第198話 サラリーマンはつらいよで九尾なのじゃ

【前回のあらすじ】


 副社長派の現次長に接近を図った桜。

 彼が煙草に出かけたところを素早く捕まえて、サシでの飲みの約束を取り付けるのであった。


 一方、そのころ、私たちの加代ちゃんは……。


「す、すごいものを見たのじゃ。房中術は、母上が嗜んでおったがそれ以上なのじゃ」


「しかし、コスチュームを変えるだけで、あのように盛り上がるとは。天才の発想」


「人類の進化とは恐ろしいのじゃぁ」


「――今夜あたりわらわもなんか着てみるかのう」


 ちゃっかり影響を受けていた。

 ついに来るか、この作品につけたセルフレート「性描写が含まれます」の火が吹く時が――と、言いたいところですが、今回も加代ちゃんの出番はこれだけです。

 出ていけなのに出番がないとはこれいかに。うぅむ。


◇ ◇ ◇ ◇


 次長の名前は坂崎と言った。

 市街から少し離れたベットタウンに一軒家を持ち、妻と子供の四人家族。上の子は男の子で現在大学生。親父のようなサラリーマンにはなりたくないと豪語しており、顔を合わすたびに喧嘩をしているそうな。


「そんなことを言うくせに、家からは出ていかないんだ。どう思う、えぇ、桜次長よぉ」


「だから、まだ次長は坂崎さんですって」


「なーにが、親父みたいにうだつの上がらないサラリーマンだ。俺は天下のナガト建設次長さまだぞ。お前、慣れるもんならなってみろってんだ」


「まぁ、今どきの若い子にしては覇気があっていいんじゃないですか」


 俺も若いころ、似たようなことを親父に言った手前、強いことは言えない。

 こうして三十路も超えてみたけれど、親父の背中ってのは大きいものだ。なにせ、二十代で結婚して、俺を養ってるんだものな。もうその時点で、勝てる目が感じられない。


 いや、いやいや、いい出会いがなかったからだ。

 IT企業は出会いが少ないし、それに、就職氷河期で時代も違うのだ。と、思っておきたい。

 とりあえず、学生時代の俺に、身の程はわきまえろとビンタくらいはしてやりたいが。


「っておら、なにぼけっとしてんだ、桜ぁ!!」


「あぁ、はい、すいません」


「グラスが空だろうが!! お前なぁ、先輩社員が気持ちよく飲めるように、気配りするのが後輩社員の役目だろうが!! 違うかぁ!!」


「違いません、まったく次長のおっしゃるとおりです」


「よし!! なかなか見どころのある奴!! 気に入ったぞ、がははっ!!」


 カウンター向こうのおばちゃんに目配せをする。

 うちの母親と同じくらいの年齢という感じの彼女は、あきれた感じで笑うと、冷蔵庫からビール瓶を取り出してこちらによこした。

 その視線に、ごめんね、と、後ろめたいものを感じるのは、こうなることを知っていたからだろう。


 サシで飲む場所は、坂崎次長におまかせした。


 俺が指名した場所に行くだなんてことになれば、彼はきっと何か仕掛けられるのではないだろうか警戒するだろう。それよりは彼のホーム、気心の知れたところで飲み明かすのが一番だ。


「下の子はさ、部活部活で金がかかってさ。所属していた野球部が、ひょんなことから甲子園出場とかしちゃってさ。ただでさえ、家のローンの支払い厳しいってのに」


「めでたいことじゃないですか」


「一回戦負けしてたら話にならねえよ。来年こそはって意気込んでるけど、どうだかなぁ」


「けど本当はうれしいんでしょう?」


「当たり前だろう!! 血を分けた息子がだよ、甲子園なんて晴れ舞台に立っているんだぜ、想像してみろよその光景をさ!!」


 よし、祝い酒だ、お前も飲めと俺からビール瓶をひったくって持つ坂崎。

 溢れるくらいにつたなく注いだ彼は、それを一息に飲み干せと俺に目で強要した。


 やれやれ。だが、悪い酒ではない。


 会社での卑屈な態度から一転してこの豪放ぶりもさることながら、どうにも人情くさいところに実に心がほだされる。なんだろうかね、白戸の陰に隠れてしっかりと見てこなかったが、悪い人ではないみたいだ。


 どことなくではあるが、加代とダブって見えるところもそんなことを思う要因の一つだろう。一生懸命やってるドジな奴、間抜けな奴、お調子者、そういう奴らにどうして俺は弱いのだ。

 世にいうお人よしと呼ばれる部類の人間なんだと思う。って、自分でそれをいうのは鼻がむずがゆいが。


「第二営業部もよぉ、白戸の奴が来るまでは、もうちょっとゆるくてやりやすい部署だったんだぜ」


「そうなんですか」


「そうだよ。それを、お前、アイツがうちの設計部通さず仕事を回したり、新規案件とか言って一見の客を取ってくるから。そりゃ、そういう風に、ガッツガッツと仕事を取っていくのが今のご時世なのかも知らんけどさ」


 俺はそんなのごめんだねぇ、と、ごちって手酌する坂崎。

 彼としては、馴染みの客との信頼関係の方が大切だと、そう言いたいのだろう。


 ビジネスに関して、まぁ、三十ちょっとになるまで、いろんな職場を転々としてきた俺から言わせると、坂崎さんは古いタイプの人間である。会社というブランド力に頼らず、その先にある担当者との信頼関係などを重んじるタイプだ。


 多少の失敗も織り込み済みで、お互いにパートナーとして一蓮托生に問題――つまりは仕事に挑んでいく、そういうタイプの人間である。


 対して白戸はといえば、完全にそこは割り切っている。仕事の利益や、自社の営業力を重視し、相手が誰であろうと関係なく、損益分岐点を確実に見極めて仕事をする、そういうタイプの人間だ。


 個人的な感想を言わせてもらおう。

 俺は坂崎さんのような働き方が好きだ。前世紀的で、ともすればブラック企業のそしりをうけるかもしれないが、それでもそういうお互いに意気の通じ合った仕事というものにこそ、価値があるという風に思っている。


 別にいいだろ、しゃかりきに仕事したって。まぁ、上手くいかなくてうつになる時も、そりゃあるけれどもさ。


 うとりうとりと坂崎次長がその場で船をこぎだす。

 見れば顔は真っ赤である。かれこれ、ビール瓶は三本くらいあけただろうか。それほど飲んでないように思うが、意外とアルコールには弱いのかもしれない。


「白戸ぉ。あいつが第二営業部の部長になったら、利益率の悪い俺が受け持ってた仕事は、全部潰されちまうぜぇ」


「そんなことはないでしょう――たぶん」


 絶対と言い切れない。それは白戸の下で働いてきた俺だからわかる話だ。

 儲けの薄い仕事は、たとえそれがどんな客でも蹴れ。俺も、彼の直属の部下である竹下くんも、さんざ言われてきたことだ。


「すまねぇ吉田さん、すまねぇ神原さん。俺が、俺が不甲斐ないばっかりに」


 それはどちらも地元の中小企業である。

 自動車メーカーの、部品製造を行っている工場で、ナガト建設は彼らの工場の建設から補修、保養施設の仕事などを担当してきたという。

 創業当時からの付き合いで、自動車産業により日本がバブル期に突入した折には、この会社を通してナガト建設は大きな仕事をいくつももらっていたという。


 しかし、折からの不況で長らくこの二つの会社は業績が悪い。最近は、補修の仕事ばかりであり、正直利益率は最悪だ。


 間違いなく、白戸はこれを切り捨てる。

 うちではなくてはほかの会社に頼めと、無碍に断ることだろう。


 なんとなくその光景は俺の脳裏に見えた。

 だからこそだろう。眠りこけそうな坂崎次長の肩を俺はたたくと、きっぱりと、そしてはっきりと言って見せた。


「させませんよ。なにせ、俺が坂崎次長の仕事を引き継ぐんですから!!」


「――さ、桜くん!?」


「なに、任せてください。長年我が社が培ってきた縁と信頼を、損得なんて感情ですぱっと切らせてたまるもんかい」


 柄にもなく、俺はちょっと熱い感じになっていた。

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