっちの後味が悪くなってくる。
「……のじゃぁ」
「いないみたいだな。どうする、加代さん?」
「そんなことないのじゃ。外から見た時、確かに人影があるのを確認したのじゃ」
「ほんとにー? 加代さん、ほんとにー?」
見間違いとかじゃなくて、本当に見たのかなー。
そんな思いを込めて加代を睨んでやる。
すると、のじゃぁと加代が肩を怒らせた。
見間違いではないわ、そう、叫んだその時――。
「おやまぁ、桜さん。久しぶりだわね。あらあら、帰っていらっしゃったの」
「あぁ、大家さん」
「……のじゃ!?」
突然、アパートの階段から大家さんが姿を現した。
随分久しぶりの接触。更に、家財一式を勝手に処分された手前、気まずいっちゃ気まずい状況なのだが、まぁ、話しかけられたら仕方ない。
「すみませんねぇ。流石に数ヶ月も置いておくのはどうかなぁと、そんなことになりまして。ほら、最近は空き巣とかも物騒でしょう」
「あぁ、それはもう、どうかおかまいなく」
「のじゃのじゃ。約款にも書いてあったのじゃ。仕方ないのじゃ」
「そう言ってくださると、こちらとしても助かりますわ。それはそうと、そちらの部屋に何か御用でも?」
「いや、引っ越しの挨拶でもしておこうかと思って」
「のじゃ。やっぱり、そういうのは大切かなと思って」
あら立派、なんて言葉が返ってくるかと思いきや、大家さんは顎に手を載せた。
いかにも、うぅんと何かを考えている仕草だ。
その仕草の意味が分からなくて、俺と加代は首を傾げる。
すぐにその答えは、予想もしない内容と共に返って来た――。
「おかしいですねぇ。確か、その部屋には、桜さんたちが入る前から、誰も入っていないはずなんですけれど」
「……のじゃ」
「……なん、だと」
いやいや、結構、生活音聞こえたぞこのアパート。
壁ドンとかはなかったけれど、普通に声とか聞こえて来たぞ。声の内容とかまではよく聞こえなかったけれど、生活感は感じていたぞ。
うすら寒いモノが背中を流れる。
それを拭うより早く、大家さんがさらに口を開く。
「それにねぇ、このアパートってば、まったく入居者が集まらなくって困っていてねぇ。唯一の住人である桜さんたちを」
「うわーっ!! うわーっ!! うわーっ!!」
「のじゃ!! 大家さん!! ちょっと本当、そういう不意打ちのホラー話はちょっと勘弁して欲しいのじゃ!!」
違う、これは違う。
クビはクビでも、首の方だ。
なんかこう、艶めかしい曰く付きの方だ。
俺と加代は、それ以上は何も聞かないことにした。
手にしているお菓子も自分たちで処分することにした。
やれやれ。
都会は怖いところですね。
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