第216話 お爺さまの見込んだ方なら……九尾なのじゃ!!
【前回のあらすじ】
副社長の陸奥とその孫娘葵との会席の最中。
突然、副社長の携帯電話の呼び出し音が鳴った。
どうやら、本社の方でトラブルが発生したらしい。
責任を取れる人間が居ないということで、すぐさま会社に向かうことを決断した副社長。彼はどうして、孫娘を桜にぽんと預けるとさっさと行ってしまった。
若い男と、若い女が狭い部屋で二人っきり。
なんということ、これは止めねば。
すぐに割って入ろうとする加代ちゃんであったが――残念女将に見つかった。
会社へ急ぐ副社長をお見送りするべく、強制的に連れられて行くお狐娘。
ドナドナドーナドーナー、と九尾が引っ張られていく。
それを背中に感じながら、桜はかつてないほどテンパっていた。
「あの、よければ、これからお庭の方をお散歩しませんか?」
普段ポンコツポンコツと、加代をいじる桜。
しかし、同じくらいに彼も一皮剝いたらポンコツなのであった。
ヘルプミー、加代ちゃん、カムバーック。
「のじゃぁっ!! 桜よ、ダメなのじゃ!! 浮気はゆるさんのじゃー!!」
◇ ◇ ◇ ◇
お見合いを見越して造られているのだろう。
料亭の庭は、歩いても歩いても新しい景色に出会う、見ごたえのあるものだった。
「あっ、見てください桜さん。蓮の花が綺麗に咲いていますよ」
「本当ですねぇ」
「あれが根が蓮根になるなんて、とても想像がつかないですね」
「そうですねぇ」
ちょっと空返事が過ぎるだろうか。
そんなことを思いつつも、そういう返事しかできないのだから仕方ない。
若い女の子を前にして、俺はいつになく緊張していたからだ。
そう、俺、桜、三十歳独身。
今まで彼女もいたことないし、女性の扱い方なんて分からないの。
いや、そりゃ付き合いでそういうお店に行ったことはあるよ。
あるけどさ……。
そういうのと、こういうのは別じゃないのよ。
そして、重要なのは相手だ。
ぴっちぴっちの女学生を前にして、大人の余裕を見せるべきか。
それとも近いノリではしゃぐべきか。
考えてしまうのは仕方ないじゃないのよ。
「桜さん、どうかしました?」
「いえ、なんでも。すみません、ちょっと、仕事の疲れが溜まっていて」
「お爺さまが無茶な仕事をお振りになるのでしょう。まったく、ほんと、ワーカーホリックなんですから。あんな働き方をしていたら、いつか体に障りますよ」
「……そうですね」
ごめんね、葵ちゃん。
不真面目に君の話を聞くことしかできない、ダメな大人で。
心の中で呟きながら、俺はいったん、自分を落ち着けるために深呼吸をした。
はい、吸って、吐いて。
吸って、吐いて。
よーし。
血液に酸素がいきわたって来たのを感じるだろう。
そんなスト○ッチマンみたいなことを考えている。
すると、また、何かを見つけたのか、葵ちゃんが俺の視線の前で駆け出した。
エメラルドグリーンのワンピース。
その裾をまったく無防備に揺らして走る彼女。
蓮の花が浮いている池の水面をのぞき込むと、彼女はふふっと笑った。
何がそんなに面白いんだろうと近づいてみる。
すると、そこには小さなメダカが泳いでいた。
「メダカなんて久しぶりに見たな」
「え、見たことあるんですか?」
「実家の近くに田んぼの用水路があってね。そこで泳いでるのを何度か見たよ。いや、けど、小学校に上がったくらいに、行政指導で用水路を整備してね――それからとんと姿を見なくなったな」
「私は、水族館で見たことがあるくらいです。こんな池にいるものなんですね」
本当に箱入り娘なんだな。
今でこそ、自生するメダカなんてのは希少になった。
だが、こういう池に居るのは、メダカやコイと相場が決まっているじゃないか。
おそらくだけれど。
焼けるような太陽が昇る真昼に、外に出て友達と日が暮れるまで遊びまわったり、そういう経験もないのだろう。かじかむ手でハンドルを握りしめて、寒い街を自転車で走り回ったこともいないのだろう。
どうしてなのだろうか。
あの陸奥副社長の娘さんにしては、おとなし過ぎるように感じた。
それにしたって両親のこともある。
ふと、俺は葵ちゃんのことが気になってしまった。
「葵ちゃ――さん」
「ふふっ、ちゃんでいいですよ」
「いや、けど」
「十歳も年齢が離れてるんですよ。ちゃん付しても誰も文句はいいませんよ」
「じゃぁ、葵ちゃん」
「はい」
池から視線を戻した彼女は、スカートを揺らして立ち上がる。
俺の方を向いた、純白のブラウスが眩しいその少女は、後ろ手を組んで微笑んだ。
なんとも絵になる光景だ。
加代ではきっとこうはいかないだろう。
きっと振り返った瞬間に足をずぼりと池に突っ込み大転倒――。
いや、今は加代のことはいいな。
「葵ちゃんはさ、いま、陸奥副社長と一緒に生活してるの?」
「いいえ。大学の寄宿舎の方で生活しています」
「大学の」
「小中高から一貫です。珍しいですよね、そういう学校って。だから、世間のこととこかあまり知らなくって」
「――どうして?」
少し、葵ちゃんの表情が陰ったのを俺は見逃さなかった。
彼女はそう、少し言いづらそうに顔を歪めて、それからまたなんでもなかったように笑うと、その可愛らしい唇をはじいた。
「私が幼稚園の頃ですね。両親が交通事故で亡くなりました」
「――そんな」
「身寄りはお爺さまだけ。けれど、その頃、会社はとても忙しい時期で、私に関わっている時間もあまりとれなかったんです。それで、小中高大と一貫したお嬢様学校に入学させて――以来、寮生活という訳です」
少し寂し気なその顔を、吹き飛ばすように風が吹いた。
箱入り娘というより、箱に入るしかなかった娘。
と言うべきなのだろうか。
なんとも、返事に困る解答に、俺は失礼にもしばらく固まってしまった。
そんな俺を笑い飛ばして、葵ちゃんが話を続ける。
「まぁ、仕方のない話ですよ。お爺さまは、仕事しか能がない人ですから。いきなり家庭に入って、私を育てろなんて、無茶な話です」
「けど」
「想像できますか? エプロン姿で、私のために朝食を造るお爺様が?」
……できない。
即答するのも失礼だし、そもそも答えるのも失礼な気がした。
だが、そんな陸奥副社長はとてもじゃないが思い描くことはできなかった。
あの人は、建設の仕事しか知らない。
それしかできない男。
そういう感じだ。
逆に引退したら、彼はいったいどうやって残りの人生を過ごして行くのだろうか。
「それでも、小学校に入るまでは、そうして毎日世話してくれていたんですよ」
「え?」
葵ちゃんの口から出た言葉に素直に俺は驚いた。
「なんとか無理を言って、半年だけ休職してくれたんです。それで、全寮制の学校を探してくれて――それからも、休みになるたびに私に会いに来てくれて」
「陸奥副社長らしいな」
「そうなんです。とっても不器用な人なんです、お爺さまは」
けれど、とても誠実な人。
実の祖父に対して思いを馳せるには色っぽい視線だった。
シスコン、ブラコン、いろいろあるが、彼女の場合はグランドファーザーコンプレックスという奴だろうか。
祖父の陸奥副社長を強く思っている。
それだけはよく伝わって来た。
だから、と、葵ちゃんが続ける。
「お爺さまが、私に会わせたい男が居ると聞いたとき、ちょっとびっくりしました」
「なんか、ごめんね、こんなだらしのない男で」
「いいえ。お爺さまが、引き合わせたいと言う訳です。素敵な方です桜さんは――」
いつの間にか、葵ちゃんが距離を詰めていた。
ネクタイにスーツ姿。
ビジネスマン然とした俺に歩み寄ると、彼女は、ネクタイが曲がってますよ、と、自然に俺の胸に手をあてた。
とくりとくりと、彼女の手のひらから鼓動が伝わってくる。
「お爺さまがそこまでおっしゃる人ならば、会ってみてもいいかなと、思ったんです。そして、やっぱり桜さん、貴方は私の思った通りの人のようです」
「……葵さん」
「いつだって仕事に誠実で、仕事が一番で、けれども、家族に対して不器用ながらも愛情を注ぐ。私はそんなお爺さまが好きですし、尊敬しています。そして、そんな人がもし居るのなら――と、ずっと思っておりました」
ネクタイを直した手が、そのまま、俺の胸に押し当てられた。
同時に彼女の体と体重が俺に控えめにかかってくる。
「私のような、世間知らずの箱入り娘は、お嫌いでしょうか、桜さん」
そう言った乙女の声には、色っぽい熱がこもっていた。
うぅん。
早く来て、加代ちゃん。
俺、もう、これ、ダメかもしれない。
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