第257話 ぶらり温泉旅行で九尾なのじゃ

 温泉。

 そう、温泉に来ていた。


 デスクワークと言っても体は凝る。

 というか、デスクワークだから体が凝る。

 一日中、デスクに向かってパソコン叩いてれば、それは、腰やら、肩やら、首やらと、色んな所が痛くなるものだ。


 それで、なんとかリフレッシュできないものかな、なんてことを考えて居たら――例の以前の職場からの同僚が、一緒に温泉でもどうだと誘ってきたのだ。


「いやぁ、彼女と日帰りで温泉旅行の予約取ってたんだけどさ、喧嘩して別れちゃってさぁ。キャンセルすんのもなんだし、よかったらどうよ」


「マジか。ちなみにどこの温泉?」


「南紀白浜」


 いいねぇ。


 太平洋を望みながら、ゆったりと温泉に浸る。

 最高じゃないか。


 砂風呂もあるぜの一言が決定打となり、俺は彼の誘いにあっさりと乗った。


 さて、問題は同居人の加代さんである。

 彼女になんと言って今回のことを伝えるか。それだけが問題だった。


 一人だけ温泉旅行になんて言ったと知れたら、どんな呪いをかけられるか分かったものではない。

 稲荷寿司の酢飯の中にワサビを練り込まれては困る。

 ただでさえ、毎日おいなりさんという、拷問みたいな日々なのに。


「……会社の仕事で、土曜日ちょっと出ることになったわ」


「のじゃ? 珍しいのじゃ、ホワイト企業なのに?」


「まぁ、そういう時もあらぁな」


 という感じで、俺は同居狐に、仕事と偽って南紀白浜旅行に出かけることになったのであった。


◇ ◇ ◇ ◇


 で。


「案の定、こうなる訳か」


「のじゃのじゃ。お待たせいたしました、当旅館自慢の、新鮮油揚げフルコースでございます」


 蟹、鰤、刺身、なんか他にもいろいろ。

 豪華な南紀の海の幸がずらりと並ぶ同僚の膳。


 しかし、俺の膳には、油揚げの炊き込みご飯、油揚げのお味噌汁、油揚げの炒め物、油揚げのおひたし、油揚げの素焼きと、まったく南紀の幸を感じさせないものばかりが並んでいた。


 それもそのはず。

 膳を運んできたのが、他ならない、俺の同居人――加代だったからだ。


「のじゃのじゃ。わらわに黙って、一人だけ温泉旅行とは、実にいい御身分なのじゃ」


「いや、だってお前、仕方ないじゃん」


「仕方ないィ?」


 こんもりと、具が油揚げオンリーの炊き込みご飯を、茶碗に盛りつけながら、顔をこれでもかとしかめる加代さん。


 あかん、これは、相当に怒っておられるご様子。

 何を言っても許して貰えない、そういう気配だ。


 助けて、と、同僚に視線を向けるも、彼は我関せずという感じに、南紀の海が育んだ幸に舌鼓を打っている。ちくしょう、誘ったのはお前なんだから、少しくらいフォローしてくれたって罰は当たらないだろうがよ。


 どしり、と、目の前に山盛りの油揚げごはんが叩きつけられるように置かれる。

 それで俺は再び加代に視線を戻した。


「――おかわりはたっぷりあるのじゃ。せいぜい、お腹いっぱい食べて、日々の疲れを癒すといいのじゃ」


「いや、加代さん、そのね」


「まぁのう、たまには温泉でも入って、ゆっくり羽くらい伸ばしたいであろうのう。同居人に嘘までついて、そうするのはどうかと思うがのう」


 ぐさりぐさりと胸を抉ってくる。


 いや、そりゃ、俺だって悪いと思ってるよ。

 思ったから嘘ついて出て来たんじゃないかよ。

 そういう俺の気づかいとかも、少しくらいは分かってくれても良いんじゃないのか。なのにこの言い草。冷血漢――いや冷血狐もいいところだ。


「だってお前、言ったら絶対羨ましがるだろう」


「その発想からしてちょっとカチンと来るのじゃ。そのような了見の狭い女じゃと思われていたとは、ちょっとショックなのじゃ」


「いや、まぁ、けど、実際こうして来てる訳じゃん」


 だまらっしゃい、と、ぶすり茶碗に箸を突き刺す加代さん。

 おぉ、怖い怖い。


 無言で睨みつける彼女に、もはや俺は何も言葉を返すことができないのであった。


「大変そうだなァ、桜ァ」


「……だったらお前からもフォローしてくれよ。いろいろ事情があったんだって」


「これ!! 視線と話を逸らすでない!! まだ大事な話の途中なのじゃ!!」


 旅はわざわざ疲れに行くもの。

 なんてよく言いますが、やれやれこんなことなら、家でのんびりしとくんだった。


 どっちにしろ、この駄女狐にまとわりつかれるのは変わらないけど。


 はぁ……。

 せめて、温泉くらいは静かに入りたい……。


「……ちなみに、彼女といちゃこらしようと思って、家族風呂も一緒に予約してたんだけど、なんだったら桜と同居人さんで入ってくか?」


「「のじゃぁっ!?」」


 思わず加代と声が重なった。

 だから、お前は、もうちょっとマシなフォローをしてくれよ。


 いや、けど、家族風呂か。

 同居人水入らずで、海を眺めながらゆったりと、加代と肩を寄せ合って――って、いかんいかん、何を考えとるのだ、俺は。


「べ、別に桜が構わんのなら、わらわは構わんぞえ」


「いや、構えよ、お前、仕事中だろ」


「のじゃぁ!! けど、暫く一緒に入っていないし、こんな機会またと!!」


「あーっ、あっ、あーっ!! 加代さん、ちょっと、ちょっとそういうプライベートなのは!!」


「……まぁ、俺も言ったし、お相子じゃねぇ」


 悪戯っぽく笑ってこちらを見る同僚。


 ちくしょう、今日は厄日か。


 日常から離れて羽伸ばしに来たというのに。

 同居人はやってくるし。

 思いがけず痴態を晒すし。


 散々だよ。トホホ。


「で、入るの、入らないの?」


「入らねーよ!!」


 入るとしても、今度日を改めて来るよ馬鹿野郎。

 いや、そういう話じゃないよ。

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