第196話 さーて、副社長派の次長さんはで九尾なのじゃ

【前回のあらすじ】


 すっかりと、夜遊びを九尾にとがめられた桜。

 結局社長の思惑もわからずじまいと踏んだり蹴ったりのなか、いい塩梅に酒の回った彼は、シャワーを浴びろという加代の言うことも聞かずに眠りこけるのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


 その後、白戸から再び高級クラブに誘われることはなかった。

 別に接待ではないから、交際費としてあそこでの遊びを計上することはできない。三国社長がポケットマネーから出してくれたからこそ飲めたが、そうでなければ、たとえ課長兼次長補佐と言っても、そうそう遊びに行く体力はないのだろう。


 あるいは、俺を連れていく気にならないのか。


「今度のカドマチ物産の倉庫建設の件、桜くんに任せたいんだが」


「――また、竹下くんをお借りしてもいいなら」


「いいとも。仕事でつかえるものは、人でもモノでも金でもなんでも使え。君にはそれをペイできるだけの能力がある」


「いやはは、なんだか照れますなァ」


 表向きの関係はいたって良好である。

 時々、廊下なんかですれ違うと世間話もする。いたって、信頼できる上司と部下という印象を、周り――少なくとも第二営業部の面々は持っていることだろう。


 しかしだ、どうも話していてその視線が妙に警戒心をはらんでいるように俺には見えた。これは実際に、正面で話をしていない限りには、見えてこないような些細なものだ。後ろからぶしつけにのぞき込まない限りには、決してわからないし、また、そこそこに人と辛い接し方をしてきた人間にしかわからないだろう。


 昔、うちの会社の先輩と組んで仕事をしたことがある。

 あまりプログラムの技能に長けていない彼と、俺はことあるごとに些細ないさかいを起こした。見かねて、当時の部長が仲裁に入り、プロジェクトから俺が引き抜かれる形でその先輩とは分かれることになったが――。


「他業種出身だというのに、この短期間でよくここまで仕事を覚えられる。うちの部署の多くの社員にも見習ってもらいたいものだな」


「白戸課長、そういうのは、職場でいうことじゃ」


「おっとすまない、そうだな、迂闊な発言だった。気をつけよう」


 そんなどこかあてこすりのようなおべっかを言うこの男には、ある種、その先輩から感じた嫌な空気が臭ってきていた。


 俺を重宝する反面、やっかいに思っている。

 それは最初、彼に近づいた時に戻ったのかといえば違う。あの社長との高級クラブでの密会を経て、より、濃く、そしてはっきりとしたものになった。


 自分の立場を奪われる、とは、思っていないだろう。

 おそらくは――会長の子飼いである俺がどういう思惑なのか、盟友にして忠誠を誓う社長ともども警戒しているのだ。


 白戸からの書類を手に持ってデスクにも戻る。

 ふと、俺がいる島の一番端――隣に座っている男の冷めた視線に気が付いた。

 第二営業部次長。今はまだ、俺の上司であり、白戸の上司でもある人間だ。


 自分を介さずに仕事が進んでいくのがよほど面白くないと見える。それこそ、かの昔に俺を邪険に扱った先輩なんて比較の対象にもならない。

 ここまで人に邪険になれることがあるだろうか、という、こっちとしては心持ちである。


 まぁ、それもしかたない。


「ちっ、いい気になりやがって」


 別にこっちはそんな気分に一度だってなったことはないというのに、一方的に敵視してくる次長。こと、それは自分を飛び越して部長になる白戸よりも、自分に成り代わる俺に対して向けられているようだ。

 実際、かわいそうだとは思う。


 第一営業部に移動して、彼は課長――つまるところ降格することになるのだ。

 昇進し続けることが人生ではないが、それでも、自分より年若い男に、やっと手に入れた地位を蹴落とされるのは、正直なところ、つらいものがあるだろう。


 逆に宮野部長なんかはあっさりと、この人事を受け入れていたが。

 まぁ、彼は第一営業部の部長になるわけだから、何も引け目を感じることはない。老舗部門のトップとなれば、役職は同じでも昇進のようなものである。


 やれやれ、さて、とりあえずは、この視線をどうするかだ。

 あと数週間もすればいなくなる人とはいえ、睨まれたまま仕事をするというのはどうにも気分が悪い。


 そしてなにより、もう少し情報が欲しかった。

 社長と白戸に睨まれてしまい、向こうから情報を引き出すのにはもう少し時間がかかりそうだ。できれば副社長派にもうまく潜り込んで、情報を引き出す伝手がほしい。


「タバコ行ってくる。白戸くん、なんかあったら任せたよ」


「――はい」


 言われなくても、とでも言いたげな、妙な間があった。

 この次長と課長の関係は、もはや今となっては破滅的である。数週間後に逆転する立場を前に、どうしてもそうなってしまうのは仕方ないが、白戸にしても彼に思うところがあったのだろう。


 グレーのスーツのポケットに手を突っ込んで、営業部の部屋を出ていく次長。

 チャンスだな、と、俺は思った。


「竹下くん、横で話を聞いてただろう。悪いんだけれども、過去の似た案件のピックアップを頼めないかな」


「任せてください!!」


「――いや、待てよ、いつまでも君に頼りっぱなしっというのもあれだな。もうすぐ、暇もしてられなくなるし、この機会だ自分で調べるとするか」


 資料はどこにあるんだっけ、と、俺は彼に尋ねる。

 最近の資料だとグループウェアのデータベースを検索すれば出てきますけど、古いのは庶務課の倉庫にしまってありますね、と、彼は言う。


 俺がその思惑を口にする前に、調べてしまったらしい。


「めぼしいのはグループウェアからは出てこないですね。倉庫に行かないと」


「んじゃ、運動がてら、ちょっくら行ってくるかな」


「――オフィスラブはほどほどにな、桜くん」


 急に口を挟んできたのは白戸だ。

 庶務課に俺の同居人――加代がいることを知っている彼は、そんな皮肉を言ってきたのだ。


 ちょうどいい。


「弁えてますよ。けどねぇ、どうにもならないくらいになっちゃう時って、人間あるものですから」


 そんなことを言って。俺は白戸の皮肉を逆手に取って、を作った。


◇ ◇ ◇ ◇


「おー、加代。悪いな、仕事中に」


「悪いなじゃないのじゃ!! 今、建築部の部長さんが、倉庫で色っぽい先輩とチョメチョメしだして、なんか大変な感じなところなのじゃ!!」


「オフィスラブがおさかんだなぁ」


 口裏合わせのために加代に電話をかける。

 電話に出るたびこの泣き言。どうやら、ここの庶務課は地獄のような場所のようである。


 いつもならすぐクビになる彼女が、今もこうして勤められているあたり、よほど勤めるのに強靭なメンタルのいる場所なのだろう。そして、人手不足の場所なのだろう。

 うむ、まぁ、忍耐という一点において、三千年生きたこの狐は、目を見張るものがあるからな。


「のじゃぁっ!! こんな部署、来るんじゃなかったのじゃ!!」


 そんな彼女がここまで言うあたり、できればこのままお世話になりたくない限りだ。


「まぁ、とりあえずそれは置いといてだ」


「置いておくななのじゃ!!」


「悪いんだけれど、ちょっと口裏を合わせといてくれないか。俺もこれから三十分間、お前とそこの物陰でチョメチョメしてたって」


「なっ、なっ、なにを言うておるのじゃ、桜!!」


 何を言っているんだろうね、ほんと、同居人に向かって。

 しかし、まぁ、使えるものは、人でも金でもモノでも――九尾の狐でも使ってやるのが、お仕事ってもんだろう。

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