第205話 捨てる神あれば拾う爺ありで九尾なのじゃ
降格された元社長派の腰巾着。
会社での俺の扱いは、ほぼほぼそういう認識で固まっていた。
「桜さん、あんまり気落ちしないでくださいね。桜さんが仕事ができる人だってこと、俺はちゃんと知ってますから」
「ありがと竹下くん。けど、今は僕も君と同格だから」
「そんなの関係ないっすよ!!」
と、調子のいいことを言いつつ、肩を叩く竹下。
この男。
俺のいない酒の席で、「さんざん人を顎で使いやがってザマミロ」と、ほざいていた――というのを、俺は白戸から聞き知っている。
なるほど、人間、何を考えているのかわからないものでる。
こんなとるに足らないモブ男でも、腹に一もつ抱えていることを考えるのだから。
ますます、この会社が抱えている闇がなんなのか、わからなくなってくる。
「桜さん、ファイトっす!! 一生ついて行きますよ!!」
「そう? じゃぁ、もし人事異動になっても、ついて来るかい?」
「え、いや、それは、ちょっと……」
尻すぼみに声を小さくする竹下。
冗談だよと言いつつ、俺は自分の席から立ち上がった。
特別係長だった時と違って、中座に対する目がきつくなった気がする。なに仕事をさぼっているんだと、上司はもとより同僚からも、非難の視線が飛んでくる。
トイレとたばこくらい自由にいかせろってんだ。
まったく。
しかしまぁ、こうして下の立場から見てみるとよく分かる。
どうやらこの会社、結構そういう黒い部分があるんだな。
いや、どこの会社でも最近はこんなものかもしれない。
「――んじゃ、不良社員らしく、今日も今日とて下の階でタバコを吸ってきますか」
とてもじゃないが、第二営業部の人間が出入りしている、このフロアの喫煙ルームで煙草を吸う気にはなれない。
エレベーターを使って設計部がある階へと降りた俺は、まったくなんの目的もなく、そして見つかった時の言い訳も持ち合わせず、そこの喫煙ルームへと向かった。
いや、実際には目的はある。
しかしながらそれは一筋縄ではいかない難しいものであり、目的というよりも希望あるいは願望という方がしっくりと来るものだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「今回の一件で、君は僕たちのグループから干された――と、周りの人間には思われているらしい」
「思われているも何も、ひしひしと毎日感じてますよ、そんなのは」
「はははは。それならばどうだろう、いっそ、その立場を利用するというのは」
「利用する?」
相変わらず、ウィスキーをロックで胃の中に流し込みながら、けろりとした顔で三国社長は俺に言った。
この人の発想は、流石は社長という肩書きだけあって、なかなかに読みづらい。
彼は傍にはべっていた女の子に、空になったグラスを渡すと、膝の上に肘をついて手を組んだ。そうして口元を隠しながら、その目を細めてこちらに向ける。
「自分が追い込んだ有能な若手社員が、閑職に追いやられて社内で孤立していく。嫌な話じゃないか」
「そうですかね。よくある話だと思いますけど」
「それを見過ごせる人間もいるけれど、見過ごせない人間もいるということさ」
「つまり、今回の事件に関する負い目を利用して、副社長派に取り入れ――と、そう言いたい訳ですか?」
例によって高級クラブ。
俺と白戸、そして三国社長の三人だけの密会の席。
俺をまっすぐに見てそんなことを三国社長は言った。
もとより、俺も個人的に坂崎次長を通して、
なるほど、そういう方法までは思い至らなかった。
確かに向こうからしてみれば、社長派の増長を止めたかったが故の行為だ。だが、その結果として、俺がうらぶれている姿など見ればどう思うだろう。
ざまみろと簡単に切り捨てられる人間も居るだろうが――少なくとも、坂崎次長のような古いタイプの人間は、そうは考えないだろう。
そして、おそらく――
「そのあたり、陸奥さん――副社長は懐が広い」
「そうなんですか?」
「彼にしたってもともとは、親父がその腕を買って拾ってきた職人だったんだ。義理だとか、人情だとか、そういうことで動く性質の人間だ」
「敵対している相手だっていうのに、やに親し気に話すんですね」
「立場と人間は別ということさ」
彼の口元から手が消えた。
と同時に、出てきたのは穏やかな笑顔だ。
宿敵の副社長の話をしているのに、こんな表情をすることは
「僕は、陸奥さんに小さいころは遊んでもらったこともある。そんな人と、会社の体制を維持するためとはいえ、面と向かってやりあわなくちゃならない。そんな気持ちが君には分かるかい」
キャストが用意したウィスキーを三国社長がひったくるようにして手にする。
彼は笑顔のまま、また、その強めのウィスキーを、ぐいと一息に飲み干した。
◇ ◇ ◇ ◇
と言うわけで、目下、俺の目的――というか希望はただ一つ。
なんとかして副社長との接触を図るということであった。
そのためにも、わざわざ、彼の傘下である建設部のあるこのフロアにまで降りてきて、煙草を吸っているというわけだ。
「たしか副社長も喫煙者だと聞いた。派閥の人間が多い、ここの喫煙室にも時々出入りしているらしいし」
取り入るチャンスがあるとすれば、
いやはや、坂崎次長を追い、ここにあしげく通っていたのが思わず役に立つ日が来ようとは、ちょっと思ってもみなかった。
いや待て。
「もういっそ、坂崎次長に直接紹介して貰う――いや、さすがに今、忙しく駆けずり回ってる次長にそんなことは頼め」
「探したよ桜くん!! まったく、またこんなところで!!」
そんな話題を独り言ちにつぶやいて、喫煙所へと移動していたところ。
背中からいきなり俺は呼び止められた。
肩で息をして、ぜぇはぁと深呼吸をしているのは――噂の坂崎次長だ。
引き継ぎで仕事が楽になるかと思いきやまさかの次長継続。
すっかりと得意先にあいさつ回りを済まして、次の仕事の準備をしていた彼は、いま、再度のあいさつ回りにかけずり走っているはず。
なのだが。どうしてこんな所に居るのだろう。
「どうしたんですか次長。あぁ、もしかして、次長もたばこですか」
「なにのんきなことを言っているんだね」
「いやだってねぇ。営業部に居ても針のむしろだし」
「君ねぇ、図太い新人なんてのは、今時は貴重だけれども――って、そうじゃない。そうじゃないんだよ、桜くん!!」
「とりあえず喫煙所に行ってから話をしませんか。こんな所で話していても――」
ふと、坂崎次長にそんな軽口を叩きながら、俺はあることに気が付いた。
彼の背後にのっそりと、険しい顔をした老人が立っていることに。
スーツ姿よりも、あきらかに着物だとか、作業服だとか、法被だとか、そういうのが似合いそうな強面の顔。
役員会議でのあの壮烈な印象を忘れるはずもない。
そう、彼こそは目的の男。
「副社長!?」
「――ここは本来、君が居てはいけないフロアのはずだったと思うが、桜くん?
「あぁ、いや、それはその」
「どういうことかね。君は、自分に任された仕事を放り出して、逃げ出してしまうような愚かな人間、と、そういうことかね?」
「いや、その仕事自体がね、干されてて無いもんですから」
「違うんですよ陸奥さん。彼とはその――ここで時々、私と情報交換をしていて、それの名残という奴なんです」
「ほう。それで、まんまとほだされたという訳か、坂崎」
ぎょろりと、顔を動かさず眼だけが動く。
現場からのたたき上げ。
そういう修羅場――緊張感漂う仕事をこなしてきた者だけがもつ、圧倒的な威圧感に、思わず全身の肌がしびれる感じがした。
いいね、こういうの。
俺はどっちかっていうと、こっち側の人間なんだ。
思わず笑顔が出た俺。
すると、ほう、と、副社長が不思議そうな顔をした。
「なるほど、やはり、見どころは少しくらいはありそうな奴だ」
「そいつはどうも。で、話の続きはどうです、喫煙室でゆっくりと」
そう肝の据わった感じで答える。
どうやらその反応は正解だったらしい。
うむ、と、副社長は大仰に頷くと、俺の前に出て喫煙室へと歩きだした。
◇ ◇ ◇ ◇
「のじゃぁ。最近、桜のやつ、タバコの量が増えてきたのじゃ」
「ヒャブリーズがいくらあっても足りないのじゃ」
「タバコは健康に悪いのじゃ。長生きしてもらうためにも、一度、強くあ奴に言ってやる必要があるかのう」
「――もしかして、浮気を隠すために、タバコで誤魔化してるとか、そういうのじゃないであろうのう」
「――のじゃぁ。のじゃのじゃ。それはいくらなんでも」
「――のじゃぁ」
「とりあえず、今日帰ってきたら、スーツの中身を抜き打ちチェックなのじゃ。浮気は許さんぜよ!! 加代ちゃん
「たらいもー」
「のじゃぁっ!? い、意外と早い!? お、おかえりなさいなのじゃぁ――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます