第240話 自主勉強で九尾なのじゃ
IT技術は日進月歩。
昨日使えた知識が、今日使えるとは分からない。
プロジェクトが変わってしまえば、求められる能力はまったく違ってくるのだ。
それはまぁ、前の会社で嫌というほど味わって来た訳だが。
今回の会社においては基本的に当てはまらない。
大きなパッケージソフトのマイグレーションが主となるので、そのソフトの仕様について把握しておけば、おおよそ問題はなかった。
だが。
「サーバサイドの置き換えですか?」
「そうそう。PHP+MySQLで組んでるんだけど、客先から要望があってね。Pythonで組みなおして欲しいって言われてんのよ。特にライブラリとか使ってない、単純な処理のものだから、それほど難しい案件じゃないと思うんだけど」
「Pythonかぶれとか、Google信仰もたいがいにして欲しいですよね」
「桜くん。お金いただいてるんだから、そういうこと言わない」
やるのやらないの、と、係長が目で問いかけてきた。
もちろん、サラリーマンに選択権はない。
そして、業務的な難易度はそれほどでもないけれど、一人で既存のサーバサイドの処理を置き換えられるほど、単純な仕事でもない。
この仕事を受けるということはすなわち――チームリーダーをやれ、と、言われているのだと俺は判断した。
まぁ、この会社にも勤めてそろそろ三カ月になる。
そろそろプログラムの技術以外にも、できることがあるんじゃないかと、俺を上司連中も試してみたいのだろう。
別に昇進する気はない。
だが、別段難しそうにも感じない仕事を、断るつもりも毛頭ない。
「いいですよ。ただ、Pythonはかれこれ数年触ってないんで、勉強しながらになりますけどよろしいですか?」
「あぁ、うん、構わないよ。工数もそれなりに盛っておくから。あと、人員は?」
「いろいろと融通の利く同期の奴をサブリーダーにつけてくれるならあとは誰でも。あいつ、なんだかんだで顔広いんで」
まだ入社して日の浅い俺だ。
歳こそ下だが、勤続年数が俺より長い奴なぞごろごろいる。
そういう奴らをまとめるだけの自信がないと言ったつもりだった。
その点、同期のあいつはなんだかんだで、うまく今の会社に馴染んでいる。
うまく緩衝材になってくれれば、すんなり事はすすむだろう。
ただまぁリーダーやるにはそそっかしくって未だにプログラマー扱いだけれども。
そういう意味でも、彼が立身出世するチャンスだ。
就職先をあっせんしてくれた借りを返すには、いい機会だろう。
うん、悪くないんじゃないかなと、係長は俺の言葉に首を縦に振った。
とまぁ、そんな感じで、話はとんとん拍子にまとまった。
◇ ◇ ◇ ◇
「のじゃ!? 桜が真面目に本を読んでおるのじゃ!!」
「んだよ……。こちとら集中してんだから、あんま邪魔すんなよ駄女狐」
まるで物珍しいモノでも見るように、加代がこちらに視線を向ける。
帰り際に駅前書店で買ってきた、Pythonの参考資料を読み込みながら、俺はふぅんと息を吐き出した。
まぁ、だいたいいけそうな感じだな、これなら。
工数的にも問題なさそうだし。楽勝だろう。
PHPの方は、ここ数カ月であらかた把握してるし――。
なんてお仕事モードで考えているところに、加代が四つん這いで近寄ってくる。
「のじゃぁ。お主にも社会人として、最低限の職人意識があったのじゃのう」
「まるで人が惰性で仕事してるみたいに言うな。お前とは違うんだよ、お前とは」
「のじゃ!!
「……どうだか」
それができてりゃ、こんな簡単に仕事をクビにならんだろう。
そう言ってやろうかと思ったが、本棚には確かにいろいろな本が並んでいる。
一応、勉強はしているみたいだ。
頭と体にはしみついていないだけみたいで。
やれやれ、そうなってしまうのは、やはり根っこが九尾――人間じゃないからだろうかね。可哀想な話もあったものだよ。
「のじゃぁ。お仕事もいいがのう、桜よ。せっかくのアフターファイブを、勉強で潰すのは人生損してるのじゃ」
「……何が言いたいんだよ」
じっとこっちを見つめる加代。
じっと、じーっと、彼女は俺を見つめてくる。
はっきり言わないなら分からない、と、視線をそらしてみたけれど。
彼女はそれをやめようとはしなかった。
――やれやれまったく。
「構って欲しいならそういえよオキツネ様」
「のじゃぁ。そういう女心の勉強もちゃんとするのじゃぞ、桜よ」
ペット心の間違いではないのか。
はぁと、溜息を吐き出して本を脇に置くと、俺は手を広げる。
ぽんと九つの尾を展開した駄女狐は、そこに向かってごろりと転がり込んできたのだった。
まぁ、彼女の言う通りだ。
自主勉強もほどほどにしないとな。
なんのために、今の仕事が楽な会社に転職したのか分かったもんじゃないっての。
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