第227話 大切な人は誰――で、九尾なのじゃ

 廃工場の入り口に立っていたのは、こんな時でもスーツ姿でびっちりと決めたビジネスマン。


 そこに加えて、いつもだったら、感情を少しも感じさせない鉄面皮だ。


 だが、それは、今日に限ってぼろぼろに崩れていた。


「楓!!」


 男はもう一度叫んだ。


 八尾明美の源氏名を。


 おそらくそれしか知らされていなかったのだろう。

 そういう割り切った関係――少なくとも八尾からは――だったのだろう。


 あるいは、利用するのを覚悟したからこそ、あえて彼女は彼に本当の名前を教えなかったのかもしれない。

 これについて、簡単に他人が結論を出すことはできない。


 ただ、加代が話した説教に合わせて登場するには、おあつらえ向きな男であることは間違いなかった。


 仕事もアフターも、ばっちりこなすのができる男って奴か。

 ほとほと、この男のスペックの高さには驚かされるよ。


「……白戸さん」


 八尾明美はそいつの名前を呼んだ。

 それに応えるように、白戸はこちらに向かって駆け込んできた。


 加代が八尾からゆっくりと離れる。

 入れ替わりに彼女の前に立った白戸はぼろりぼろりと涙を流した。


 そしていつものドレスコードとは違う、黒ずくめの彼女の体を力強く抱きしめたのだった。


「馬鹿!! なんてことをしでかすんだ!! どうして、僕にいろいろと相談してくれなかったんだ!!」


「……だって、白戸さんはお客さまで、私はただのキャストよ?」


「そうかもしれないけれども……けど!!」


 白戸らしい、不器用な口ぶりだった。

 そして、八尾明美らしい、冷徹で現実的な台詞だった。


 彼女が言った通りだ。

 二人はただの、馴染みの客とキャストという、それだけの関係でしかない。


 とりあえず、現時点では、だが。

 あとは、白戸の奴が男としてどこまで踏ん切りをつけれるかだろう。


 やれやれ。

 世話の焼ける元上司だ。


「白戸よぉ!! 男だったら、はっきりと言うべきなんじゃないのかよぉ!!」


 加代がおせっかいをやいたように、俺もおせっかいをやくことにした。

 こういうのは俺の性分ではないのだけれど。


 だが。

 八尾明美を救うためには仕方ない。


 そして、元上司の白戸の願いを叶えるためにも仕方ない。


 この不器用な白戸という男が、ここまで取り乱しているという事実がある。

 彼に名前を呼ばれて、抱きしめられて嫌がらない八尾明美という事実もある。


 彼らのうわべっつらの関係なぞ、どうでもいいではないか。

 もはや、その奥にある心を、言葉を並べて推測する必要はないだろう。


 俺の言葉にようやく踏ん切りがついたのか。

 白戸は、八尾を抱いたまま立ち上がると、彼女の肩からその白い手へと、自分の手を移動させたのだった。


「楓。君が僕のことを、客と思っているならそれでもいい。都合のいい男だと思って近づいたのならそれでも構わない」


「……白戸さん」


「けれども。僕はもう、君なしでは生きていけないんだ」


 そう言うと、彼は人目もはばからずに、彼女の唇を奪った。

 驚いて目を見開いた八尾明美――いや、タマモクラブの楓だったが、すぐに彼女もまた、彼のその行為を受け入れた。


 廃工場の中で繰り広げるにしては、いささかムードにかける光景。

 だが、一人の人間の心を救うには、これくらいのことをする必要があるのだろう。


 事実は小説より奇なりである。


 だったら、これくらいのロマンティックさとエキセントリックさは、おとなしく目を瞑ろう。

 それが粋ってもんであろう。


「やれやれ、どうやら一件落着したみたいだね」


「……あれ、三国社長!?」


 いつの間に現れただろうか。

 親友にして頼れる部下――白戸の情熱的なキスシーンを、僕たちに交じって三国社長が眺めていた。


 相変わらず神出鬼没というか、捉えどころのない人だ。


 彼はふっと、彼の父の方に目を向ける。


「心配させないでくれよ、父さん」


「……えっ」


「心配させないでくれ、って、言ったんだよ」


「……あぁ、すまん」


 ちっとも心配している素振りが見えない、そんな固い表情だった。

 だが、本当に心配していなかったから、こんな場所には来ないだろう。


 一人だけ白戸を向かわせて、自分は仕事をしているはずだ。

 家族の大事と聞いて飛んできたのには違いない。


 なんというか、捉えどころがなくて不思議な人だと思っていたが、不器用なだけなんだな、この人。


 まぁそれはそうか。


 この会長にして、この副社長である。


 こんな不器用な男たちの背中を見てきて育った人間だ。


 そんな彼が、曲がりなりにも器用に生きれるはずもない。

 なにせ高級クラブのママと夜通しスマ○ラして遊ぶような奴なんだぞ。


 今さらながら、なんだかそれは俺の腹に落ちたように感じられた。


「で、父さん。ものは相談なんだけれどもさ」


「なんだ十助?」


「私の友人の大切な人なんだ。宮野部長のことも含めて、今回のことは水に流してやってくれないかな」


 頼むよ、と、言う声色もどこか軽薄だ。

 緊張感がない。


 だがまぁ、それもそれで彼らしかった。


 はたして今回の被害者であり、一連の話の発起人である三国九之助が俺の方を見てきた。どうして、俺に顔を向けたのかはわからない。

 だからまぁ、そんな顔を向けられても困る。


 好きにしたらいいんじゃないでしょうかね、と、肩を竦めると、彼はどこか頼りなげに苦笑いを返してきたのだった。


 やれやれ。


 会長なんだからビシッと決めてくれよ。

 そんなだから、こういう事件に巻き込まれるし、周りに疑心暗鬼になるんだ。


「ほれ、行くぞ加代」


「のじゃ? どういうことなのじゃ桜?」


「もう俺らはこの場には不要だ。任務完了ミッションコンプリートという奴だよ」


 世話焼き九尾と一緒に、ナガト建設の連中に背中を向ける。

 会長が八尾に対してどういう判断を下したのかは、後ろから聞こえてくる、白戸の感情的な声で察することができた。


「……ありがとうございます!!」


 よかったな、白戸よ。


 そして、八尾明美よ。


「しかし、尻尾が一つ多い狐は、言うことが違うね。共に支えあう人がいれば、その苦しみを分かち合える、か」


「のじゃのじゃ、伊達に人さまより長く生きておらんのじゃ」


 とはいえ、と、前置く加代。

 隣を歩く彼女は、とん、と、歩きながら俺の肩へとその頭を預けてきた。


「それを実感したのは、どこぞの誰かが一緒に居てくれたからじゃがのう」


「……はぁ、憑りつかれる身にもなってくれよ」


 まぁ、かく言う俺も、お前の言ったセリフが間違ったもんだとは思っていないよ。


 そうだよな。人生なんて、誰かと支えあって歩んでいかなきゃつまらないよな。


 こんな風にさ。

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