第280話 おやつの時間で九尾なのじゃ

 加代さんとのダイエット生活も軌道に乗り出した。

 おかげさまでなんとか体重も、デブる以前の水準まで戻って来た。


 そんなうららかな午後のこと(平日)。

 俺は三時になったのを見計らうと、鞄の中から銀紙に包まれたそれを取り出した。


 中に入っているのはなんてことはない――。


「クッキー?」


「おう、おから入りのな」


 前の会社の同僚が俺に声をかけてきた。

 同じチームということもあって、何かとちょっかいをかけてくる奴だが、人のおやつにまで目ざとく反応するとは、暇な奴め。


 まぁ、それくらい暇な方が、いい仕事ができるからいいんだけれどさ。


 まじまじとこちらを見るそいつに、お手製おからクッキーを見せつけてやる。


 そう、例によってチョコレートダイエットを止め、毎朝ランニングという本格的なダイエットに切り替えた俺。だが、甘いモノの誘惑に勝てた訳ではない。


 相変わらず甘いものは食べたい。

 そして、仕事の疲れに脳が糖分を欲するのを止めることはできない。


 そのどうやっても抗えない欲求に、逆転の発想、せめて低糖質なものを食べようと考え、おからクッキーをこうして食べることにしたのだ。


 それも手作りの。


 だって高いんだもの健康食品って。

 それに少ないんだもの、量が。


 食べ盛り――三十路――だから、あの量じゃ足りない足りない。だったら、作ればいいじゃないと、加代と休日にせっせとクッキングしたと、そういう次第である。


「ふっ、羨ましかろう、彼女(と作った)謹製おからクッキーよ」


「おまえんとこホントラブラブな。羨ましいわ」


「よせやい、照れるじゃねえか。褒めても尻尾しかでねぇぞ」


「なんで尻尾?」


 とまぁ、そんなおバカなやり取りを挟みつつ、俺はその一つを取り出して、口の中へと放り込んだ。


 掌の半分くらいの大きさ。

 まさしく、クッキーという見た目をしているが、食べればしっとりした歯ざわり。

 これが結構癖になる。そして甘さ控えめ。


 自分で作っておいてなんだけれども、結構上手にできたと思う。


「どれ、じゃぁ、俺も一口」


「嫌だよお前。これは俺のおやつだっての」


「一個くらいいいじゃねえかよ」


 一個くらい、だと。

 一個くらいと今言ったかこの男。


 その一個くらいを我慢するのに、俺がどれだけの努力をしていると思っているのか。その一個くらいを食べるのに、俺がどれだけカロリーを消費したというのか。


 知らないのに気軽に言ってくれる。

 お前もあれか、自分の体型とか気にしないでいい感じのタイプの人間か。


 いいよな、幾ら食べても体型の変わらない奴はさ。

 こっちは必死でいろいろと、カロリー計算やらなにやらしてるってのにさ。


 〇ねばいいのに。


「絶対にやらん!!」


 ちょっとキレ気味にそう言って、俺は銀紙に包まれたおからクッキーをガッチリとホールドした。

 すると、うへぇ、と、心底うんざりした表情に同僚の顔が染まった。


 その顔をしたいのはこっちの方だよ。

 なんだよその顔は、馬鹿にしてくれちゃってさ。


「お前、そんな独占欲強かったっけ」


「は?」


「いや、幾ら彼女が作ったクッキーだからって、人に食わせたくないとか。気持ちは分からないでもないけどさ」


 ちょっとその反応はひくわ、と、同僚が半歩下がって言った。


 あぁ、うん。

 なるほどそうね。

 そういう解釈も話の流れ的にできないこともないかもしれないね。


 うん。


「いや違う、決してこれは、そういうつもりで言った訳じゃ」


「いいんだ、桜。お前が彼女とラブラブだってのは、もう痛いくらい分かったから」


「ちが」


「のじゃー、お弁当の回収に来たのじゃー。桜よー、ちゃんとお仕事がんばっとるのじゃー?」


「ほら、お前の彼女がちょうど来たぜ。一緒に、クッキー休憩でも行って来いよ」


「だからぁ!! そういうんじゃねーっての!!」


 なにがクッキー休憩だっての。

 本当にもうこいつは、余計なことしかしてくれないんだから。


 静かな殺意を覚えつつも、既に周りがそういう目でこちらを見ていた。

 クッキー休憩の期待の視線をこちらに向ける、チームメンバー、上司、そして総務の皆さん。おからクッキーをこの時間に食べてる、他所の島の女主任さん。

 おのれお前ら――。


「今日からお前はクッキー桜だな」


「やめろぉ!!」


 ほんと勘弁して。

 俺は逃げるように休憩室へと移動したのだった。


「のじゃ? 桜よ、どうしたのじゃ? ポンポン痛いのかえ?」


 そして、心配した加代が俺に合流することで、図らずとも皆の期待通りにクッキー休憩に俺は突入することになったのだった。


 あぁ、そうさ、俺は今日からクッキー桜じゃ。

 なんか文句あるけぇ、おう。

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