第272話 暖房と冷房の狭間で九尾なのじゃ

 三寒四温という奴は本当に厄介である。


 寝ている間に寒くなり、寝ている間に暑くなる。

 こいつのおかげで、この時期はもっぱらと俺は体調不良だ。


 朝方からトイレに駆け込むこと毎日のごとしという奴である。

 あぁ、特に暑かったのが急に寒くなるのが堪えられない。

 地味にジャブのように体に効いてくる。


「寄せる歳には敵わんという奴かなぁ」


「のじゃぁ。三十歳そこそこで何を言うておるのじゃ」


「三千歳そこそこの加代おばあ様は元気ですのう」


 誰がおばあ様なのじゃ、と、トイレから出るやそうそうオキツネ固めを喰らう俺。

 ギブギブギブと、床をソフトリィ――下の部屋の人の迷惑にならんよう――に叩くと、俺は加代の尻尾から逃れた。


 朝っぱから毛まみれは勘弁してくれ。

 ただでさえお前、冬毛からの生え変わりの時期で、部屋の中を毛が乱舞しているというのに。これ以上増やしてくれるな。コロコロが追い付かねえっての。


 とはいえ。

 その尻尾、羨ましくないかと言われれば、この時期には素直に羨ましい。


「お前はいいよな、寒くなったら尻尾を出し、暑くなったら尻尾を引っ込めればいいんだからさ」


「のじゃ。本格的に変なことを言い出したのじゃ」


 人間はな、寝ながらの体温調整が難しいんだよ。

 毛布を蹴飛ばして、暑くなったら脱ぐのは出来る。

 けどな、寒くなったから着るのには一度起きなくちゃいけないんだ。


 そして、ブラック企業じゃなくとも、そこそこ忙しい仕事にいたりすると、八時間勤務でも疲れ果ててしまって、泥のように眠ってしまうものなのだ。

 一度起き出すのにも力が居る。


 なので、体温調節に便利な加代さんの尻尾のことを、なんやかんやといいつつ、俺は羨ましく思っていた。


 なれるものなら、俺もお狐になりたい。

 九本、尻尾がついているお狐に。


「どうせなるなら、ついでにおっぱいもついているお狐になりたい……」


「なんでいきなりそこで胸の話になるのじゃ」


「いいだろお前。とにかく、お前ごときにその尻尾は勿体ないんだよ。宝の持ち腐れなんだよ。一本くらい分けてくれたっていいじゃないかよ」


 のじゃぁ、と、黙り込む加代。

 いかん。少しキツく言いすぎただろうか。


 冗談だよ冗談。

 そう言って、誤魔化そうとした矢先のできごとであった。


「のじゃぁ。仕方ないのう。それでは一本だけじゃぞ?」


「ふぁっ!?」


 ぐっぽん。


 まるですっぽんで水詰まりを解消したような音が鳴った。

 かと思えば加代の手の中には一本の尻尾が。

 ぴちぴちと、まるで、水揚げされたばかりの鮮魚のように、はためくそれは――まさしく尻尾。どう見ても尻尾。誰が見ても尻尾である。


 なにそれ、どういうこと。

 え、着脱自在なものなの尻尾って。


 と、そんなことを考える俺をよそに。

 冬毛をまき散らす尻尾を手に持ち、じりり、と、こちらに向かって加代さんが近づいてくる。


「一本だけって。いや、確かに尻尾が欲しいって俺は言ったけれども」


「遠慮しなくていいのじゃ。なに、そちとわらわの仲ではないか」


「親しき仲にも礼儀ありって言葉があって……というか、それ、どうやってつけるんだよ!?」


「どうやってって。そんなのお尻に――自主規制――」


「いっ、いやぁあああっ!!!!」


 叫んで、加代に背中を向けると、屁やから逃げ出そうとした俺。

 しかしながら時すでに遅し。


 のじゃぁ、という、いつになく邪悪な声。

 振り返ると、加代さんはがっちりと俺の手をホールドしていた。


「桜よぉ、これでお主も今日から、わらわの仲間じゃのう」


「なりとうない!! オキツネなんかになりとうない!! いやぁああああ!!」


◇ ◇ ◇ ◇


 ――チュンチュン。


「……うん。そうだね、夢オチだね。分かってたさ」


「……のじゃぁ。朝から煩いのじゃ、桜よぉ」


 ぺしぺしと、俺の腹の上で尻尾をはたく加代ちゃんさん。


 ふむ、なるほど。


 こんなものが腹の上にあるからあんな夢を見たのだろうかね。

 勘弁してくれと、力任せに払いのけたいところではあったが――。


「……こいつなりに俺の体調を気遣ってくれたんだよな」


 と思えば、そう無下にもできない。


 時計を確認して、まだ、出社時刻までに時間があることを確認する。

 それから、俺はまた布団と狐の尻尾をかぶると、二度寝を決め込むことにした。


 あぁ、ほんと、ほどよくあったかくていいな、この尻尾。

 一本くらい欲しい――。


 いやいや、それはな、流石にな。

 尻に刺されるのは、勘弁して欲しいなりぃ。

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