第221話 すべてが繋がってで九尾なのじゃ
早朝。
出社するなり、エントランスで副社長に声をかけられた。
「今日は仕事はいい。付き合え」
「――はい?」
いきなりそう言った彼は、さっき入って来た玄関口を戻ると、停車していた黒塗りのリムジンへと俺を連れ込んだ。
入るなり、腕を組んでの仏頂面である。
それは先日、俺を飯に誘った時の好々爺のかおでもなければ、孫娘を紹介した時の顔でもなかった。
俺、何かしただろうか。
いやしたな。
確かに、彼のお孫さんの告白を振るという、大きなことをしたばかりだったわ。
いやいや、二人とも大人な感じに納得して別れたはずじゃないか。それが、どうして、こんな仏頂面を向けられて、睨みつけられなくちゃならない。
まさか、副社長――本気で俺に葵ちゃんと結婚して欲しかったのか。
それで怒っているの。
ありがたいけれど迷惑だよ。
っていうか、同居人がいるって、最初に説明したよね。
重苦しい空気の中、窓の外の景色だけが流れて行く。
目を閉じて腕を組んでいた副社長は、もういいだろうか、という感じのため息を吐き出すと、おもむろに言葉を紡ぎ始めた。
「久しぶりに連絡を取ってみたらな、結構大変なことになっていた」
「――はぁ? なんのことでしょうか?」
「お前が望んでいた、アケボノ会館の店主さんだよ」
どういうことだろうか。
要領のつかめないという表情をした俺に、副社長は丁寧に事の次第を話した。
昨日、所用で会社に戻り、問題を解決した副社長。
俺との電話の後、さっそく、アケボノ会館の店主に連絡を取ろうとしてみた所、思わぬ事実をその奥さんから聞かされたのだという。
末期がんで、現在市外の山裾にあるホスピスに入院中。
すでに投薬治療は行っておらず、死を待つ状態なのだろう。
「あぁいう商売だからな、肺が悪い、喉が悪い、歳がいってからは何度か手術をされてられたみたいだ。それで、会長から最後のあいさつに行って来いと言われてな」
「そうだったんですか」
「お前もちょうど会いたかったんだろう。連れて行ってやろうと思ってな」
まぁ、会いたいと思っていたことについては否定はしない。
しかし、そんな重篤患者だとは思っていなかった。
それだけに連れていかれるのは正直不安でもある。
はたしてそんな老人を相手に、いったい何を聞き出せばいいのか。
というか、彼はそもそも、話せる状態にあるのだろうか。
「……そういえば、跡地を見て来ました」
「おう、アパートになってただろ」
「名前から持ち主はやっぱり?」
「いや、昔は店主さんだったが、病気がちになってから息子さんに譲ってる。といっても、息子さんは銀行勤めが忙しいらしく、ろくに管理できてないみたいだがな」
あの荒れ模様はそのためか。
なんにしても、あの様子じゃそう遠くないうちに取り壊すことになるだろうな。
ふと、その時、副社長の顔が妙に辛気臭く歪んだのが目についた。
どうしたのだろうか。
何か気に入らないところでもあるのだろうか。
そもそもとして、病人の見舞いに行くというのに、そんな顔をすることはないように思うのだが。
そんな俺の視線に気がついたのか。
ふぅ、と、副社長はため息を吐くと俺から目線を窓へと向けた。
「辛気臭い面を見せちまってすまない」
「あぁ、いえ」
「八尾の奴も、一緒に居たらなと思うと、ちょっとしんみりとしてな」
「八尾?」
出て来たそのホットな単語に思わず僕は食いついてしまった。
きっと、視線を向けられていたら、そんな反応に驚かれたことだろう。
しかし、彼が下を向いていてくれたおかげで、その辺りは助かった。
八尾。
それは昨日、アケボノ会館から出て来た、楓の部屋の前に張られていたネームプレートと同じ名前だ。一応、漢字が同じかと確認すると、どうしてそんなことを聞くのかと訝しがったが、その通りだと副社長は答えた。
「いったいどういう人物なんです?」
「――会社の創業メンバーさ」
「創業メンバー?」
「三国さんと俺、八尾の三人で、俺たちは今のナガト建設の前身である、ナガト工務店をはじめた。けどな、三国さんと八尾は、経営方針の違いで対立してよぉ。結果として、八尾はナガト工務店が建設になる頃に、辞表を出して会社を去った」
頭の中で、色々な点が繋がっていく気がした。
どうして襲撃犯は、わざわざ、パチンコなんていう回りくどい方法で会長を襲撃してきたのか。それも踏まえて、なぜ、直接会長に手を下すというような事件が今まで起こらなかったのか。
それは、襲撃犯が、老人男性を相手にするのも非力な、女性だからではないのか。
会長のスケジュールを把握することができていたのかについても、白戸との関係性を考えれば想像がつく。酒の席で、うっかりと、社長が漏らすこともあるだろう。
そして、もう一人。
彼女の影にある、謎の中年男性の存在。
あぁ。
ああぁ。
なんていうことだ。
ちくしょう、こんなサスペンス劇場みたいな展開、あっていいのか俺の人生。
やられてしまったと頭を抱える。
しかし、同時に気になることがある。
俺が社内で失脚したことに、彼女はどうあっても関われる立場にない。
彼女が襲撃犯だとして、会長の意を汲んで事情を嗅ぎまわっていた俺を、どうこうするのは難しい。
社内にそれに同調している人間がいるのではないか――。
その時、ぷるりぷるりと、俺の胸ポケットでスマホが揺れた。
液晶画面にはダブルピースを決めて変顔をした、加代の姿が映っている。
副社長に断りを入れると、俺はすぐさまそれに応答した。
「もしもし!!」
「分かったのじゃ、桜!! 昨日、一緒に居た男が、誰なのか!!」
「本当か!?」
「部長さん――桜の営業部の部長さんなのじゃ!! 宮野とかいう、おっさんに間違いないのじゃ!!」
宮野部長だと。
その時、そんな加代の声を拾ったのか。
それともたまたまか。
副社長がぽろりと昔を懐かしむようにつぶやいた。
「宮野をはじめとして、八尾の下についてた部下は俺が全員引き取った。だが、アイツは、会社から姿を消して行方知れずよ。会社を興した所までは知ってるが、今頃、どこで何やってんだか」
「……副社長、今すぐ会社に戻りましょう」
「なに言ってんだ、お前、そんなことできるわけ」
「会長が危ないかもしれないんです!! 早く!!」
そう叫ぶ俺の耳元。
加代が、その宮野部長が――休日にあったトラブルの謝罪も兼ねて、会長と外で会食したいと話していた、と、そう叫んでいた。
まずい。
こいつは非常にまずいことになったぞ。
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