第206話 人事異動で九尾……なのじゃ?
【前回のあらすじ】
敗戦処理の失敗により、第二営業部で一転して窮地に立たされることになった桜。
周りの社員から向けられる厳しい白眼視の中。
それでも、ひょうひょうと不良社員を振る舞う、平成無責任男。
――そこには、彼にも、いや、彼らにも、それなりの狙いがあったからだ。
「今回の一件で、君は僕たちのグループから干されたと、周りの人間には思われているらしい。どうだろう、その立場を利用するというのは」
「利用する?」
「自分が追い込んだ有能な若手社員が、閑職に追いやられて社内で孤立していく。それを見過ごせる人間もいるけれど、見過ごせない人間もいるということさ」
三国社長の提案を受けて、桜はこの逆境を利用することにした。
つまり、副社長派へと接触することを考えていたのだ。
大丈夫、チャンスはきっとやって来る。
そう思っていた矢先――。
「探したよ桜くん!! まったく、またこんなところで!!」
思わぬ人物が彼にその機会を持ってきた。
それは、第二営業部次長。
桜が失脚したおかげで今の地位に留まった男。
妙に人間臭いところのある――坂崎次長であった。
そしてその背後には。
「なるほど、やはり、見どころは少しくらいはありそうな奴だ」
接触を試みていた派閥のトップ、副社長――陸奥宗介の姿があった。
◇ ◇ ◇ ◇
「という訳で、副社長のご厚意により、営業部からこのたび設計部に異動することになった。拾う神あればなんとやらって奴だな」
「のじゃぁ。なんかえらいことになったという感じなのじゃ。くんくん」
「まぁ狙い通りだ」
「のじゃ!? 狙い通りとな!? くんくん」
「これで俺はとうとう、社長にも副社長にも顔の利く立場になれた訳だ。しかも、副社長はこれからとして、社長のほうは俺のことを気に入ってくれているらしい」
「案外人たらしの才能があるのかもしれんのう。くんくんくん」
ところで。
さっきから加代の奴は、人のスーツをまさぐって何をしているのだろう。
くんかくんかと臭いを嗅いで。
そういう趣味なぞあったのかこいつ、と、ちょっと心配になる。
というか、今日は副社長も交えて相当な時間煙草を吸った訳だが。
「のじゃぁ、煙草の匂いしかせんのじゃ!! くちゃいのじゃ!!」
「だったらするなよ。ったく、何やってんだか」
やれやれ妖怪――九尾のすることはようわからん。
じろりじろりと内ポケットの中まで引っ掻き回した加代。
なにがどうして、ようやく何かに安心したのか、ほっと息をついた彼女は、俺が待っているちゃぶ台の前へと帰ってきた。
今日も今日とて、料理はスーパーの三割引きいなり寿司。
次長に昇進ともなれば、もっといいもの食わせてやれるのになぁ。
シールの張られてないおいなりさんとか。
「のじゃのじゃ。家族揃って一緒に食べる食事はなによりのごちそうなのじゃ」
「家族――いや、ペット?」
「なんか言ったのじゃ?」
「いや別に」
いただきます、と、手を合わせて、半分ずつパックから寿司を取り分ける。
もぐりもぐりとそれを咀嚼しながら――俺は今後のことについて加代に語った。
「まぁなんだな。社長と話してみた感じなんだが」
「のじゃ?」
「なんというか、彼は社内間の対立について必要を感じてそうしているみたいだ」
「どういうことなのじゃ?」
「会社のバランスをとるために、中小企業だった頃からの旧社員と、大企業になってからの新社員が、派閥を構えて対立することを、あえて彼は受け入れてる――ってことだ」
「随分とでかい懐じゃのう。二世社長なのに、傑物の匂いがするのじゃ」
「――なんだろうね。俺も、そういう人間が、バランスをとるために親にまで手をかけるってのは、ちょっと考えられないって思ったよ」
「のじゃ、確かに。会長さんが何かの拍子で死んじゃったら、それこそ、また新しい体制を作らなくちゃならないのじゃ」
まぁ、社長本人の意思はともかく、その下はどうかはわからない。
白戸あたりがいらない気をまわして、そういう陰謀を巡らせているとも限らないが――。
なんにしても、三国社長自身は派閥争いに対して、バランスを取るということ以外に、不要な感情は持ち合わせていないと見える。
対して副社長側はといえば。
今回、こうして俺が失脚する原因を作ってきたのは紛れもない事実である。
派閥争いの主導権を握ろうと、実際に手を出してきた。
だとして、きな臭いことをしそうなのは、彼らとも考えられる。
だが、副社長と坂崎次長を見ている限り――。
「なんかそんな感じでもないんだよな」
「のじゃ?」
「うーん、この会長の命を狙った一連の事件。やっぱり、あの爺さんのはやとちり、おっちょこちょいということじゃないのかな」
現状あるだけの情報で考えてみると、彼を殺害する必要性がまったくないのだ。
社長にしても、副社長にしても。
二つの派閥の長は、お互いに、おそらく何よりも会社のことを考えている。
三国社長は旧体制と新体制の調和という観念で。
陸奥副社長は、旧体制が主ではあるが、社員に対して家族のような懐の深い思いやりを持って接している――ような感じがする。
「のじゃ、そういえば、しばらく会長さんにも会ってないのじゃ」
「一度、中間報告もかねて、会長と話をしてみるか。そうすりゃ、なんか違う側面が見えてくるかもしれん」
そんなことを言いながら、俺はもしゃりもしゃりといなり寿司を咀嚼した。
うぅん、今日も安定した味である。
ここまで味にブレがないとは、流石は大手スーパーだな――って、何を歓心しているんだろうかね俺は。
「しかし、お前。毎日いなり寿司はさすがに辛いぞ」
「のじゃ? じゃぁ、納豆の油揚げつつみにするのじゃ? それとも油揚げのお味噌汁にするのじゃ?」
「いや、油揚げから離れろ」
「のじゃぁ!! そんな文句を言うなら、クッ○パッドで調べるなりして、自分で作るがよいのじゃ!! 人が手間暇かけて用意したいなり寿司に、作ってもないのにケチつけるでない!!」
「いや、手間暇もなにも、スーパーで買って来ただけじゃねえか」
どん、と、ちゃぶ台をたたく加代。
あらあら珍しくオコなご様子。
「スーパーでシール張られるまでじっと待っている
「苦労じゃねえだろ、そんなもん!!」
「専業主婦の気持ちがわからんのじゃ!? これだから最近の夫は!!」
「いや、お前、うちの庶務課で働いてるじゃねえか!!」
「そんなもん、とっくの昔にクビになってるのじゃ!!」
「なおさらえばって言うことか!!」
やれやれ。
加代の次の仕事の口を探すためにも、一度、会長の爺さんと話が必要みたいだな。
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