第269話 図書館ではお静かにで九尾なのじゃ
読書したみの波。
そういうものが俺には一年に四回くらいの頻度でやってくる。
だいたい季節の変わり目だったりするのだが――まぁ、その時期に、俺は思い出したように図書館に顔を出すのだ。
普段は別に小説とか読まない。
もっぱら、電子書籍リーダーの中身も漫画ばかりである。
また、時たま話題になっているWEB小説をスマホで読んだりとか。
読書遍歴については語れるものもなくその程度だ。
好きな作家も特にいない。
村上春樹とか、村上龍とか、乙一とか、西尾維新とか。
その程度しか知らない底の浅い人間である。
そもそも論として日本語の文章の優劣が分からないのだ。
国語の成績は、それはもう中学生時代は酷いモノだった。
高校に入っても振るわず、結局、消去法的な考え方でプログラマーの道に進んだ。
まぁ、その時点で、小説を語るのはどうかと思ってくれ。
ただ、逆にそれだけ未知の分野だと、何を読んでもだいたい面白かったりする。
なので図書館では、目に付いた書籍を、ひょいと手に取り借りて行く。
そんな風に利用していた。
のだが。
「のじゃのじゃ、忙し、忙しなのじゃ」
「はい、出ましたよ。俺の行くところに加代さんありってね」
そんなちょっとした非日常の中に、容赦なく流れ込んでくる非日常の日常。
本を抱えてあたふたと、書棚の間を行き来する加代。
その姿を見つけて、俺は目を手で覆った。
そうか。
司書もやれるのかこの駄女狐さんは。
どうしてそんなニッチな資格を持っているのに、ここまで仕事で苦労することになるのだろうかね。
俺には分からんよ。
そして、狐司書とかやり出したら、流石にこの作者のアイデンティティがクライシスの危機なんじゃないのか。
いや、知らんけど。
溜息を吐き出すと、狐耳がそれを耳ざとく聞き取った。
のじゃ、と、呟いて彼女は立ち止まると、本を抱えたまま俺の方を向く。
「なんじゃ桜よ、お主来ておったのか」
「そりゃこっちのセリフだ。お前、司書の免許持ってたのかよ」
「のじゃ? 持ってないのじゃ?」
「……え? 不法就労?」
違うのじゃ、と、本を抱えながら前のめりになって叫ぶ加代。
思わず、バランスを崩して本を落としそうになるところを、寸前で俺が止めた。
やれやれまったく、世話の焼ける駄女狐だ。
しかし、司書免許もないのにどうして図書館で働いているのか。
謎だなこの狐は。いや狐でなくても謎だけれど。
「のじゃ。最近は、図書館の運営を民間会社に委託しているところが多いのじゃ。常勤の職員さん以外は、民間会社の派遣社員さん――つまり普通のパートさんだったりするのじゃ」
「そうなのじゃ、知らなかったのじゃ。あぁ、びっくりした」
「にょほほほ。まぁ、資格試験くらい、取ろうと思えば取れるがのう」
うぅん、謝れ。
それは全国の司書さんにちょっと失礼だぞ。
どうせ取った所で有効活用できないのに、偉そうに。
まぁそりゃさておき。
そういうことならあいわかった。
加代が図書館でお仕事している理由に納得すると、俺は早速彼女に背中を向けた。
のじゃ、と、加代が声を上げる。
「なんじゃ桜よ。せっかく珍しくこうして出会ったのに、そんなそっけない態度とらなくてもいいのじゃ」
「いやそんな珍しい話でもないよね。最近は同居してるからそういう感じも薄まったけど。だいたい俺が行くところに、決まって顔出す宿命背負ってる狐だよねお前」
「まぁのう、運命の赤い糸で結ばれておるからのう……なんてのう、ふふふふっ」
「HAHAHA、天丼ショートショートって言われた方が、幾らか気分がマシだよ」
とにかく、図書館に来てまで狐と乳繰り合うつもりはこちらにはない。
失礼するぜと、彼女に背中を向けると、俺は書棚に視線を戻した。
……ふぅむ。
「やっぱ歴史小説かな。近代物で面白い作家とかあればいいんだが」
「のじゃ、それなら、紫式部とかがおすすめなのじゃ」
「それ最近じゃないよね? 割と古典に入る部類の作家だよね?」
「三千年で考えると、割と最近なのじゃ?」
「ちげぇよ、存命の作家で面白いのないかなって話だよ」
背中を向けたのに、なぜか引っ付いてくる加代さん。
お前はあれか、俺に憑りついているのかと、本気で鬱陶しい気分になった。
睨み返すと、うえ、と、その顔が崩れる。
「加代さん。読む本くらい自分で探させてくれよ」
「のじゃぁ。けど、外れ引いて、はいクソノベルーって、フローリングに本たたきつけるよりはマシなのじゃ?」
一理ある。
いやけど、流石に借りた本でそれはやらんよ。
買った本ならいざ知らずね。
「のじゃのじゃ。詳しくないなら詳しくないと素直に認めて、図書館の職員さんに、おすすめを聞いてみるのがいいのじゃ?」
「ほぉん。じゃぁ、おすすめ何かあるのかよ、図書館の職員さん?」
のじゃぁ、そうじゃのう、と、言って加代が天井を仰ぎ見る。
うぅん、うぅん、と、唸りながら、ゆっくりと方向転換をした彼女。
まるで自然な流れで、加代は俺の前から立ち去ろうとした。
おい、待て、こら。
自分で相談しろと言っておいて、それはないんじゃないのか。
「勧められる本がないなら、最初から声かけるなよ、このアホ狐!!」
「のじゃ!! そんな言い草ないのじゃ!! これはその、戦略的撤退と言う名の、先輩にちょっと知恵を借りに行くという、高等テクニッキュで!!」
「ほらやっぱ知らないんじゃないか!! お前ほんといい加減にしろよ!!」
と、がなる俺の唇に、のじゃ、と、加代が人差し指を突き付けた。
なんだ。
と、思わず声を潜めて、ゆっくり辺りを見渡してみると――。
なるほど。
こちらを見る、多くの図書館利用者の視線がそこにはあった。
「図書館では、お静かに、なのじゃ」
「……お前からふっかけて来ておいて、それはないんじゃないの」
しかし、これ以上怒っても、厄介なことにしかならないのは明白。
俺は諦めると、加代を解放して再び書棚の前へと戻ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「のじゃ。それで、結局何を借りて来たのじゃ?」
「狐の嫁さんと仲良く暮らす小説」
これで少しくらいは、俺の日常が平穏になってくれればいいのだが。
はてさて、
どこまで現実世界にそれが活かせるものか。
「まず、ヒロインが淑やかで、主人に対して献身的に尽くすっていう時点で大きな差を感じるよね。ヒロイン力の差というか」
「のじゃぁ。
「もうちょっと
「けっこうこれでも加代さん尽くす方なのじゃ」
どうだか。
言ってるだけじゃないの、自分で。
そんなことを思いながら、俺はシリーズものの狐嫁小説を読み進める。
はぁ。
うちの駄女狐も、この嫁さんくらい、甲斐甲斐しかったならなぁ。
あと、おっぱいがあったらなぁ。
「はぁ、おっぱいおっぱい」
「のじゃ!! 桜よ、それ、健全な奴なのじゃ!? ちゃんとした小説なのじゃ!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます