第310話 回数券で九尾なのじゃ

 また出張である。つっても隣の県だから問題はないけれど。

 責任のある仕事がしたくないからと、昇進を断ったつもりだったのだが、気が付けばプロジェクトリーダーとして、あっちこっちと良いように向かわされている。


 給料に手当が付くだけ、昇進しておいた方がよかったのではないか。

 ここ最近、電車に揺られながらよく考えることだ。選択をミスったなとぶっちゃけ後悔している。


 とはいえ、今更「昇進させてくれ」などとは口が裂けても言えない話で。

 次の考課がある一年後まで待たなくてはいけない。


 あるいは、そう思わせるために上層部があえて俺にこういうきつい仕事をさせているのかもしれない。だとしたらとんだ腹黒会社もあったものだが。


「まぁそれでも、平社員なので決定権がないです――の一言で、重めの追加案件逃げられるのは助かるけどな」


 しかし困りごとが一つだけ。

 出張出張また出張で、俺の財布はすってんてん――ということだ。

 事後請求で書類を出せばお金は戻って来るけれど――この振っても音もなく、厚みの薄い財布を握りしめると、どうしようもなく悲しい気分になってしまう。


 あぁ、本当に、貧乏って奴は嫌ね。


「もうちょっとお安く賢く生きていけないものかねぇ」


 そんなことを思って最寄り駅に降りる。人の流れに合わせて改札を抜けると――ちょうど駅の前で加代の奴が待っていた。


「のじゃぁ、桜ぁ、おつかれさまなのじゃぁー」


「あれ? なんでいんの?」


「なんでとは失礼な!! 同居人を迎えに来たらおかしいかえ!?」


 えぇ、そんな、まるで普通の同棲カップルのような。

 気持ち悪いからやめようぜそういうのはさ。


 サイダーにスティックシュガーぶち込むが如き蛮行。そんな甘々な展開にしてなんになるっていうのさ。胸やけがしてしんどいだけだっての。

 というか、最近ナチュラルにこういう行動とってくるよな。なんか、暗に責任とれよと言われているようで、男としてはちょっと怖い――というか胃が痛いんだけど。


 いや、責任とるのかとらないかで言えば、いまさら取らないとは言えないような関係だけれどもさ。


 はぁと溜息が口を吐く。

 するとのじゃぁと加代が首を傾げた。


「どうした、何かあったのかえ?」


「え、あぁ、いや」


 流石に結婚がどうこう言われている気がして気が滅入った。

 なんてことは口にすることができない。というか、たぶん加代の奴はそんなこと気にしていないだろうし。


 どう誤魔化すかなと考えて――。


「実は出張の交通費がかさんでて、財布の中が寂しくってさ」


 当面抱えている仕事の問題に挿げ替えて、俺は溜息の理由を誤魔化したのだった。

 すると、のじゃと、加代さん、唐突に怪訝な顔をする。


 ちょっと財布を貸してたもれ。そう言って手を差し出してきた彼女。財布の中身を確認したいのだろうか。何を怪しんでいるのか分からないが、特に断る理由もなかったので、俺はそれを素直に彼女に渡した。


 そして――。


「のじゃぁ!! 桜よ!! 回数券はどうしたのじゃ!!」


 唐突にそんなことを彼女は叫んだ。


「……俺は孫悟〇じゃないぞ?」


「それは〇王拳なのじゃ!!」


 分かってるよ。分かっててボケたんだよ。

 誤魔化すつもりが藪蛇なことになってしまった。やれやれ、一度嘘を吐きだすとなんとやらっていう奴だな。


「そんな頻繁に出張行くなら、回数券買った方がお得なのじゃ!! 少しでも安い交通手段を利用するのが賢いやり方なのじゃ!!」


「あぁ、まぁ、そうなんだけど――面倒くさくって」


「のじゃ!! 駄目なのじゃ!! 節約はこういう細かい所から!! バカバカしいと思うような所からちょっとずつちょっとずつ手をつけて」


 はいはい分かったから分かったからと俺は加代から財布をひったくる。

 もう今日は疲れてるんだよ。そんな言葉と共に、俺はせっかく迎えに来てくれた同居狐に背中を向けて、自宅の方へと歩き始めたのだった。


 のじゃ、桜よ、まだ話は終わっておらんぞと狐の雄たけびが木霊する。


 まぁ言わんとすることは分かるのだがね。


「回数券買っても、使い切れるか分からんしなぁ。それなら――」


 駅前にある金券ショップもしくは格安きっぷ販売機でその都度買った方が確実だ。


 回数券、使ってないとは言っていない。

 正規の所で買っていないだけで。


 そりゃお前、正規の交通費で申請すれば、十円でも五円でも、差額がまるっと懐に入って来るのだ。俺だってそれくらい、小狡いことはするっての。

 ほんと、小さなところからこつこつとでせせこましい話だが。


 まぁそれで、帰りに出張のお土産を、同居狐に買って帰ってやれるなら。

 そんなせこい節約も悪くはないかもしれないが。


「あ、そうだ。これお土産の御当地限定のお菓子な」


「こんなものばかり買って!! もうちょっと節約を真面目に考えるのじゃ!!」


「いいじゃん、お前、たまには贅沢しようぜ」


「節約!! 買ってしまっては仕方ないが――浪費は堕落の始まりなのじゃ!!」


 あぁ、世の男性が女性に幻滅するのって、こういう所なのかね。

 これを乗り越えられるのか――。


 まぁ、東南アジアの旅をなんとか乗り切ったのだ。

 なんとかなるんじゃないかな。

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