第369話 コーヒー屋のバイトで九尾なのじゃ

「のじゃー、近々駅前にコーヒー屋ができるみたいなのじゃー」


 そう言って、買い出しから帰ってくるなり加代の奴がチラシを差し出した。

 書かれていたのは某スターでバックスなお店の後塵を拝しているターでリーズナぶるなコーヒー屋。個人的には、コーヒーだけならサンなマルク、モーニングならコメ〇がコスパ最強と思っている俺としては、出来ても行くかなという感想だった。


 ふぅん、と、そのチラシを眺めてすぐにちゃぶ台の上に置く。

 ぶっちゃけて興味はなかった。


 というか、コーヒー飲むなら自分で淹れるしな。カフェインがどうのこうのうるさい同居人もいるし、そうそう行けるものではない。

 そもそもなんでこの狐は、自分は飲まないのにチラシなんて貰ってくるのか。


 ははん。


「もしかして、加代さんそこのオープニングスタッフでも狙ってるわけ?」


 俺はわかってますよというオーラを出しつつ加代に言った。すると図星だったのか、加代はさてどうかのうなんて言いながら目をそわそわと泳がせた。

 それじゃ肯定しているのと同じだっての。


 買いだしてきた食品をスーパーの袋からせっせと冷蔵庫に詰め終えると、麦茶の入ったポットを持ってこちらにやってくる。二つ分のプラスチックカップを俺と自分の前に置くと、彼女はそれにとくとくと麦茶を注いだ。


「はい、麦茶のグランデなのじゃ」


「なにその誤魔化し」


「あるいはトールサイズなのじゃ」


「うわぁ、競争激しいコーヒー屋の差別化にも、臨機応変に対応するアルバイターの鑑のようなお狐様。流石だな加代ちゃん、さすがだ」


 思わずすっと出てきたその接客ぶりに軽口が飛び出す。

 いいから飲むのじゃとぷりぷり怒りながら、加代は自分のカップに口をつけた。


 いやまぁ実際、ここまですっと飲み物のサイズが出てくるのは凄い話よね。


「しかし加代さん、コーヒー屋でのお仕事経験豊富よね」


「のじゃ、なんやかんやでクビにさえならなければ、即戦力で働けると我ながら自負しておるのじゃ」


 そう、ほんとクビにさえならなければ、何も問題ないんだけれどね。

 どうしてこういつもいつも、分かっているのにクビになってしまうのか。

 こればっかりは仕方ないのよね。


 だって九尾だからとギャグで済まないのがなんとも歯がゆい。


 技術はあっても、処世術は持ち合わせていない。

 コーヒーみたいに苦い娘だな――と、あらためてそんなことを思った。


 まぁ、飲んでいるのは麦茶なんだけれど。


「のじゃのじゃ、たぶん、ここに勤めても、長くは続かんのじゃろうなぁ」


「けど、行くんだろ?」


「のじゃ。お仕事は選ばない主義なのがこの加代ちゃんの信条なのじゃ」


 ご立派なこって。

 生まれてこの方、プログラマーくらいしかまともにやってこなかった俺には、加代のバイタリティには素直に感服した。


 ほんと、いつもいつも思うけど、長続きさえしてくれればいいんだけどね。


「とりあえず、朝一からやってるなら、行きがけに顔出してやるよ」


「のじゃ!! 外でコーヒー買うなんて勿体ない!! 家で水筒に淹れて持っていくのじゃ!! 節約節約!!」


「……こういうズレてるところが、たぶんダメなんだろうな」


 それはそれで慣れてしまうと可愛いのだけれど。


 うむ、どうかしているな。


 暑さのせいか、それとも、狐に化かされているのか。

 なんにしても、熱暴走する頭を冷やすために、俺は麦茶を呷った。


 隠し味のソルトが、いい感じに効いていた。

 心憎い気遣いじゃないのよ。ほんと、恐れ入るよ。

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