第363話 海行こういいねぇで九尾なのじゃ

「海行こうなのじゃ!!」


「いいねぇ!!」


 夏。


 白い砂浜。


 焼けた恋人の肌。


 はちきれないけど煽情的な水着。


 そう、夏と言ったら海だ、海水浴だ、浜辺で追いかけっこだ。

 今年は夏休み、ずらして取ることになっちゃったけど、まだまだ暑い夏はこれからだ。海水浴でもなんだって行こうじゃないのよ。


 だって俺たちはアラサーだけど、心は十代のままだから。


 少年の心を忘れていない、ピュアな大人なのだから。


 いざゆかん、まばゆく波打つ海岸線へ――。


◇ ◇ ◇ ◇


 和歌山マリーナシ〇ィ釣り公園。

 俺たちはこの糞暑い炎天下、ふきつける海風に向かって竿一本突き出して、揺れる水面を眺めていた。


 下に着てきた水着が汗を吸ってごわごわと気持ち悪い。

 そんなことを思う俺の横で、我が同居人にしてこの旅の発起人である加代さんは、なんだかしっかりしたジャケットと、首元を冷やすなんかひんやりとたハチマキみたいなものを巻き、頭に黄色いキャップをかぶっていた。


 そして尻にはクーラーフォックス――ならぬボックス。

 完全に釣り重武装状態である。ちょっと見ていてこっちがびっくりした。


 うーん。

 俺、なにやってんだ、フォックス。


「のじゃ。やっぱり釣りはいいのう。今日はたっぷり一週間分の魚を釣るのじゃ」


「……釣り? 夏なのに? 釣りなんですか?」


「のじゃ!! 夏はアジの季節!! 今釣らなくて、いつ釣るのじゃ!!」


 いや、アジの季節とか言われても。

 もっと大切な季節じゃないですか。


 石原〇太郎が、障子にナニを突っ込むような、そういう季節じゃないですか。


 なのに――釣りって。


「どうしてこうなった。甘え、慢心、勘違い、そもそもオキツネ……」


「のじゃぁ!! なんでそんなお通夜みたいな顔するのじゃ!! こんないい天気――絶好の釣り日和に、そんな顔してちゃダメなのじゃ!!」


 ラブコメ小説で釣りするほうがよっぽどダメな気がするのじゃ。

 オコな加代さんに対してそんな抗議をしたかった俺だったが、握る竿がひくひくと、先ほどから揺れているので、放っておくことはできなかった。


 それ、フィーッシュ。

 浮きの動きに合わせてひょいと竿を合わせれば、掌よりもちょっと大きい青魚がざぶりひょいっと海面から顔を出した。


 今が旬の魚――アジである。


「のじゃ!! でかしたのじゃ桜!!」


「わーいつれたー、やったー、ばんにゃーい(棒読み)」


「この調子でどんどん釣って、今夜はアジフライパーティなのじゃ!!」


「わー、この糞暑いのに、そんなパーティしたくなーい」


 色気より食い気。

 どんな時でもまずはなにより日常生活。

 そんな加代のモットーをいまさらながら思い出した。

 俺は、ひと夏の甘い思い出作りという、スイートな考えを頭の中から追い出し、釣り針から魚を外したのだった。


 ちくしょう。

 いやにすんなり海に行くことになったなとは思ったよ。

 こういうオチが待っていること予想できただろうに。


 俺ってばホント馬鹿よね。

 ははは、もはや乾いて涙も出てこねえよ。


「のじゃ? 桜よ、空を見上げて笑っていったいどうしたのじゃ?」


「なんでもない。なんでもないよ。ただちょっと……暑さに脳をやられちまっただけさ」


 そう、あんまり暑いものだから、正常な判断ができなくなってきていたのさ。

 けれどもいいじゃないか、浜辺で同居狐とキャッキャウフフする、そんな蜃気楼を見るくらい――。


 だって俺、体は三十代でも、心は十代のピュア中年だからサァ。


「のじゃ。熱中症になる前に、ちゃんと水分補給するのじゃぞ」


「おーう。もう涙も出ないから、そろそろ危ないと思うわ」


 とほほ。

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