第209話 でかした、で、九尾なのじゃ

 またしても、臨時役員会議に呼ばれた。


「ゴルフ場で、会長を何者かからの襲撃から救ったそうじゃないか」


「電車の中吊り広告がすごいことになっているぞ」


「大手ゼネコンナガト建設の闇」


「復讐かそれとも内部抗争か、狙われた会長――勘弁してほしいね」


「私など、一日中、週刊誌の記者に追い回されて大変だった」


「彼ら、こちらのプライベートなど構っちゃくれない――。おかげでここ二・三日、寝つきが悪くてかなわん」


「この事件を受けて株価は急落だ。だが、会長の命にはかえられない」


 次々に、好き勝手なことを言う役員たち。

 終始笑顔の社長に、しかめ面の副社長を前に、俺はちょっと面倒くさい気分で、その場に立ち尽くしていた。


 ちくしょう、せっかくただの平社員になったというのに。

 どうしてこんなことになってしまうのだ。


 確かに会長を救ったのは俺だ。

 だが、こんな呼び出してまでどうこう言うようなことだろうか。

 叱責したり、褒めたり、勘弁してくれ。他にあんたら、もっとやることあるだろ。


「社長という立場を抜きにして、感謝するよ桜くん。よく、会長――いや、親父の命を守ってくれた」


「いやまぁ、それなりに距離があったんで、当たってても死ぬまではいかなかったと思いますけれど」


 言い訳がましくそんなことを言う俺。

 褒められているのだ、素直にそこは喜んでおくべきだろうに。


 と、そんな煮え切らない態度が気に入らなかったのか。


「――陸奥さん?」


 社長の隣に座っていた副社長が、いきなり机を叩いて立ち上がった。

 ぬらり、と、背中からよくわからない気迫が昇っているのが見える。


 怒ってる?

 これ、もしかして、副社長、何か怒ってるの?


 褒められこそすれ、怒られるようなことをした覚えはない。

 その威圧感のある副社長の様子に、思わず肩が上がってしまった。

 ゆらりゆらりとそのまま、こちらに向かって歩いてくる白髪の爺さん。


 長年現場を指揮してきたからか、妙な貫禄があるその男は、俺をじろりと下から睨み付けて、しばし黙った。


 役員会議の場を沈黙が支配する。

 おいおい、勘弁してくれよ、と、目の尻がじんわりと熱くなった次の瞬間。


「でかした!!」


 副会長はそう言って、俺の肩を力強く叩いてみせた。


◇ ◇ ◇ ◇


 役員会議の場で、副社長から直々にお褒めの言葉をいただいた。


 これでもう、名実ともに副社長派の人間である。

 やれやれどうして、人情に篤い副社長さまでいらっしゃる。彼は、俺が流そうとしていた涙を代わりに流すと、嗚咽交じりに会長の命を救ったことを感謝した。


 意外である。

 それはいつものしかめ面からは想像できない、人情に溢れた副社長の顔であった。


 そんな意外さに心がほだされたからか。俺はその後、今晩夕食でも一緒にどうだという彼の誘いに、ほいほいとついて行くことになった。


 時刻は夜の22時。

 社員たちの半分くらいが退社したナガト建設のビル前で、俺はスマートフォンを眺めながら、副社長がやってくるのを待っていた。


 と、第二定時の刻を告げる音と共に、中から副社長が姿を現す。

 すかさずスマホをスーツのポケットへとしまい込むと、俺は彼にお辞儀をした。


「すまんな。ずいぶんと遅くなってしまった」


「いやそんな」


「副社長の仕事というのは、いろいろと忙しくてかなわん」


「はぁ。大変ですな」


「うむ。では、行こうか」


 言われて辺りを見回す。


 ふむ。

 普通役員なんてのは、高級リムジンなんかを乗りこなして移動するものだが。

 そういうものは――特に見当たらない。


 はて、これはどういうことか。


「一日一万歩は健康の基本だ。この業界は、肉体こそが資本である。会社の代表たる者として、規範を示さねばなるまい」


「げぇ、ブラック&ストイック!!」


 振り返りもせずそう言った副社長。

 体育会系の会社である。上の言うことは絶対だ。


 夜の街に向かって歩き出した副社長。

 しぶしぶ、俺は続いて歩き出した。


 だいたい、スーツって歩き回るのに適していないんだよな。


「――最近は、仕事も随分覚えてきたみたいじゃないか」


「CADですか? 一応、まぁ、コンピューター関連の仕事はしてたんで。あと、なんだかんだで、前の仕事で図面見たりとかはしてましたから」


「本業でもないのにか?」


「プログラマーなんてね、ようは体のいい雑用係みたいなもんですよ。特に下っ端は、なんでもやらされますから」


「うむ。健全な縦割り会社だ」


「今の皮肉で言ったんですけど」


「なるほど、情報系の会社からやって来たと聞いて、どんな軟弱な奴かと思っていたが、案外骨のある男だ。もし、この業界に最初から入っていたなら、今頃、課長くらいにはなっていたかもしれん」


 そいつはなんともありがたい。

 前職で、主任にもなれなかったひらひらのぺーぺー社員の俺には、過分な御言葉でございます。まだ、そんな実績も出していないというのに、よくここまで気に入られたものだ。


 いや、まぁ、悪い気はしないけれどもなぁ。


「ところで、何処に食べに行くんですか? ここら辺、オフィス街ですけど?」


「なに、いい店を知っている。任せておけ」


 そう言いながらも、大通りから折れると小道へと入っていく副社長。

 ほいほいとついて行って大丈夫なのかねこれ、なんて、不安に思っていると、ふと目の先に赤ちょうちんと、窓から漏れる黄色い光が見えて来た。


 事務所やら、喫茶店やらの間に、こじんまりと立っているそれは――それらとあまり大差のない大衆食堂。


 副社長とのお食事である。

 てっきり、寿司やらステーキやら想像していた俺は、予想外のその昭和テイストぶりに、思わず革靴のまま滑りそうになった。


「うちの創業当初から贔屓にしている店だ。当時から、こんな時間まで店を開けていてくれるのは少なくてな」


「はぁ」


 なるほど、この人も人情派か。

 坂崎次長もそうだったが、やはり副社長派はそういう気骨の人が多いのね。


 どれどれ、と、紅い暖簾をくぐって、副社長に続いて店に入る。


「いらっしゃいませなのじゃぁ!!」


「なんでここにいるフォックス!!」


「今日は新作メニュー、油あげカツ丼がおすすめなのじゃぁ!!」


 今度こそ、俺はその場でずるりと、まるで油あげでも踏んづけたように、ずっこけたのだった。


「のじゃ!! 最近、なんかシリアスパートばっかりで、出番が少ないから、ちょっと強引にでも出て行く所存なのじゃ!!」


「お前なぁ――!!」


 そりゃそれで構わんけれども、一言くらい声かけといてくれてもいいだろ。

 俺ら同居人なんだから。

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