第197話 次長係長で九尾なのじゃ

【前回のあらすじ】


 白戸および社長派との接触に成功した桜。

 しかしながら、接触後に彼らとの間に溝を感じた桜は、副社長派への接触について考え始める。


 ちょうどそんな折、副社長派と目される次長がタバコで席を立つのを見た桜は、一計を案じるのであった。


 一方、そのころ加代ちゃんはと言えば。


「のじゃぁ、そんな、こんな真昼間から――」


「しかも、コスチュームまで用意しているなんて――」


「のじゃぁ、見せられん、こんなの青少年にみせられないのじゃぁ――」


「不健全、不健全なのはいけないとおもうのじゃぁ――」


◇ ◇ ◇ ◇


 次長はすぐには見つからなかった。

 というのも、第二営業部のあるフロアの喫煙ルームに彼の姿はなかったからだ。

 このフロアの喫煙ルームでは、俺より若い社員たちが、人目もはばからずにパチスロで何枚出したか、プレミアフラグがどうこうと談笑しているばかりだ。

 ちとやかましかったので、じろりとフロアの窓越しに睨んでやると、彼らはすぐに手に持った煙草をもみ消すと、喫煙ルームから逃げ出すように退散した。


 やれやれ。

 さて、いったい次長はどこへ消えてしまったのだろうか。


 まさか彼もまた、建築部の部長さんとおなじく庶務課でやんごとなきことを。


 などと考えていると、ふと何人かの壮年の男が、タバコを手にしながらエレベーターに乗る光景に遭遇した。

 いかにも入社年度が古そうだ。スーツではなく、くたびれた作業服を着ているあたりに、彼なりのこだわりのようなものを感じる。


 なるほど。

 状況を察した俺は、急いでエレベータへと近づくと、彼らが乗り、今にも扉が閉まろうとしていたそこに強引に割り込んだ。

 ぎょっとした目がこちらに向いた。人間が挟まれたことを感知してエレベータの扉が開く。


 乾いた笑いを上げて彼らの間にちょこなんと立つと、俺は階の番号を押す振りをして、このエレベータがどこに向かうのかを確認した。


 ここより下、十六階。

 建築部のあるフロアだ。そして、喫煙ルームのあるフロアでもある。

 さも建築部に用事があるのだという感じで、俺は操作盤から指を離した。


 はたして、次長は建築部のあるフロアに居た。

 彼らは建築部の社員――俺と一緒に降りた社員と同じく、作業服を着ている者たちと一緒に、仕事場では見せたことのない顔で談笑していた。


 一緒に喫煙しているのは古くからの馴染みの人間なのだろう。肩が触れ合おうが、膝が当たろうがまったく気にしないそぶりだ。


 さて、そこにどうして次長がここにという顔の、次期次長が現れる。

 ぎょっと目を剥いて手にしていた煙草を落とした次長を前に、俺はずかずかと喫煙ルームへと足を踏み入れた。


 消火用の水で満ちている灰皿の中に、うっかりと煙草を落とした次長に、自分の胸ポケットから代わりのそれを取り出す。

 彼がどういう銘柄を吸うのかは知らないが、まぁ、タバコなんて吸えればなんでもいいというのが、一応、吸う側の人間としての感想である。


 おずおずと俺から煙草を手に取る次長。


「どうしてここに」


「いやぁ、庶務課に行く途中だったんですけどね、私も一服しようかなと。そうしたら、どうしてかなと」


「――サボってて悪かったな」


「まさか。タバコは企業戦士のバッテリーですよ。女子供にはそういうのが分からないんでしょうけどね」


 言って俺は次長の煙草に、自分のライターで火をつけた。


 もちろん、次長が言った「サボって」というのは、煙草を指してはいない。

 所定の喫煙所にいなかったことだ。


 このナガト建設自社ビル内では、各フロアで働く人間ごとに基本的に喫煙場所が定められている。その指定された場所以外での喫煙は、会議などの所用がない限りには、基本的にはNGである。


 別に罰則などあるものでもないが、役員がその決まりを率先して破っているというのは、あまり聞こえのいいものではない。


 これでは次長からの降格もやむなしというものである。

 まぁ、そんなのは見咎める人間がいなければ、問題にならない話だが。


 周りの人間は、いきなりやってきた営業部の新参者に対して、排他的な視線を容赦なく送ってくる。どうやら、この次長の味方というのは間違いないだろう。

 年齢的にも近いと見える。


 なるほど、これが社長の危惧していた者の正体か。


「白戸の奴にうまく取り入りやがって。そもそも、会長の肝いりってのが気に入らない。どうしてあの人が、お前みたいな若造を」


「いやぁ、人生分からないもんですね」


「お前!! ふざけてるのか!!」


「もちろん。人生なんてふざけてなんぼでしょう。酒も飲まない、博打もしない、女も買わない――そんなものになんの意味が?」


 本心である。

 ぽかり、と、空きっぱなしになった口から、また落ちそうになる煙草を拾い上げて、今度は灰皿の中へと落ちないようにしてやる。


 周りの人間も俺の煙に巻いたような口ぶりに随分と動揺しているようだ。

 さて、まぁ、なんだ。こんなところじゃ、埃っぽくて、ろくに話はできないだろう。


「次長。仕事を引き継ぐにあたって、一度お話をしたいんですが」


「なっ、なんだあらたまって!! 引き継ぐことなんて何もないだろ!!」


「今晩あたりどうです。サシで飲みに行きませんか」


 また加代の奴に怒られるな。

 先日の夜の激しいやり取りのことを思い出しながら、俺はあえて次長の懐の中に飛び込んだのだった。

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